児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2008年09月

今日9月22日は、1946年太平洋戦争敗戦の翌年に首相に就任、以来5回にわたって首相をつとめ、親米政策を推進して日米講和条約、日米安保条約を締結した吉田茂が、1878年に生まれた日です。

日本は、太平洋戦争に敗れた1945年をさかいに、それまでの軍国主義を捨て、民主主義国家をめざして歩みはじめました。吉田茂は、このとき、およそ8年のあいだに5度も内閣の首相をつとめ、新しい日本のスタートに力をつくした政治家です。

1878年に、高知県出身の政治家竹内綱の5男として生まれ、幼いうちに横浜の吉田家の養子となった茂は、学習院に学んで東京帝国大学へ進み、28歳で大学を卒業すると外務省へ入りました。そして、そのご約30年は、ひたすら、外交官として活躍をつづけました。

茂が50歳をすぎたころから、日本は、中国や東南アジアへの侵略を考え始めました。しかし、イタリア大使、イギリス大使などを経験して外国の事情に明るかった茂は、日本が戦争への道を進むことには反対でした。戦争が始まってからも和平をとなえ、そのため憲兵隊にとらえられたこともありました。

戦争が終わったつぎの年の1946年に、吉田茂内閣が生まれました。その年の総選挙で日本自由党が政権をにぎると、それまで平和外交の信念をつらぬきとおしてきたことが、おおくの人にみとめられて、党の総裁に迎えられたのです。

終戦後の日本の政治は、アメリカなどの占領軍の考えにそって進めなければなりませんでした。戦争に負けたからです。茂は、荒れ果てた日本を見わたして、第一歩をふみだしました。

まず、第九条に「日本国民の戦争放棄」をうたいあげた、新しい日本国憲法を制定しました。また、真理と平和を愛する国民を育てるための教育基本法を定め、中学校までを義務教育にする六・三・三・四制の教育制度を発足させました。

いっぽう、それまでの地主制をあらためる農地改革法によって、貧しい農民でも土地がもてるようにしたほか、労働基準法を定めて、労働者の権利が守られるようにしました。

歴史に大きく残っているのは、サンフランシスコにおける対日講和条約の調印です。1951年9月、日本の代表として講和会議にのぞんだ茂は、アメリカをはじめ48か国と平和条約をむすび、日本を、ほんとうの独立国家として出発させました。

吉田内閣は、いちじは、労働運動や共産主義に弾圧をくわえるなど、民主主義にそむくこともおこないました。また、アメリカと安全保障条約をむすび、やがて自衛隊をつくるなど、そのごに大きな問題を残した政治も進めました。しかし、そのような政治への批判はあっても、日本を敗戦から復興へみちびいた功績によって、信念ある政治家としてたたえられています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 35巻「与謝野晶子・石川啄木」の後半に収録されている14名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「9月22日にあった主なできごと」

1852年 明治天皇誕生…父孝明天皇の死後、1867年に即位。明治天皇は、江戸第15代将軍徳川慶喜の大政奉還後、王政復古を宣言。翌1868年には、国民の考えを尊重することなどを誓った「五箇条の御誓文」を発表して新しい政治の大方針を打ちだしました。そして、日本の近代化と天皇制国家の確立に重要な役割を果たしました。しかし、天皇の権力が絶大になり、これを日清・日露戦争に勝利した軍隊が利用し、その後の日本が軍国主義に導かれていったことも忘れられません。

1862年 リンカーン奴隷解放宣言…第16代アメリカ合衆国大統領リンカーンは、2年前に合衆国から脱退したアメリカ南部連邦11州との戦い(南北戦争)の最中、「翌年1月1日から奴隷解放を実施する」という歴史に残る宣言を布告しました。

1868年 会津若松城落城…4月の江戸城無血開城のあと、会津藩主松平容保(かたもり)は、仙台・盛岡・米沢・庄内などの諸藩と同盟して、旧幕府軍の残党を加えて、薩摩・長州などを中心とした官軍とたたかうことになりました。8月に官軍の一隊は同盟の中心となっていた会津若松城下に入り、市街戦、籠城戦となりましたが、この日降伏開城、半年近くに及ぶ会津戦争は終わりました。

「読み聞かせ」のすすめ 3

母親から子どもへの「読み聞かせ」──これにいちばん大切なことは、読み聞かせるときの母親の 「心」 です。母から子への読み聞かせには、心のふれあいに大きな意味があるのですから、その心が欠けた読み聞かせでは何にもなりません。

「お母さんは忙しいのよ、早く始めましょ」 「早くしないと読んであげないわよ」 では、だめです。初めから心がとぎれています。15分か20分を子どもといっしょに遊び楽しむ気持ちにならないと、心と心が通いあわないのです。

「さあ、お母さんと○○ちゃんの、一番楽しい時間のはじまり、はじまり~」 といいながら、まず自分が本を持ってきて、にこにこしながら座るといった、そんなあたたかさがあると、きっと成功するはずです。そしてこのときばかりは、お母さんの心が澄んでいないと、読み聞かせている作品に自ら感動することはできません。感動のない読み聞かせでは、子どもに感動を与えるはずはなく、せっかくの読み聞かせも形だけに終わってしまいます。

母親と子どもが共通の時間を楽しみ、おまけに1冊の本から得たあたたかさや、悲しみや、怒りや、喜びや、そして感動を分け合う──これがすばらしいのですから、口だけ動かしているような読み聞かせでは意味がありません。

「読み聞かせを続けようと思っても、子どもがついてこない」 というお母さん、お母さんの心に、まだ何かが足りないのではないでしょうか。

「読み聞かせ」のすすめ 2

家庭での 「読み聞かせ」 の大切さが説かれるようになった理由として、子どもの心を豊かにするほかに、もう一つすばらしいことがあります。それは、親と子の心のつながりを深めるということです。

テレビや、学校のテスト主義などによって、母親と子どものあいだに、少しずつ 「心のすきま」 ができてきました。そこで、読み聞かせにより、母と子が一つの世界を共有することで、心のすきまをうめていくことが願われたのです。

母と子が、たとえ10分でも20分でも、1冊の本、ひとつの物語のなかに心をとけあわせる。子どもにとっては、何にもまさる母親の暖かい声につつまれながら、充実した時間を共有する。これほどすてきなことは、他にあまりありません。

子どもは、時がたてば、読み聞かせてもらった本の内容は忘れてしまうかもしれません。でも、いっしょにページをめくった母親のぬくもり、自分のために読んでくれたやさしさ、ともに受けた感動は、いつになっても忘れることはないでしょう。

今日9月18日は、ロシアの科学者で、飛行機が登場する以前から宇宙旅行の夢を描き、人工衛星や人類の月面到着や、多段式ロケットの利用などを理論的に研究していたチオルコフスキーが、1857年に生まれた日です。

宇宙ロケットの研究を、いまからおよそ100年ほど前に世界で最初に始めたのが、ロシアの物理学者コンスタンチン・エドアルドビッチ・チオルコフスキーです。

1857年にモスクワ近くの小さな村で生まれたチオルコフスキーは、9歳のとき、しょうこう熱という病気にかかって耳が聞こえなくなってしまいました。

学校へも行けず、友だちとあそぶこともできませんでした。少年のチオルコフスキーには、音のない暗い毎日がつづきました。しかし、そんなさびしさを、父の持っていた科学や数学の本が救ってくれました。やがて風の力で走る帆車や、きょりを測る天測儀などを作り、村で評判の科学少年になりました。

チオルコフスキーは、16歳のときモスクワへ勉強に行き、毎日図書館にかよっては、ひとりで勉強にはげみました。やがて、ふるさとに帰り、先生の資格をとって、村の中学校の数学教師になりました。

「人類が宇宙を飛びまわる日が、かならずやってくる」

飛行機が発明される20数年もまえでしたが、教師となったチオルコフスキーは、すでに宇宙への夢をいだいていました。

1903年、アメリカのライト兄弟が木と布の飛行機で初めて空を飛ぶのに成功しました。しかしもっとすすんだ飛行機を研究していたチオルコフスキーの心は、少しもさわぎませんでした。

「飛行機は、重くても金属でなければだめだ。機体は流線型にして、つばさは2枚や3枚よりも1枚のほうがよい」

チオルコフスキーは、ただ空に浮かぶというだけではない飛行機の未来のすがたを、考えていたのです。

飛行機ばかりではありません。ライト兄弟の成功より10年もまえから『月の上で』『地球と宇宙にかんする幻想』などの空想科学小説や、『ロケットによる宇宙空間の研究』などの論文を書いて、ロケットや人工衛星のことまで考えていました。さらに、人間が月の上に立つことさえ見通していたのです。

1917年にロシア革命が起こってソビエト政府ができると、チオルコフスキーは科学アカデミー会員にえらばれ、宇宙に飛びだすための多段式ロケットの研究をつづけました。そして1935年、宇宙への夢を、自分の育てた研究者たちにたくして、78歳で亡くなりました。

1959年に月の裏がわの写真さつえいに成功したソ連では、その噴火口のひとつを「チオルコフスキー噴火口」と名づけて、この偉大な宇宙科学者をたたえました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 13巻「ノーベル・マークトゥエーン・コッホ」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「9月17日にあった主なできごと」

1062年 前九年の役…平安時代後期、奥州(東北地方)を舞台に、源頼義が、東北地方の大豪族安倍一族を滅亡させた戦役。1058年安倍頼時ひきいる蝦夷軍が源頼義の挑発にのって敗北、安倍頼時の子貞任(さだとう)・宗任(むねとう) 兄弟は、亡父にかわって抵抗し戦いを有利に進めました。しかし、源頼義軍が出羽の豪族清原武則を味方につけ逆転、この日の厨川(くりやがわ)の戦いで安倍貞任は討死、宗任は降伏しました。

1789年 「寛政の改革」第1弾…天明の大飢饉のあと老中となった松平定信は、米を蓄えておけば、百姓一揆や打ちこわしが防げるだろうと考え、この日全国の諸大名に1万石につき50石の割合で米を蓄えるという囲米(かこみまい)を命じました。

1894年 黄海の海戦…黄海は、朝鮮半島と中国山東半島の間にある海で、ここで日清戦争最大の海戦といわれる戦いがおこり、激戦の末、日本の連合艦隊が、清の北洋艦隊を破りました。これにより、日本は完全に制海権を握り、以後の戦局を有利に進めることができました。軍歌「勇敢なる水兵」(♪ 煙も見えず雲もなく 風もおこらず波立たず 鏡のごとき黄海は 曇り初めたり時の間に) が、全国で歌われるようになりました。

1964年 モノレール羽田線開通…山手線浜松町駅と羽田空港を結ぶ東京モノレール羽田線が、この日開通しました。東京オリンピックに間に合わせるために、終夜の突貫工事が行われたため多大な建設費がかかり、当初は途中駅がなく乗客は空港利用客のみ。タクシーの初乗り料金100円のころにしては、運賃片道250円と高かったたためか、乗車率20%程度だったようです。

「読み聞かせ」 のすすめ 1

「読み聞かせ」 のすばらしさ、大切さが広く口にされるようになったのは、いまから40年近く前、昭和40年代後半のころからです。おとなが子どもに本を読む──ただ、これだけのことですが、では、なぜその頃から、その実践が全国にひろまったのでしょうか。

その理由は、生活の中にテレビとマンガがどんどん入っていって、子どもたちがそれにおぼれはじめていたからです。このままでは、みずみずしさをたたえていかなくてはならない子どもの心の泉が枯れてしまう、たくさんの子どもたちが人間にとってもっとも大切な 「自分の頭で自由に、創造的に考えることを忘れてしまう」。こんなことを心から心配した人々が、なんとかそれを食いとめてやらなければならない、それにはやはり読書がいい。でも、子どもたちに本を読め読めというだけでは、なかなか読まない。それなら、おとなが読み聞かせて、子どもたちに本のなかの豊かなものを伝えよう、本のなかの楽しさを味あわせよう。そして、本を読む人間を一人でも多く育てよう──と考えたわけです。

子どもたち一人ひとりが、ほんとうに子どもらしい子どもに、人間らしい人間に育っていってほしい。「読み聞かせ」 には、こんな願いがこめられています。

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