児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2008年03月

このたび、いずみ書房のホームページ・「オンラインブック」に、新たに「レディバードブックス100点セット」の日本語訳を公開しました。「レディバードブックス100点セット」というのは、1987年に英国レディバード社(当時社長マルコム・ケリー氏)が刊行していた「レディバードブックス」約600点のうち、日本人になじみの深い100点を厳選し、全点の日本語翻訳権を得て刊行したものでした。

原書絵本100冊に、それぞれの日本語全訳の冊子、さらに、ピックウィックという音響メーカーとレディバード社がタイアップしてこしらえた絵本を朗読したカセットテープ80点・80本を、木製の専用書架、専用カセットケースに収録した、まさに空前絶後の大型企画でした。

現在レディバード社は「ペンギン・ブックス」に買収され、ピーターラビットを刊行するフレデリック・ウォーン社などと同じように、「ペンギン・ブックス」の1事業部になっていますが、当時のレディバード社は、ロンドンの北西約150kmの典型的なイングランドの小都市にあって、企画・編集・デザインから、印刷から製本までもすべて自前で生産する一貫工場を所有していました。出版社というのは、日本でも英国でも、印刷や製本を外注するところがほとんどで、自社工場をもっている会社はきわめて例外的。しかも1日10万冊以上を製造する能力があって、年間2000万冊以上を世界中に普及させていたのも、この大工場があってはじめて可能になっていたのでしょう。

私が、「いずみ書房」を創業するキッカケになったのも、この「レディバードブックス」のようなシリーズを刊行したい、日本に普及したいという熱い思いにあったことは、このブログに何度も記してきましたのでくりかえしませんが、このシリーズがいかに壮大なものであったかは、日本語訳を読んでいただくだけでも、その片鱗をご理解いただけるのではないかと思います。

このシリーズは、当時セット価168,000円で販売していました。しかし、今やカセットの時代からCDの時代に大変貌してきました。また、レディバード社も大きく変わってしまって、当時の刊行物は15年以上も前からすべて絶版、入手不可能になってしまっています。

当社としましては、原書絵本やカセットは僅少ながらも当時のものを在庫しているため、終了してしまった日本語訳をネット公開することにより、通信販売カタログ「チャオーネ」2008年春号に、特価58,000円で、このシリーズの再販売にふみきったわけです。

関心がおありの方は、ぜひ「オンラインブック・レディバードブックス100点セット」にアクセスしてみてください。なお、セット内容により何点かのタイトルに違いがあるため、103点の日本語訳を公開しています。

私の好きな名画・気になる名画 15
  
%83~%83P%83%89%83%93%83W%83F%83%8D%20%81u%8D%C5%8C%E3%82%CC%90R%94%BB%81v.jpg イタリアの首都ローマの一角にある、カトリックの総本山バチカン市国。世界最大の教会サン・ピエトロ寺院のまわりには、たくさんの宮殿や礼拝堂があり、その最大のものがシスティナの礼拝堂です。幅13.3m、奥行40.5mで、1481年に完成しました。そして、当時の一流の芸術家が装飾を担当しましたが、この天井画を描いたのが、ミケランジェロです。13×36mという史上最大のこの絵は、1508年~1512年、ミケランジェロが33歳の時、およそ5年間かけ、旧約聖書の「創世記」にある「天地創造」から、アダムとイブが「楽園追放」されるまでの物語を描いたものでした。苦心惨たんしながらほとんど独力で完成させたこの壮大な天井画については、後日、改めて記述したいと思っています。

最後の審判」は、天井画を描いてから20年以上もたった1536年、時のローマ法王クレメンス7世から、同じ礼拝堂の正面の壁に絵を描くように依頼され、構想から6年以上の歳月をかけ、1541年、ミケランジェロ66歳の時に完成させた幅13.3m、高さ14.5mの大作です。

「最後の審判」というのは、この世の終わりにキリストが善悪の裁きをして、善人は天国へ、悪人は地獄へ落とすという信仰に基づくもので、過去にたくさんの芸術家が、これをテーマに絵や彫刻に作り上げてきました。ミケランジェロは、そんな先輩たちの作品を参考にしながらも、空間においても、雄大さにおいても、独自の構想や構図を作り上げ、登場人物400名以上という圧倒的な迫力で豪快に完成させました。

中央上方に、右手を高く上げる身ぶりで、罪人を地獄にふり落とすキリストを中心に、そのかたわらで、天上に昇る善人を見守る聖母マリア。二人のすぐ両側には、ヨハネ、聖ペトロ、聖バルトロマイら預言者や使徒たちを配し、キリストが顔をむけている向かって右側は、罰せられて地獄に落ちていく人々、左側は救われて天上に引き上げられていく人々なのがわかります。

ミケランジェロは、キリストをはじめ主要人物を全裸で描きました。ところが、教会の祭壇に全裸では困るという声があがり、後の法王パオロ4世は、ダニエレという画家に命じて、腰布など44か所を描かせました。そのためダニエレには、「ブラゲットーネ」(「ズホン絵かき)というあだ名がつけられそうです。

なお、今日3月6日は、ミケランジェロが1475年に誕生した日です。その生涯につきましては、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 36]

昔、評判のよかった手品師がいましたが、死んでしまいました。人は死ぬと、冥土の旅に出かけなくてはなりません。手品師はその旅のとちゅうに、やはり生きているころ、腕のよかった歯医者と、かじ屋に出会いました。かじ屋というのは、金属を打ちきたえて、物をこしらえる人です。

3人は 「よい連れができましたね。いっしょに、エンマ様のところへ行きましょう」 ということになって、三途の川をわたりました。まもなく鬼につかまえられて、エンマ様の前に連れてこられました。

「お前たちは、生きていた頃、いろいろ人をだまして金もうけをしてきた。だから、地獄行き!」 といいます。3人は 「そりゃ金もうけはさせてもらいましたけど、たくさんの人に喜んでもらって、良いことをしてきたつもりです。どうぞ、極楽へ」 と抗議しました。でも、エンマ様は聞き入れてくれず 「地獄の釜の中にほうりこんで、煮てしまえ!」 と、赤鬼と青鬼に命じました。しかたなく3人は、力をあわせて頑張ろうと誓いあいました。

鬼たちは、ぐらぐら煮えたった大釜のところへ3人を連れてくると、手品師は 「私を先に」 といいました。鬼たちはまず、手品師を大釜へ投げこみました。すると手品師は、術を使って、煮えくりかえっているお湯をお風呂のお湯くらいに変えてしまいました。歯医者とかじ屋も大釜の中へ。でも、いいあんばいのお湯です。「地獄にいながら、こりゃ極楽だぁ」 と、手ぬぐいで顔や手を洗ったりしています。

「エンマ様、あいつら ♪いい湯だな、なんて歌ってます」 エンマ様は 「それじゃ、針の山へのぼらせろ!」 と鬼たちに命じ、3人は大釜から出されて、針の山へ引き上げられました。かじ屋はその間に、鬼の金棒を、さっと靴3足にこしらえてしまいました。そして、金棒の靴をはいた3人は、ふつうの山のように、針の山を上ったり下ったりして遊んでいます。

鬼たちから様子を聞いたエンマ様は、かんかんに怒って、こんどは赤鬼に 「3人とも食っちまえ! 」 と命令しました。すると歯医者は、さっと赤鬼の口の中に入り、道具を出して、鬼の歯をみんなぬいてしまいました。歯のなくなった赤鬼は、3人を丸のみします。

お腹の中の3人は、赤鬼の笑うスジを見つけて、引っぱりました。すると鬼は、ワッハッハッハ…、と大笑い。こんどは泣くスジを引っぱると、エーンエーン…と泣き出します。これは面白いとばかり、笑うスジ、泣くスジ…と何度も何度も交互に引っぱりました。赤鬼は苦しそうにのたうちまわります。それから3人は、こんどはくしゃみのスジを見つけて、力いっぱい引っぱりました。すると 「ハックション!」 大きなくしゃみとともに3人は、鬼の口から飛び出しました。そばに、赤鬼がドテーンとのびています。

この様子を見たエンマ様は 「まったく手に負えないやつらだ。こんなやつらにかまっていたら、仕事が滞ってしまう。すぐに娑婆(しゃば)へ送り返してしまえ!」 といいました。

こうして3人は、この世にもどってきました。あう人ごとに、地獄見物のみやげ話を、自慢げに語っていたということです。

今日3月4日は、大正時代の白樺派作家の中では、唯ひとり社会性の高い作品を数多く残した有島武郎(ありしま たけお) が、1878年に生まれた日です。

絵のぐをぬすんだ生徒と、その生徒をやさしくいましめる先生との、あたたかい心のふれあいをえがいた『一房の葡萄』。この物語の作者、有島武郎は、大蔵省につとめる身分の高い役人の長男として、東京で生まれました。

少年時代の武郎は、若いときは薩摩藩(鹿児島)の武士だった父から、きびしく育てられました。しかし、いっぽうでは、早くから外国人の家へ英語を習いに行かされ、また、小学4年生からは学習院へかよわされて、まるで王子のように、たいせつにされました。性格のおとなしい武郎は、父にはぜったいに、さからわなかったということです。

学習院中等科を終えた武郎は、おくれている日本の農業の発展に力をつくすことを考えて、札幌農学校(いまの北海道大学)へ進みました。そして、キリスト教の自由な教育を受けるうちに、自分もキリスト教を信仰するようになりました。武郎が、人間の心のなかの神と悪魔について深く考えるようになったのは、このころからです。

農学校を卒業すると、1年ほど軍隊へ入ったのちにアメリカへ渡って歴史や経済を学び、おおくの外国文学にもふれて3年ごに帰国したときは、キリスト教への信仰を失い、人間の平等な幸福を求める社会主義に心をよせるようになっていました。キリスト教を信仰するアメリカ人が、じっさいの生活では、不平等な資本主義のなかで生きているのを見ているうちに、考えがかわってしまったのです。

武郎は、29歳で東北帝国大学(いまの東北大学)の英語教師になり、3年ごに文芸雑誌『白樺』が創刊されると同人にくわわって小説を書き始めました。そして、37歳で大学をしりぞいたつぎの年に、父と、7年まえに結婚していた愛する妻を亡くしてからは、自分の心と闘うようにして、文学ひとすじにうちこむようになりました。

きびしい自然、つめたい社会、苦しい生活に立ちむかう人間をえがいた『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』。新しい自由社会に生きようとする女の業を見つめた『或る女』。愛を求める人間の本能について考えた『惜しみなく愛は奪う』。

武郎は、自己を完成させるために芸術に生き、自分の悩みを、小説、評論、童話に問いかけていきました。しかし、やがて45歳の武郎にまっていたものは、婦人記者を道づれにした自殺でした。芸術家としての自分の力の限界を知り、心の悪魔に負けて、死をえらんだのです。やさしく、はげしい生涯でした。

この文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)34巻「夏目漱石・野口英世」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

なお、、「青空文庫」には、有島武郎の作品が33点掲載されています。「一房の葡萄(ぶどう)」だけは、この機会にぜひ読むことをおすすめします。

こうすれば子どもはしっかり育つ 「良い子の育てかた」 73

母親が小さな子どもをいましめる時に使う言葉の中には、「あんな叱り方をしなくてもよいのに」 と思われることが少なくありません。たとえば 「……のくせに」 という言い方も、そのひとつです。

「お姉ちゃんのくせに、だらしがないわね。もっとちゃんとしなくちゃ」 「お兄ちゃんのくせに、弟をいじめたりして、だめでしょ」 「男のくせに、めそめそするんじゃないの」

この 「……のくせに」 は、お姉ちゃんであること、お兄ちゃんであることを自覚させようという思いがこめられ、それなりの意味はあります。でも、この言葉の中には、明らかに “とがめる” というものを含んでいます。

そこで、この 「……のくせに」 の言い方を変えて、「……だから」 にしてみてはいかがでしょう。「お姉ちゃんだから、もう、きちんとできるわよね」 「お兄ちゃんだから、もっと、弟にやさしくしてあげられるわよね」 「もう大きいんだから、がんばれるわよ」

この 「……だから」 には、同じ自覚をさせるにしても、しかったり、とがめたりといったものがなく、むしろ、ほめる要素を含んでいます。したがって、結果的には、子どもに不快感を与えず、何となく気持ちよくさせながら、自覚へ結びつけていけるのではないでしょうか。

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