児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2008年04月

今日4月2日は、「マッチ売りの少女」「親指姫」「はだかの王様」「人魚姫」「赤い靴」など、世界中の子どもたちに親しまれている150編以上の童話を著したアンデルセンが、1805年に生まれた日です。

アンデルセンの童話に「みにくいあひるの子」というお話があります。容姿がみにくいために、親にみはなされ、仲間にいじめられてひとりぽっちになったあひるが、さまざまな苦労と闘いながらもなんとか生き抜き、あこがれの白鳥になったことを知るエンディングは、人々を感動させずにはおかない名作です。この作品は、子どもの頃から人一倍苦労して成長したアンデルセンの、魂のいたみを描いた自伝だといわれます。

アンデルセンは、デンマークのオーデンセという町の、貧しい靴直しの家に生まれました。11歳の時に父がなくなり、読み書きもできない母親は、毎日よその家の手伝いにでかけました。家に残ったアンデルセンは、手作りの人形や舞台をこしらえ、劇をやって遊んでいました。学校へ行っても、ただぼんやりしてるばかりで、成績もよくありません。そのため近所の人は、「うすのろ」といってばかにしていたようです。まもなくアンデルセンは学校をやめて、小さな工場で働くようになりましたが、15歳の時、母親の止めるのもきかず、役者になろうと首都のコペンハーゲンに出かけました。でも、やとってくれるところはなく、飢え死にしそうになるほどの苦労をしました。やがて、アンデルセンの素直な心や才能を認めてくれる人があらわれ、金銭的な援助をしてくれました。役者や歌手になるより作家をめざすようになり、詩、小説、戯曲などさまざまな創作をはじめました。

アンデルセンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のオンラインブックで公開していますので、ぜひのぞいてみてください。

アンデルセンの生きていた頃は、ドイツを中心に、ロマンチシズムといわれる文学が大きく花開いた時代でした。ホフマンの「くるみ割りとねずみの王様」、ハウフの童話、グリム兄弟の童話集など、子ども向け童話もたくさん生まれました。アンデルセンは、これらの童話に刺激をうけながら、それをりっぱな様式をそなえた純粋な文学に高めました。そこが「童話の王様」といわれるゆえんです。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 40]

昔ある村のお寺に、少しばかり欲ばりな和尚さんと、珍念と万念というふたりの小僧がいました。和尚さんは、檀家からおもちをもらっても、小僧たちに分けてやらずに、いつも一人で食べてしまいます。

今夜も、小僧たちが寝るのを待って、自分の部屋でおもちを焼いていました。やがて、ぷっくりおもちがふくれて、とってもよいにおいです。「おう、焼けたぞ、焼けた」。和尚さんはおもちをつかむと、パタパタたたたいておこげを落とし、それから熱いおもちをプウプウ吹きながら食べます。

戸のすきまからこの様子をのぞき見していた小僧たちは、何とかしてこのおもちを食べたいものだと思いました。そこで二人で相談をして、次の日の晩、寝る前に和尚さんのところへいって、こういいました。「お願いがあります。ぼくたちに新しい名前をつけてくれないでしょうか」 「何? 新しい名前だと?」 「はい、珍念はパタパタ、万念はプウプウという名前にしてもらいたいのです」

和尚さんは、おかしな名前だとは思いましたが、二人がそうしてほしいというならしかたがない、それに早く寝かさないとおもちが食べられません。「よし、わかった」 「ありがとうございます。では、おやすみなさい」 小僧たちは、部屋を出ていきました。

さっそく、和尚さんはおもちを焼きはじめると、まもなくおもちがぷっくりふくれます。和尚さんはおもちを持つと、パタパタとたたいておこげを落としました。すると、珍念のパタパタが飛んできました。「はいパタパタです。何かお呼びでしょうか」。和尚さんはびっくりして、「呼びはせんが、お前も一つ食え」 と、しぶしぶおもちをあげました。

それから二人がプウプウ吹きながら熱いおもちを食べていると、「はいはいプウプウです。お呼びですね」 と、万念のプウプウが入ってきました。「呼びはせぬが、お前もいっしょに食え!」 こわい顔で、和尚さんはいいました。小僧たちは、ニッコリ笑いながら、うれしそうにおもちをいただきました。そして、和尚さんがまごまごしているうちに、おもちは全部なくなっていました。

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