児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2010年02月

今日2月19日は、『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』などを著し、ノーベル賞を受賞したフランスの作家アンドレ・ジッドが、1951年に亡くなった日です。

「キリスト教の教えや、これまで人間が守ってきた社会の道徳は、ほんとうに、どれほど正しいのだろうか」

定められた神の教えや道徳よりも、自分の良心をたいせつにして、自分に正直に生きようとする、人間の心の苦しみを考えつづけたアンドレ・ジッドは、1869年、大学教授で心の広い父と、信仰心が深く厳格な母のあいだに生まれました。

早くに父を亡くし、母の手ひとつで育てられたジッドは、からだが弱く、学校も休みがちで、いつも自分だけの世界にとじこもっているような少年でした。

孤独にすごすことが多かったからでしょうか、早くから人間の心や神について深い興味をいだき、14歳のころには哲学や文学や宗教の本を読みふけるほどでした。文学者として生きることを心に決めたのも、まだ20歳まえのことです。22歳になったジッドは、いとこへの愛の苦しみを告白した『アンドレ・ワルテルの手記』を著わし、作家への道を歩みはじめました。

28歳のときに『地の糧』、33歳のときに『背徳者』を発表して、人びとの心にさまざまな波もんを投げかけました。アフリカへ旅したとき、からだも心もはだかのままに生きる原住民のすがたに心をうたれたジッドは、神に背を向けた自由な人間の生きかたを、小説を通してたたえたからです。

「神の教えに従おうとする心と、自分の思うままに生きようとするようとする心。人間のなかにある、この2つの心のあらそいを、どのようにに解決していったらよいのだろうか」

やがて、人間のこういう心の矛盾を深くほりさげた作品『狭き門』『田園交響楽』『贋金つかい』などを発表すると、作家ジッドの名は世界に広まりました。

「どのように生きるのが、もっとも人間らしい生きかたなのだろうか」ジッドは、自分の疑問を、自分だけでなく世の人びとに問いつづけたのです。

年老いてからのジッドは、ふたたびアフリカへ旅をして、原住民を人間あつかいしない植民地の政治に反対をとなえ、また、ソ連へ行って共産主義に心をよせました。

ジッドは、人間が人間らしく生きていける平和な世界を願いながら、82歳で亡くなりました。1947年にノーベル文学賞を受賞して、4年ごのことでした。

ジッドは「現代の良心」とよばれました。すべてのものを、自分の良心のふるいにかけてつかみだしてみせたからです。


「2月19日にあった主なできごと」

1185年 屋島の戦い…源義経 ひきいる源氏軍は、平氏のたてこもる屋島(現・高松市)が、干潮時には騎馬でわたれることを知ってわずかな兵で強襲を決意。この日、周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかて一気に攻めこむと、平氏軍はろうばいして海上へ逃げ出しました。こうして、平氏は瀬戸内海の制圧権を失い、一ノ谷、壇ノ浦の戦いを経て、源平合戦の大勢が決しました。

1473年 コペルニクス誕生…宇宙が太陽を中心として回転しているという「地動説」を唱えた天文学者 コペルニクス が生まれました。

1837年 大塩平八郎の乱…大坂(現大阪)で大坂町奉行所の元与力 大塩平八郎 とその門人は、「幕府の役人の悪政や富商の莫大なもうけを攻撃する」と檄文をまき、多数の富商に火をつけ、大坂の2割を消失させました。乱そのものは小規模でしたが、江戸幕府の弱体ぶりを示した大事件でした。

1972年 あさま山荘事件… 連合赤軍のメンバー5人が、この日河合楽器の保養寮「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に10日間にわたって立てこもりました。

今日2月18日は、レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロと並び、ルネッサンスの3大巨匠といわれる彫刻家・画家・建築家・詩人として活躍したミケランジェロが、1564年に89歳で亡くなった日です。

ルネッサンスとは、14世紀から16世紀にかけて、イタリアを中心に西ヨーロッパでおこった古典文化を復興しようとする文化活動をいいます。古代ギリシアやローマなどに学び、自然や人間をありのままに見つめ、人間の感情や理性を尊重する「再生」運動でした。

ミケランジェロは、レオナルド・ダ・ビンチに遅れること23年、ラファエロより8年早い1475年、中部イタリアのカプレーゼに生まれました。

幼い頃から才能を発揮しはじめ、生涯に残した作品は『ピエタ』(サン・ピエトロ大聖堂)『ダビデ』(フィレンツェ・アカデミア美術館)など彫刻作品約40点、絵画ではバチカン宮殿にあるシスティナ礼拝堂の天井画『天地創造に始まる9場面』(13m×40m)や堂内正面の壁画『最後の審判』(14.5×13m)などがあります。建築でも世界最大の教会「サン・ピエトロ大聖堂」の設計をはじめ、さまざまな教会や記念建造物の設計や装飾を残しています。また、詩作にも優れ、およそ300編が遺されています。

一人の人間がなしとげたとは信じがたい作品の数々を見ると、まさに「力と美の天才」としか表現できない偉大な芸術家でした。

なお、ミケランジェロの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第5巻 「ミケランジェロ」 をぜひご覧ください。また、以前ブログに記した 「ミケランジェロ・最後の審判」(2008.3.6)  を参照ください。


「2月18日にあった主なできごと」

1207年 法然と親鸞流刑に…『南無阿弥陀仏』と念仏をとなえれば、来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた 法然 と弟子の 親鸞 は、旧来の仏教宗派に念仏の中止を訴えられ、法然は土佐に、親鸞は越後に流されました。

1546年 ルター死去…ドイツの宗教家で、免罪符を販売するローマ教会を批判し、ヨーロッパ各地で宗教改革を推し進めた ルター が亡くなりました。

1930年 冥王星の発見…アメリカの天文学者トンボーは、存在が予測されていた冥王星を発見し、太陽系の一番外側を回る9番目の惑星とされました。しかし、2006年に国際天文学界は、惑星ではない「準惑星」に分類しました。

今日2月17日は、「ノアの洪水」の日といわれています。キリスト教の聖典である旧約聖書の「創世記」によると、この洪水は、ノアが600歳のときの2月17日に起きたと記されています。

わが国は、1868年の明治新政府発足以降、ヨーロッパやアメリカ(欧米)からたくさんのことを学びました。そのため、欧米の人たちの多くが信じている「キリスト教」の影響を受けています。

たとえば当たり前のように思っている、月曜から日曜までの一週間が7日間で日曜日が休日なのも、「聖書」の内容からきています。「創世記」の冒頭のところで、神は1日目に昼と夜を作り、2日目に空を、3日目に大地と海と植物を、4日目に太陽と月と星を、5日目に魚と鳥を、6日目に獣と家畜と自分に似せた人間を作り、7日目に神は休んだ……と記されているからです。

この「創世記」6~9章に記されているのが「ノアの箱舟」の話で、人類のはじまりであるアダムから数えて10代目のノアとノアの一族だけが大洪水から生き延びた物語で、こんな内容です。

今から4500年ほど前に、ノアという信仰深い人がいました。ノア以外の地上の人びとは堕落し、神を信じません。見かねた神は大洪水を起こして、ノアとその家族だけを残し、地を一掃しようと考えました。

神はノアとその家族に「3階だての箱船を造りなさい。大きさは全長135m、幅22.5m、高さ13.5m。おまえと、おまえの息子たち、妻、息子たちの妻もいっしょに。そして、あらゆる生き物のうち、それぞれのつがいを箱船の中に入れること」と命令しました。

ノアは約100年かけて神のいう通りの箱船をこしらえ、その中にあらゆる生き物のつがいを乗せました。

それから7日後に大洪水が起きました。洪水は40日40夜続き、水は150日間も地をおおいました。そのため、箱船に乗っていない生きものは全て息絶えました。

水がひいていき、箱船は「アララト山」の上に止まりました。それから40日後、ノアは地から水が引いたかを確かめるためにハトを放ちましたが、ハトはどこにもとまる場所がなかったために箱船にもどってきました。それから7日後、ノアはもう一度ハトを放ちました。すると夕方に、オリーブの葉をくわえて戻ってきました。水がひいたことを知ったノアとその家族と動物たちは箱船の外に出ました。

ノアは祭壇を造り、いけにえに用意していた動物を神にささげると神は、これからは洪水によって生物を滅ぼすことはないと約束して、そのあかしとして、空に虹を与えました……。

 

「2月17日にあった主なできごと」

1856年 ハイネ死去…『歌の本』などの抒情詩をはじめ、多くの旅行体験をもとにした紀行、批評精神に裏づけされた風刺詩や時事詩を発表したドイツの文学者ハイネが亡くなりました。

1872年 島崎藤村誕生…処女詩集『若菜集』や『落梅集』で近代詩に新しい道を開き、のちに「破戒」や「夜明け前」などを著した作家 島崎藤村が生まれました。

1925年 ツタンカーメン発掘…イギリスの考古学者カーターはこの日、3000年も昔の古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンの、235kgもの黄金の棺に眠るミイラを発見しました。

1946年 金融緊急措置令…第2次世界大戦後の急激なインフレを抑えるため、金融緊急措置令を施行。これにより、銀行預金は封鎖され、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方、旧円の市場流通を停止、新紙幣(新円)との交換を月に世帯主300円、家族一人月100円以内に制限させるなどの金融制限策を実施しました。しかし、この効果は一時的で、1950年ころの物価は戦前の200倍にも達したといわれています。当時国民は、公定価格の30~40倍ものヤミ価格で生活必需品を買っていました。ヤミでは買わないとの信念を貫いた東京地裁の判事が、栄養失調で死亡したニュースも伝えられています。

今日2月16日は、鎌倉時代中期の僧侶で、法華経に基づく教えこそが唯一の仏教の真髄と説く日蓮宗(法華宗)を開いた日蓮(にちれん) が、1222年に生まれた日です。

鎌倉時代には、新しい仏教の宗派がいくつか誕生しました。その一つは、西方浄土に救いを求める浄土信仰の流れをくむ法然の「浄土宗」で、『南無阿弥陀仏』と念仏を一生懸命となえれば、人間はだれでも、来世で極楽浄土に生まれかわることができるというものでした。さらにその弟子の親鸞は、念仏を唱える必要もなく、阿弥陀仏は、自分にすがる者はすべて極楽浄土へ往生させると説く「浄土真宗」を開きました。

もうひとつの仏教は禅宗の流れで、栄西が「臨済宗」を、道元が「曹洞宗」を開きました。シャカが座禅を組むことで仏教を開いたことを重視し、座禅を組んで自らの力で悟りを開くことを勧めるものです。禅宗は、武士の気風にも適った宗派だったために、幕府の保護を受けて大いに栄え発達しました。

日蓮宗は、2つの流れのどちらも否定し、仏教のお経の中で、法華経だけが唯一正しいものとする排他的なものでした。

1253年4月のある早朝のこと、比叡山や高野山で修行を積んだ32歳の日蓮は、房総半島にある清澄山で日が昇るのを待っていました。そして海の向こうにご来光がさして来たとき、『南無妙法蓮華経』と大声で唱えました。そして、何人かにむかって、仏の教えの真髄は法華経にしかない。この題目を唱えることのみで、人や国は救われると説きました。そして「念仏無間(むげん)、禅天魔」(念仏など唱えていると無間地獄に落ちる、禅など悪の魔王だ)といって、浄土宗や禅宗を徹底的に非難したのでした……。

なお、日蓮の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第22巻「日蓮」をぜひご覧ください。


「2月16日にあった主なできごと」

1190年 西行死去…平安時代の末期の僧侶で歌人の 西行 が亡くなりました。西行は、旅のなかにある人間として、また歌と仏道という二つの道を歩んだ人間として、宗祇や 芭蕉 らたくさんの人に影響を与えました。

1883年 天気図…東京中央気象台が、全国11か所の測候所の観測記録を電報で取りよせ、この日わが国で初めて天気図を作成。3月1日からは毎日印刷して発行されるようになりました。

1922年 大隈重信死去…明治時代に参議・外相・首相などを歴任した政治家で、東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設させた 大隈重信 が亡くなりました。

1959年 カストロ首相誕生…事実上アメリカの傀儡(かいらい)政権だったキューバのバチスタ政権を、農民の支持を得て、武力で倒したカストロが、ラテンアメリカ最初の社会主義国を作りあげ、この日首相に就任しました。

今日2月15日は、イタリアの物理学者・天文学者で、振子の等時性や落下の法則などを発見するなど、近代科学の父といわれるガリレオが、1564年に生まれた日です。

私たちが住んでいる地球が、太陽のまわりをまわっていることを、だれでも知っています。でも、ポーランドの天文学者コペルニクスが、1543年、『天球の回転について』という論文で、太陽が中心にあって、そのまわりを惑星がまわっている「地動説」を発表するまでは、地球が宇宙のまんなかにあって動かず、太陽もほかの星も、みんな地球を中心にまわっている、という「天動説」を信じていました。

しかし、コペルニクスの「地動説」を、だれも信用するものはいません。これを証明したのがガリレオでした。

ガリレオは、1608年にオランダで発明された望遠鏡をもとに、これに改良を加えて倍率20倍という望遠鏡をこしらえ、毎晩のように星空を観察しました。すると、今まで見えなかったところに新しい星が現れたのがわかりました。

(星が見えたり見えなかったのするのは、地球がうごいているからだ)

それから間もなくして、また、大きな発見をします。金星のみちかけと太陽の黒点です。そんな発見の数々を、学生たちや身近な人たちに話しました。

そして、地動説の正しさを本に著そうとしていたガリレオに、たいへんショックなできごとがおこりました。1616年、コペルニクスの本を読んだり、地動説を唱えることを、ローマ教会が禁止したのです。

ガリレオはしんぼう強く待ちました。16年後の1632年、ようやく著書『天文対話』は出版されるとたちまち評判になりましたが、ローマ教会は、神の名をけがすものだとして、この本を発売禁止にし、ガリレオを宗教裁判にかけることにしたのです。

ガリレオは69歳、リューマチでからだが不自由なうえ、望遠鏡で太陽を見すぎたためか、視力が衰えていました。裁判は3か月にもわたりました。きびしい尋問がつづき、ついには「地球は動かない。地動説はまちがっている」という文に、サインをさせられてしまったのです。

でも、ガリレオは、ふるえるからだの奥からしぼり出すような声で「それでも、地球は、まわっている……」とつぶやいたのでした。

なお、1992年ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認めて、ガリレオに謝罪しました。ガリレオがなくなってから350年後のことでした。

ガリレオの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第5巻「ガリレオ」をぜひご覧ください。
 

「2月15日にあった主なできごと」

1618年 河村瑞賢誕生…江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した河村瑞賢が生まれたといわれる日です。瑞賢は、東回り航路や西回り航路を整え、流通経済を発展させたことなどでも知られいてます。

1877年 西南戦争はじまる…西郷隆盛は、私塾の生徒や明治新政府への不満をいだく士族ら1万数千人を率いて鹿児島を出発、熊本城を包囲しました。この乱は、「西南戦争」または「西南の役」などとよばれるわが国最後の内乱でした。戦争は9月24日まで続き、城山に籠城していた西郷らの切腹で終わりました。

1898年 井伏鱒二誕生…昭和期に活躍した作家で、『幽閉』(『山椒魚』)で認められてから、『ジョン万次郎漂流記』『駅前旅館』『黒い雪』など、ユーモアとペーソスあふれる作品を次々に著した井伏鱒二が生まれました。

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