児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2010年03月

今日3月31日は、万有引力を発見したことで有名なイギリスの物理学者・数学者のニュートンが、1727年に亡くなった日です。

アイザック・ニュートンは1642年に、イギリスの東海岸に近いウルズソープという小さな村に生まれました。父親は自作農でしたが生まれる前に死に、2歳のときに母親が牧師と再婚したため、ニュートンは祖母に育てられて、大変さみしい少年時代をすごしました。また、甘やかされて育ったためか、内気でひよわな子どもでした。

6歳で村の小学校へあがってからも、少しいじめられるとすぐに涙をながし、みんなに 「泣きむしニュートン」 とからかわれるほどでした。成績もクラスでおしまいのほうでしたが、工作だけは好きで、毎日、日時計や水車や風車などの模型を作って過ごしました。

あるとき、自分が工夫してこしらえた水車をこわした少年と喧嘩をし、それに勝ったことがきっかけになって、自信がもてるようになったといわれています。そして、中学校へあがるころから人が変わったように勉強にはげみはじめ、1661年には名門ケンブリッジ大学に入学し、数学や物理学を学んで、科学的な天分を発揮しだしました。

ニュートンは生涯に、3つの大きな仕事をなしとげました。その1つは、リンゴの落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したというものです。これはリンゴと地球が互いに引き合っているから起きた現象ではないかと考えました。とすると、この宇宙にある全てのものにお互いに引き合う力が働くのではないかと考えを拡大し、太陽・地球・月などの天体までも互いに引き合う力が働いているにちがいないと考えたわけです。

2つ目は、数学の分野です。微分積分法という法則の発見です。「全ての物の間に距離の二乗に反比例した引力が働く」という計算方式を使うと、高等数学を学んだ人なら計算して確かめることができますが、この法則を導きだす発想力も、天才がなせるわざなのでしょう。

3つ目は、小さな反射望遠鏡を使った「光」の研究による発見です。光には色がないといわれていた時代に、7色の色があることを実験で証明してみせました。ニュートンの偉大な発見は、近代科学の基礎としてたくさんの理論のベースになって来たため、近代物理学、微分積分学の祖と讃えられています。

なお、ニュートンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第6巻 「ニュートン」 をご覧ください。


「3月31日にあった主なできごと」

1732年 ハイドン誕生…ソナタ形式の確立者として、モーツァルトベートーベン に大きな影響力を与え、104もの交響曲を作ったことで知られる古典派初期の作曲家 ハイドン が生まれました。

1889年 エッフェル塔完成…フランス革命100周年を記念したパリ万博のシンボルとして、この日エッフェル塔が完成しました。当時300mという世界一の高さを誇り観光客にはたいへん人気となりましたが、鉄骨むきだしの姿はパリの美しい景観をそこねると賛否両論の声があがりました。

1906年 朝永振一郎誕生…量子力学の研究の中から「超多時間理論」をまとめ、それを発展させた「くりこみ理論」を発明した功績によって、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎が生まれました。

1970年 よど号ハイジャック事件…100余名を乗せた日本航空旅客機「よど号」が、富士山上空を飛行中に、赤軍派学生9名にのっとられました。わが国初のハイジャック事件。犯人たちは北朝鮮へ亡命したいと要求、よど号は福岡と韓国のソウル金浦空港を経由して北朝鮮の美林飛行場に到着しました。乗員と乗客は福岡とソウルで解放されたものの、身がわりとなった山村新治郎運輸政務次官と犯人グループは北朝鮮に向かい、山村氏はその後帰国、犯人グループは亡命をはたしました。

今日3月30日は、鎌倉時代の僧侶 鴨長明(かもの ちょうめい)が随筆『方丈記』を、1212年に完成させた日です。人生や社会のはかなさや移ろいやすさを綴った格調ある文章は高く評価され、清少納言 の「枕草子」、兼好法師 の「徒然草」とならび、日本古典文学の3大随筆に数えられています。

『方丈記』の冒頭の部分は特に有名で、声に出して読みたい、暗誦したい文の代表格の一つといってよいでしょう。

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、高きいやしき人のすまひは、世々を経て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり~」

(川の水は絶えることなく流れていくようにみえるが、よくみると元の水ではない。淀みにうかぷ水のアワも、消えたり結んだりで同じではない。世の中に住む人も住まいも、同じようなものだ。立派な都に高貴な者たちが競いあって家を建てるのは、いつの時代も変わらないことだが、気をつけて見てみると、昔からある家はまれにしかない~)

鴨長明は、京都・下賀茂神社の神事を統率する家の次男として1155年に生まれました。

源俊恵の門下として和歌を学び、勅撰歌人となって活躍しました。(『千載和歌集』に1首『新古今和歌集』に10首収録されています) ところが、父親のあとをついで神官として道を望みましたが同族の反対にあって実現できず、50歳の頃、失意のうちに出家しました。日野山に方丈(4畳半ほどの広さ)の庵を建て、閑居して綴った随筆を「方丈記」と名づけたのはそのためです。

長明は、歌論書『無名抄』、仏教説話集『発心集』、家集『鴨長明集』を遺し1226年に死去しました。

なお、移り行くもののはかなさを綴った書き出しから、同時代の災厄についての記述、自らの庵での生活を語る『方丈記』の全文は、オンライン図書館 「青空文庫」 で読むことができます。


「3月30日にあった主なできごと」

1746年 ゴヤ誕生…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりである ゴヤ が誕生しました。

1853年 ゴッホ誕生…明るく力強い『ひまわり』など、わずか10年の間に850点以上の油絵の佳作を描いた後期印象派の代表的画家 ゴッホ が生まれました。

1867年 アメリカがアラスカを購入…デンマーク生まれでロシア帝国の探検家であるベーリングは、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを18世紀半ばに確認して以来、ロシアは毛皮の貿易に力をそそぎ、1821年に領有を宣言していました。その後財政難に陥ったロシアは、この日アメリカに720万ドルで売り渡す条約に調印しました。1959年、アラスカはアメリカ合衆国の49番目の州になっています。

1987年 ゴッホ『ひまわり』落札…在命中には、わずか1枚しか売れなかったゴッホの作品でしたが、この日に行なわれたロンドンのオークションでゴッホの『ひまわり』(7点あるうちの1点)が史上最高価格53億円で落札されました。落札したのは安田火災海上保険(いまの損保ジャパン) で、現在は「東郷青児美術館」で公開されています。

今日3月29日は、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘お七が、1683年鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられた日です。

お七は、1681年の暮れにあった火事で焼け出され、一家は円乗寺というお寺に身をよせることになりました。この寺に吉三というお七と同い年の小僧がいて、朝夕に顔をあわせるうちに、お七は吉三に恋心をいだくようになりました。吉三もお七を憎からず思っていることがわかって、二人はいつしか離れがたい間柄になっていきました。

やがてお七一家は再建され、家に戻りますが、お七は吉三のことが忘れられません。「何とか吉三に会えることができないだろうか」という思いがつのって、火事が起きて焼け出されたら、また一家は円乗寺へ避難して、吉三にあえるだろう──理性を失ったお七は、吉三に会いたいというと思いだけが募って、隣家との間に古綿にワラを包んで火をつけました。

「火事だ!」。近所の人が四方にひろがる煙に気がついて叫びました。たくさんの人がすぐにかけつけて、水をかけたために大事にいたりませんでした。ろうばいして、立ちすくんでいたお七は、町役人に取り押さえられ、小伝馬町の牢屋につながれました。

放火の罪は、火あぶりの刑にきまっていました。当日は、牢屋の裏門から馬に乗せられ、市中引きまわしの末に鈴が森の刑場に送られました。亡きがらは、3日3晩、そのままさらしておかれたと伝えられています。

お七の処刑から3年後の1686年、井原西鶴 がこの事件を『好色五人女』(巻四)に取りあげてから有名になりました。


「3月29日にあった主なできごと」

1912年 スコット死去…イギリスの南極探検隊の隊長として南極点に達するも、ノルウェーの アムンゼン 率いる探検隊に先をこされ、帰途スコットは、猛吹雪にあって遭難死しました。

1925年 普通選挙法成立…従来までは一定の税金を納めた者しか選挙権がなかったのに対し、25歳以上の男子に選挙権を与えるという「普通選挙法案」が議会を通りました。

今日3月26日は、後鳥羽上皇の命によって編まれた和歌集『新古今和歌集』が、鎌倉時代初期の1205年にまとめられた日です。

『新古今和歌集』の選者は、当時を代表する歌人で、小倉百人一首を編さんしたとされる 藤原定家 をはじめとする5名で、定家の父俊成によって提唱された幽玄・有心の概念を、定家が発展させた歌「春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空」に代表されるような「余情妖艶体」が反映されていること、「体言止」「倒置法」「省略法」など複雑に工夫された技巧などに特徴があるといわれています。

『新古今和歌集』は、『万葉集』『古今和歌集』とともに、日本3大和歌集の一つで、「古今集」以来の和歌の伝統を引き継ぎながら、独自の美世界を表現し、和歌ばかりでなく後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残しました。

歌の数はおよそ2000首。春、夏、秋、冬、哀傷、離別などに分けられ、鎌倉幕府成立以降、武士たちに政治の実権を奪われた貴族社会が衰退していく中での、滅びや自然への哀調を描いた歌が数多くあります。

この日の発表後も、後鳥羽上皇はさらに削除や補足を行い、1221年に鎌倉幕府の存在を苦々しく思っておこした「承久の乱」に敗れ、隠岐の島に流された後もこの和歌集に18年間も手を加え続け、「約400首ほど除いたものこそ正統な新古今和歌集」という詔を出しましたが、現在はこの日にまとめられたものを正統な『新古今和歌集』としているようです。


「3月26日にあった主なできごと」

1827年 ベートーベン死去…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたるかずかずの作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家 ベートーベン が亡くなりました。

今日3月25日は、親鸞 が開いた浄土真宗の教えを、わかりやすい言葉で民衆の心をとらえ、真宗を再興させて「中興の祖」といわれる蓮如(れんにょ)が、1499年に亡くなった日です。

蓮如は1415年、京都の本願寺第七世の子として、東山の大谷に生まれました。鎌倉時代に、救いを求める農民らを中心に、貧しい人たちに目を向けて信者を増やしてきた浄土真宗でしたが、その勢いはかなりおとろえていて、本願寺もさびれた寺でしかありませんでした。

若い頃、浄土真宗の教義の勉強にはげんだ蓮如は、43歳で父親の後を次いで本願寺第八世になり、その建て直しに力をそそぎはじめました。そのやり方には独自の手法がありました。真宗の教えを、かな書きのやさしい言葉でつづり、『御文章』とか『正信偈(しょうしんげ)』とよばれる手紙形式で広めたことです。全部で266通にもなり、文書による伝道の役割をはたしました。

また、足まめに各地を歩いて布教を心がけたため、しだいに浄土真宗は大衆にみなおされていきました。さらに蓮如は、27歳で最初に結婚してから、生涯で5人を妻にして、13男14女計27人の子どもをもうけ、男の子は各地の重要拠点の寺に配置し、女の子は有力寺院などに嫁がせて、一気に全国的に勢力を拡大させていきました。

この勢いに危機感をいだいたのが、天台宗の総本山である比叡山の僧たちです。本願寺を襲って、寺を焼き払ったのです。蓮如は近江へのがれさらに北陸をめざし、1471年、石川と福井の県境にある吉崎に道場を作りました。まもなく、農民や商人、武士のあいだにまで門徒を増やしていき、御堂にはまたたくまに支坊ができ、群衆でみちあふれるほどのにぎわいとなりました。

そのころ、加賀の守護富樫政親が大名になろうという野心を持ちましたが、門徒たち(「一向宗」とよばれていました)は、これに反対をとなえて、一揆をおこしました。そして1487年に富樫氏を倒し、これ以後90年間にわたる「門徒持ち(百姓持ち)の国」として加賀の国を治め続けました。これが歴史的にも有名な「一向一揆」です。

蓮如は、政治的にも優れた人物だったと同時に思想的にも優れた宗教家でした。俗を捨てて聖になろうとする心には、民衆を切り捨ててしまう矛盾のあることを知っていました。そして、説法する者と信者を対等と見なして「おかげ」を強調して平等の精神をつらぬき、平和を願っていました。そのため蓮如は、一揆のおこる前に吉崎を去り、京都の山科に山科本願寺を建てました。

その後、いまの大阪城のある場所に石山本願寺を建てるなど、本願寺教団の基礎を築き、乱世の行動家として85年の生涯を閉じました。


「3月25日にあった主なできごと」

1872年 樋口一葉誕生…「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」などの名作を残し、わずか24歳で亡くなった作家 樋口一葉 が生まれました。

1878年 初の電灯…この日中央電信局が開設され、その祝賀会でわが国初の電灯としてアーク灯が15分ほど灯りました。ただし、一般の人が電灯を見たのは4年半後に銀座通りにアーク灯がついてからでした。一般家庭で電灯がつくようになったのは1887年11月のことです。

1957年 EECの結成…EEC(ヨーロッパ経済共同体)は、この日、フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク6か国の代表がローマに集まって、結成するための「ローマ条約」を結びました。1958年1月からEECは正式発足しましたが、その経済面での発展はめざましいもので、ヨーロッパ経済の中心となるばかりでなく、EC(ヨーロッパ共同体)、さらにEU(ヨーロッパ連合)となっていきました。EUの加盟国は、2007年1月にブルガリアとルーマニアが加盟したことにより現在27か国。EUを単一国家とすると、GDPはアメリカ合衆国を上回って世界第1位となっています。

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