児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2009年01月

今日1月8日は、江戸幕府の第5代将軍で、当初はすぐれた政治を行ないましたが、やがて「生類憐みの令」をはじめ、悪政といわれる政治を次々とおこなうようになった徳川綱吉が、1646年に生まれた日です。

徳川綱吉は、3代将軍家光の4男として生まれ、上野国(群馬県)館林25万石の城主をつとめたのち、34歳で、兄の4代将軍家綱のあとをついで将軍の位につきました。

江戸城へ入った綱吉は、まず、家綱時代に権力をふるっていた大老をしりぞけて、幕府の政治を将軍の手にとりもどし、さらに、心のゆるんでいる大名、旗本、代官たちをきびしくとりしまり、乱れていた幕府をたてなおしました。

いっぽう、幼いころから儒学を学んできた綱吉は、江戸の上野忍ヶ岡にあった孔子をまつる聖堂を湯島へ移し、そのなかに学問所を開いて、広く学問を奨励しました。人間の道徳を教える儒学を広めて社会の秩序を正し、幕府の政治が、だれにもさからわれずにゆきわたることを願ったのです。

将軍が江戸に学問所を開いたことで、大名たちも、各藩ごとに藩校をつくって、武士や、武士の子どもたちの教育に力を入れるようになり、そのごの江戸時代の学問の発展に、大きな影響をあたえました。

綱吉は、このほか、不正代官をとりしまり、また、武士にも町人にも農民にも親孝行をすすめ、将軍の位についた初めのころは、すぐれた政治をおこなう将軍としてたたえられました。

しかし、40歳をすぎたころから、側用人の柳沢吉保らに政治をまかせるようになると、せっかくたてなおした幕府の政治を、ふたたび乱してしまいました。その失敗した政治の第一にあげられるのが、1687年にうちだした「生類憐みの令」です。

この「生類憐みの令」をだしたのは、儒学を深く学んだ綱吉に生きものをあわれむ心があったからだとも、あとつぎの子をさずけてもらう祈願のためだったとも、いわれています。「たとえ野良犬でも、傷つけたり殺したりしたものは厳罰をあたえ、打ち首にもする」と言いわたしたのですから、たまりません。町の人びとは、綱吉を「犬公方」と呼んでにくむようになってしまいました。そのうえ幕府は、寺院の建造などにおおくの金を使い、金がなくなると質の悪い貨幣をたくさんつくったため、国の経済も乱れてしまいました。

ところが、いっぽうで、この綱吉の時代には元禄文化の花が開きました。貴族たちのぜいたくな暮らしが大きな原因になって、上方(関西)や江戸を中心に商業が盛んになり、そのおかげで、俳諧、浄瑠璃、歌舞伎など、町人の文化が栄えたのです。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのも、この時代のことでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)27巻「本居宣長・杉田玄白・伊能忠敬」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「1月8日にあった主なできごと」

1918年 平和原則14か条…アメリカのウィルソン大統領は、秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、民族自決、国際連盟の設立など、平和原則14か条を発表しました。この提唱が基になって、2年後に国際連盟が設立されました。

1941年 戦陣訓…日中戦争中のこの日、陸軍大臣東条英機は、全陸軍兵に軍人としてとるべき行動規範を示した文書「先陣訓」を通達しました。このなかに示された「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節が、多くの兵士に死を強いることになりました。

1961年 アルジェリア自決投票…フランスの植民地支配に対するアルジェリアの独立戦争は、1954年から長い間行なわれてきましたが、この日フランスの国民投票で、ドゴール大統領のアルジェリア自決政策が多数の支持を得ました。これがきっかけとなって、100万人もの犠牲者を出した戦争は終結、1962年3月、アルジェリア人民共和国が成立しました。

今日1月7日は、日本の近代郵便制度の創設者で、「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めた前島密(まえじま ひそか)が、1835年に生まれた日です。

明治初期に、はじめて郵便制度がしかれるまで、手紙は飛脚が人をやとって配達していました。その飛脚から近代郵便制へとみちびいたのが前島密です。

越後(新潟県)に生まれました密は、生まれるとすぐに両親を亡くし、12歳のときに、医者になるため江戸に出ました。しかし、ペリーの浦賀来航の事件を知った18歳のころから、これからの日本に必要なものは何かを、真剣に考えるようになりました。そして、国の守りの状態を見てまわったり、機関学、航海術を学んだり、長崎に出てアメリカ人から英語を学んだりしました。

幕府内の革新をすることによって、近代日本をつくることを思いたった密は、幕府に仕えました。31歳のときでした。やがて世の中は激しくゆれ動き、明治の時代になり、密は新政府にまねかれてはたらくことになりました。そして、東京遷都や鉄道に関する意見書を出すなどの活躍をして、数か月後には、駅逓の責任者になりました。そのころの駅逓というのは、交通や通信をあつかうところですが、まだその当時は、飛脚問屋を監督する仕事が中心でした。

長崎で英語を学んでいたときに、外国の書物を読んだりアメリカ人教師から外国の郵便のしくみについて聞いていた密は、外国に学ばねばならないと強く考えるようになりました。そこで政府に願い出て、1870年から1年間、アメリカからヨーロッパの国ぐにをまわり、郵便の研究と調査をつづけました。この間に、密の構想していた政府の手による郵便制度(まず東京ー大阪間)が実施されました。これが1871年、近代郵便制度のはじまりです。

帰国後、駅逓頭という最高責任者となった密は、外国で学び考えてきたことを、次つぎと、情熱的に実行に移しました。まもなく東京の町に書状集箱という、いまのポストをおいたのを手はじめに、たくさんの町に郵便局をおき、たちまち郵便路線は全国に広がっていきました。手紙だけでなく、お金や新聞、本などを取りあつかう制度もはじめました。こうして郵便の制度を政府の事業にし、距離によってちがっていた料金は全国均一にして、郵便を国民にとって身近なものにしていったのです。

密は、郵便のほかにも、電話や鉄道の普及、新聞の発刊や、日本初の盲人学校の設立、国語改良運動などをおこないました。また、大隈重信らと立憲改進党の創立に参加したり、東京専門学校(いまの早稲田大学)の校長もつとめました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)31巻「福沢諭吉・坂本龍馬・板垣退助」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

なお、今日1月7日は、「七草がゆ」を食べる日といわれてきました。せり/なずな(ぺんぺんぐさ)/おぎょう(ははこぐさ)/はこべら(はこべ)/ほとけのざ(たびらこ)/すずな(かぶ)/すずしろ(だいこん)/春の七草 と歌われる7種類の草を入れたおかゆを食べれば、無病息災(病気にならず健康である)という風習は、平安時代以前に中国から伝わったといわれています。単なる迷信ではなく、ちょうど正月料理に飽きたころ、冬枯れの季節に青物を補給するという食生活上の効用が指摘されています。

「1月7日にあった主なできごと」

1868年 征討令…1月3日~6日の鳥羽・伏見の戦いに勝利した維新政府は、この日江戸城にこもった徳川慶喜に征討令を出し、同時に諸藩に対して上京を命じました。征討軍の総帥は西郷隆盛。そして4月11日、徳川家の謝罪を条件に江戸城・明け渡し(無血開城)が行なわれました。

1932年 スティムソン・ドクトリン…アメリカの国務長官スティムソンは、この日「満州における日本軍の行動は、パリ不戦条約に違反するもので、これによって生ずる一切の状態を承認することはできない」との声明を発し、日本政府を弾劾しました。これが、太平洋戦争に至るアメリカの対日基本方針となりました。

1989年 昭和天皇崩御・・・前年から容態が危ぶまれていた昭和天皇が、この日十二指腸の線がんで亡くなりました。皇太子明仁親王が即位し、昭和64年は平成元年となりました。昭和は日本の元号のなかでは最も長い62年と2週間でした。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 55]

今年の干支(えと)は牛なので、年賀状には、いろいろな牛が描かれていますね。去年の干支は、ねずみでした。そして、来年は虎です。では、どうして、こんな順番になったのでしょう。

むかし、ある国の王様が動物たちを集めてパーティを開くことにしました。動物たちは、この日がくるのを楽しみにしていました。ところが、ねこは、パーティの日を忘れてしまって、ねずみに聞きにいきました。するとねずみはわざと、パーティの翌日を教えたのです。

さて、パーティの日がきました。動物たちは、先をあらそって出かけました。1番はじめに牛がやってきました。牛は足が遅いので、おくれないようにと、まだ暗い夜中に出発したのです。2番目に、虎がのっしのっしと歩いてきました。

ねずみは、大きな動物たちの間をチョロチョロ歩いていましたが、牛や虎の前に出ることができません。ねずみは、とても良いことを思いつきました。牛の背中に飛びのったのです。そして、牛が門に着くとぴょんと飛びおりて、一番最初に王様のところへごきげんうかがいをしました。

次に牛、3番目に虎が着きました。それから、うさぎ、たつ、へび、馬、ひつじが着きました。本当は、[犬猿の仲] といわれる猿と犬が早く来ていたのですが、門前で、けんかをしていて、にわとりがその仲裁をしていました。そのため、ひつじの次が猿、にわとり、犬の順番になりました。いのししも早かったのですが、[猪突猛進]、王様の門の前を通り越して走っていってしまったために、最後になってしまいました。こうしてみんなは、着いた順番に、王様へごきげんうかがいをしました。

王様は、とても喜んで、おいしいごちそうをみんなにふるまいました。それから「お前たちを、毎年、その年の干支ということにしよう。12匹いるから、12支(じゅうにし)と名づけることにする」といいました。

さて、次の日、ねこはパーティの日だと、喜びいさんで王様のところへ行きました。王様は、「今ごろ何をしにきた。お前などに用はない」と、ねこを追い返してしまいました。もちろん、干支にも入れませんでした。今も、ねこが干支の中にいないのは、こういう理由です。

それからというもの、ねこはねずみをうらんで、追いまわすようになったそうです。

あけましておめでとうございます。

いずみ書房は、今年創業35周年を迎えます。1974年、第1次オイルショックの余韻が消えやらぬ日本経済不況の真っ只中に、東京・文京区の酒屋の2階、わずか4坪ほどの事務所で産声をあげました。そのちっぽけだった会社が、35年も息をながらえてきたことに、深い感慨をおぼえます。

今また、日本経済ばかりでなく、世界中が不況の真っ只中にあって、新しい時代にどう生きていくかを模索する時代に突入した感があります。こんな時代をチャンスと受け止め、新たなスタートを切っていきたいと覚悟しています。

今年のいずみ書房は、35周年キャンペーンをはじめ、さまざまなプロモーション活動を展開してまいります。

セサミ英語ワールド 
弊社の主力商品「セサミ英語ワールド」のホームページでは、「まるわかりムービー」、ユーザーの方への「英会話ムービー」を配信し、商品の内容や価格がさらにわかりやすくなりました。

Chaoone !
いずみ通販子どもカタログ「Chaoone !(ちゃおーね)」では、クーポンの発行やキャンペーンなど、さまざまなプロモーションを行ないます。

ヘンリーおじさんのホームページ
英語子育てのプロとして人気の、ヘンリーおじさんのホームページが大好評! 「音の出るメルマガ」を中心に「SNS」「Q&A」など、サービス盛りだくさんのサイトです。

● 社長のこだわりブログ
おかげさまで、若いお母様方に向けた「心の子育て論」や「おもしろ民話集」「今日はこんな日」などが口コミで大きな広がりをみせています。
(2005年5月から開始したこのブログが、投稿数800回を突破しました。訪問者数も毎日200名を越えるようになり、多い日は500名にもなるほどです。今年も内容のある記述を心がけますので、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます)

Growth Compass~成長の羅針盤~
教育のエキスパートの方々のコラムサイト。英語教材の選び方、知育玩具の選び方など、教育業界の最前線で活躍されているかたのメッセージを発信中!

● いずとミーのまなぶろぐ
Chaoone! のロゴにもかたどられている、いずみ書房のイメージキャラクター「いず」と「ミー」のブログです。教材を使いながら楽しくあそんでいる様子を大公開!

その他にも、メールマガジンや、オンラインブックも充実し、今年はインターネットメディアでの展開を中心に、更なる発展のためにまい進する所存です。

以上、今年の会社(いずみ書房)の年賀状に、一部加筆して転載いたしました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

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