児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2009年01月

今日1月30日は、非暴力・不服従主義の提唱者で、マハトマ(偉大なる魂)とよばれ、インドを独立に導いたガンジーが、1948年に暗殺された日です。

1869年、裕福な商人の家に生まれたガンジーは、13歳で、後に共にインド独立のためにたたかったカストルバイと結婚、19歳のときイギリスに留学して法律を学んで弁護士の資格をとりました。1893年、イギリス領南アフリカにわたり、外国商社の訴訟問題にかかわるうちに、人種差別の問題に何度も直面しました。この時の経験は1915年にインドに帰国してからの民族運動に生かされています。

1917年、第一次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、インドの人たちに協力を求めました。ガンジーはこの約束を信じてインド人へ軍への志願を呼びかける運動を行いました。ところが、戦争がイギリスの勝利に終わっても、インド人が期待した自治は進行しません。イギリスへの協力が独立へとつながらないと感じたガンジーは、イギリス製の綿製品ではなく、伝統的なインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、不買運動を行ったため、何度も投獄されました。しかし、ガンジーはいっさいの武力闘争を否定し、非暴力・不服従の姿勢を貫いて、断食闘争などを続けました。

この静かな抵抗運動の広がりにイギリスもとうとう、第2次世界大戦終了後インドの独立を認めざるを得なくなります。ところが、今度はヒンズー教とイスラム教の宗教的な対立から、インドとパキスタン(現在のパキスタン及びバングラデシュ)の2つに分裂したまま独立することになってしまいました。この宗教対立の嵐が全土に吹き荒れたため、ガンジーは何度となく断食するなど、身をていして宗教の融和と寛容を訴え、両国の統一に力をそそぎました。しかし、ヒンズー原理主義者からはムスリムに対して譲歩しすぎるとして敵対視されました。そして、1948年のこの日、ガンジーはニューデリーで、ヒンズー教過激派の銃弾に倒れてしまったのです。

ガンジーの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「ガンジー」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。

「1月30日にあった主なできごと」

1649年 チャールズ1世処刑…1628年、イングランド議会から国王チャールズ1世に対して出された「権利の請願」は、大憲章(マグナカルタ)・権利章典とともにイギリス国家における基本法として位置づけられていますが、チャールズ1世はこれを無視して議会と対立。3日前に公敵として死刑の宣告を受けた国王が、この日処刑されました。こうして議会が国政に参加する権利を確立した「清教徒(ピュリタン)革命」が終結しました。

1902年 日英同盟…清(中国)や韓国に進出しようとするロシアに対抗するため、この日ロンドンで「日英同盟」が結ばれました。イギリスの清、日本の清や韓国の権益を相互に認め、一方が戦争になったときは中立を守り、そこに第三国が参入したときは援助しあうというものでした。当時のイギリスは、アフリカでの戦争に消耗しており、ロシアの南下をおさえる「憲兵」の役割を日本に期待したもので、日本は日露戦争への道をたどりはじめました。

今日1月29日は、フランスの理想主義的大作家、思想家のロマン・ロランが、1866年に生まれた日です。

ロマン・ロランは、長編小説『ジャン・クリストフ』でノーベル文学賞を受賞した、フランスの小説家です。教育熱心な両親に育てられたロランは、20歳のときにパリの高等師範学校へ進んで歴史と哲学を学び、卒業ごは、2年間イタリアへ留学して、さらに音楽史や美術史を研究しました。また、留学中に、理想主義にもえるマイゼンブルク夫人と知りあって、楽聖ベートーベン、文豪ゲーテらの生涯について教えられ、偉大な人びとへの尊敬と愛をふかめました。

帰国ご、高等師範学校とパリ大学で芸術史、音楽史を教えるようになりましたが、やがて、『狼』『ダントン』などの革命劇を書きはじめました。1894年に、軍の横暴で無実のユダヤ人が投獄される「ドレフュス事件」が起こり、この事件にしげきされて、人間の自由を守るための革命に心をひかれるようになったのです。そして、つぎには、芸術家たちの純粋な心を見つめて『ベートーベンの生涯』『トルストイの生涯』『ミケランジェロの生涯』などの伝記を、次つぎに発表しました。

「偉大な芸術家たちにも、あんな苦しみがあったのか」

伝記を手にした人たちは、人生のきびしさを学びました。

人間の成長の歴史を、社会の発展とむすびつけてえがいた大河小説『ジャン・クリストフ』。この大作にとりくみ始めたのは、ロランが38歳のときでした。ベートーベンを愛したロランは、この大音楽家の生涯を心のどこかにとどめていました。そのためか、この小説には、真実に向かって勇ましく生きぬいていく人間のすがたが、みごとにえがきつくされています。

「人間は、勇気をもって気高く生きなければいけない」

およそ10年の歳月をかけて書きあげられた『ジャン・クリストフ』は、世界じゅうの人びとに大きな感銘をあたえました。

1914年に第1次世界大戦が始まりました。ロランは、人間愛にもえてペンをとり、小説『ピエールとリュース』、評論『戦争を越えて』などで、戦争の悪を叫びつづけました。また、戦争が終わってからも、インドのガンジーらと手をとりあって、人類の平和をむしばむ地球上の帝国主義と闘いました。

67歳のとき、人間の良心の勝利をえがいた、ロランの第2の大作『魅せられたる魂』を書きあげ、そのごも、衰えていくからだにむちうって、人間の自由をたたえる作品を発表していきました。第2次世界大戦中の1944年、ロランは、人間の理想の道をあゆみつづけた78歳の生涯を終えました。『ベートーベン研究』が、最後の大きな仕事でした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)15巻「キュリー夫人・ライト兄弟・ガンジー」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、ロマン・ロランの代表作 「ジャン・クリストフ」 (全10巻・豊島与志雄訳)を公開しています。

「1月29日にあった主なできごと」

1872年 初の人口調査…近代的人口調査を実施してきた明治新政府は、この日総人口3310万9826人と発表。この年から江戸時代の人別帳にかわる戸籍が作成されました。

1957年 南極に昭和基地…南極観測隊はオングル島に到達し「昭和基地」を開設しました。34名の隊員のうち、西堀隊長以下11名が初の越冬観測のためここに残りました。

今日1月28日は、1582年、京都・本能寺で織田信長が家臣の明智光秀に暗殺される数か月前、ローマ法王に謁見することになる「天正少年使節」が長崎の港を出発した日です。使節団によってヨーロッパの人々は日本の存在を知ることになり、8年5か月後、彼らの持ち帰ったグーテンベルグ印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われました。これらは、日本とヨーロッパのつながりの上で重要な事件といってよいでしょう。

イエズス会の宣教師バリニヤーニは、九州のキリシタン3大名、大友宗麟(そうりん)、有馬晴信、大村純忠に、日本の使節をローマ法王のもとに送ってみてはどうかと提案したところ、3大名とも大賛成、4人の少年を選びました。正使に伊東マンショと千々石(ちぢわ)ミゲル、副使に原マルチノと中浦ジュリアンで、いずれも当時13、4歳でした。

長崎の港を出航した一行は、マカオ、インドのゴアを経て、アフリカ南端の喜望峰をまわり、2年半後にポルトガルの都リスボンに到着しました。さらに、スペインの首都マドリードで国王に会ったあと、1585年3月22日にローマ入りし、翌日バチカン国でローマ教皇グレゴリオ13世に謁見することになりました。

「地の果てからの使者」がキリスト教の総本山にやってきたということで、ローマじゅうはたいへんな騒ぎになりました。軍隊や役人が行列を作り、ラッパや太鼓にあわせてサムライ姿の3人(中浦ジュリアンは病気で欠席)は、サンピエトロ寺院まで行進しました。宮殿では祝砲がうち鳴らされるなか、法王におめどおりの式がおこなわれました。しきたりにしたがって、3人は法王の足もとにひざまずき、足にせっぷんをしました。法王は少年たちの額にせっぷんをかえすと、3人はあいさつをのべ、3大名からの手紙を法王にささげました。実に立派なふるまいだったと、たくさんの出版物に記されています。

4人の少年使節は、その後イタリア各地をめぐり、ふたたびスペインをへてリスボンへもどったあと帰国の船にのり、1590年6月長崎にもどりました。しかしそのときは、豊臣秀吉が全国を統一、キリシタン信仰をかたく禁じていて、信者たちにとっては暗い時代が始まっていたのでした。

「1月28日にあった主なできごと」

712年 古事記完成…太安万侶が元明天皇に「古事記」を献上しました。「古事記」は「日本書紀」と並ぶ古代の2大歴史書の一つで、稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた歴史を、安万侶がまとめあげたものです。

1687年 生類憐れみの令…徳川第5代将軍綱吉は、この日悪名高き「生類憐れみの令」を出し、亡くなるまでの23年間にわたり人々を苦しめました。犬や猫、野生の鳥獣保護ばかりでなく、食用の魚貝類やにわとりまでも飼ったり売買を禁止しました。

1912年 南極に日章旗…白瀬矗(のぶ)率いる南極探検隊が、南緯80度付近に日章旗をかかげ「大和雪原」と命名しました。のちに、この地は氷上であって、南極大陸ではないことが判明しました。

1月25日の日曜日に、東京・一ツ橋にある日本教育会館で行なわれた「こどもシンポジュウム」という、子ども英語教育のカリスマ的実践指導者4氏(阿部フォード恵子、仲田利津子、中本幹子、松香洋子)、コーディネーター小川隆夫氏によるパネルディスカッションに参加してきました。

すでに新聞報道などで、文部科学省が昨年3月に小学校学習指導要領の改訂を告示し、小学校5、6年生に週1コマ「外国語活動」を実施することは知っていました。正式には、2011年4月からの実施(ただし教科とはしない)となりますが、今年の4月から移行措置として、国は前倒し実施するよう要請していることから、おそらく80%の小学校で、試行錯誤しながらの英語教育がおこなわれることになるようです。

そんな現状からか、2万1千校といわれる全国の小学校へ案内状が送られたそうで、会場は英語の責任者を中心に300名もの人々の熱気で充満していました。主催者の話によると、参加希望者はたちまち定員の300名を越え、しかたなく、モニター視聴ができる別会場を用意し、それも1000名で締切るほどだったそうです。

今年度の予算は、4億1千万円で、そのほとんどは、教科書にあたる2冊の「英語ノート」の制作費(1-150万冊、2-100万冊発行)にあてられ、5、6年生用ともにレッスン1~9で構成、それぞれにCDが添付されるようです。内容は実に盛りだくさんで、これを1年間わずか35時間の授業時間で教えるのは、とてもこれまでの常識では考えられないとパネラーたちは頭をかかえていました。それでも、さすがカリスマ指導者たちは、それぞれにユニークな授業の進め方を、とてもわかりやすい言葉で語っていたのは印象的でした。

いずれにせよ、韓国から遅れること12年、わが国でもようやく小学校に英語が必修化されることに感銘するとともに、早く軌道にのせ、中学、高校、大学の英語教育との一貫性を明確にし、世界の人たちと互角にコミュニケーションのはかれる英語力が身につくことを期待したいと思います。

「読み聞かせ」のすすめ 18

子どもへの「読み聞かせ」のさい、できれば実行してほしいことがあります。それは、家で読み聞かせるような場合でも、読み聞かせる本を、事前に読んでおくというものです。

そうすれば、その本の内容、展開、主題、山場(やまば)がどこかがわかります。そのため、間のとりかた、声の強弱、話の進め方の速さなどを考えながら読み聞かせることによって、子どもをより深く、引きつけることができるでしょう。

物語の山場や、子どもが最も大きく反応すると思われるところでは、子どもの目をみつめながら、間があきすぎるくらい間をおいて、ゆっくり読み進めてみてください。そうすることで、「この次はどうなるのだろう」という子どもの心を強くひきつけながら、より深く、子どもに訴えていくことが可能になります。「この後どうなる」という思いが強ければ強いほど、この後の展開が、子どもの心に深く響くことはまちがいありません。

読み手自身が、はじめて手にする本を読む場合、どうしても、どこも同じ調子で読んでしまいがち。「せっかく読み聞かせるのだから、一度読んでおこう」──これも大切な愛情なのではないでしょうか。

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