児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2007年12月

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 27]

むかしあるところに、何でもテキパキとやるタイプの兄と、おっとりとした性格の弟の兄弟がいました。家は貧しく、ふたりいっしょだと暮していけないので、ひとりが出かせぎをして、かせいだお金を家に送ろうということにしました。

まず、兄さんがある村の金持ちの家に行き、下男として雇ってくれないかと頼みました。すると、金持ちは、こんなことをいいました。「雇ってあげてもいいよ。ただし、最初のカッコウが鳴く春までは、必ず働くと約束してもらいたい。その間に、おまえさんがただの1度でも腹を立てたら、罰金として、わしに100万円払わなくてはならない。もしお金がないなら、5年間はただで働かなくてはならない。そのかわり、わしの方も、1度でも腹を立てたら、おまえさんに100万円払う。こういう条件でどうだ」。兄さんは、ちょっとびっくりしましたが、腹を立てなければいいのだし、相手が腹をたてたら大金がもらえるのだからと、この条件で働くことにしました。

翌日の朝早く主人は下男を起こし、大きな草地に連れて行きました。そして 「明るい間はこの草を刈っておくれ。家には暗くなってから帰ってくるんだよ」 といいました。下男は夕方遅くまで草を刈り、くたくたに疲れて家に帰りました。

ところが、主人は 「明るい間は草を刈れといったはずだぞ。今夜は月が出ていて、まだ明るいじゃないか」 といいます。下男は腹が立ちましたが、そういったら大変です。しかたなく、「いや、怒ってなんかいません。ちょっと疲れたんで、休憩に帰っただけです」 と、草刈りにもどりました。それから月が沈むまで働き続けましたが、何ということでしょう。今度は太陽が昇ってきたのです。下男は歯をくいしばって草を刈り続けましたが、疲れすぎて倒れてしまいました。

絶望した下男は、思わず叫びました。「あの、いじわるじじい! 畑も金もくそくらえだ!」

こういったとたん、主人が姿をあらわしました。「とうとう腹を立てたな。さあ、約束を実行してもらおう。100万円か、5年のただ働き、どっちにするのかな」。下男はこまってしまいました。100万円のお金なんて、もちろんありません。そうかといって、こんな男のところで5年も働くことなどできっこありません。しかたなく、少しずつ分けて払う約束をして、すごすごと家に帰りました。

この話を聞いた弟は、「こんどはおれが行って、そのインチキ野郎をとっちめてくる」 と、金持ちの家の戸をたたきました。働かせてくれとたのむと、金持ちは、兄さんの時とおなじ条件を持ち出しました。ところが弟は、それじゃ少なすぎるから、200万円の罰金か、10年間のただ働きにしようといいました。金持ちは大喜びで、さっそくその約束で、弟は働くことになりました。

翌朝、日が昇っても弟は起きようとはしません。主人は 「いつまで寝てる気だ」 といってゆり起こすと、「おや、怒ったんですか」 といいながら、やっと頭を起こしました。「怒っちゃいないよ。もう仕事に出かける時間だといいにきただけだ」 と主人。「じゃ、いま着物を着てきます」 と、もったらもったら着替えをしています。主人はまたいらいらして 「おーい、早くしろ!」 「あーれ、怒りましたね」 「いいや、遅くなりはしないかと心配しただけだ」

こうして、ふたりが草地に出たときは、日が真上に昇っていました。下男はあたりを見まわして、「みんなお弁当を食べていますよ。こちらもお昼にしましょう」。主人もしかたなく、賛成しました。ところが下男は、またもゆうゆうとご飯をぱくつき、やがてお腹が一杯になると 「ちょっと一休みしましょう」 と草地に寝ころんだかと思うと、夕方までぐうぐう眠っていました。

「とんでもない下男を雇ったものだ。草刈りがおわってないのはウチだけだ」 と、ぶつくさいう主人の声を聞くと、下男はむっくり起き上がって 「怒っていますね」。「いやいや、もう暗くなったから家にもどろうといっただけだ」

こんな調子で下男が2、3か月もいるので、主人は腹の立ち通し。カッコウの鳴きはじめる春まで、とても怒らずにいられそうもないと思いはじめました。でも、200万円の罰金を払うのなんか真っぴらです。そこで、罰金を払わずに下男を追い出す計略を考えつきました。おかみさんを木に登らせ、カッコウの鳴きまねをさせる方法です。

主人は下男にいいつけて、狩のしたくをさせ、ふたりで森に出かけました。おかみさんは、下男がやってきたのを見ると、ほんものそっくりに、カッコウ、カッコウと鳴きはじめました。主人はうれしそうに 「聞いたか、カッコウが鳴いているぞ。これでお前の仕事は終わりだ」。けれども、下男は主人のたくらみに気がつきました。「冬にカッコウが鳴くなんて話は聞いたことがありません。ひとつ、あいつを撃ち落として、どんな鳥か正体を見てやりましょう」 と、銃をかまえて、ねらいを定め、今にも引き金を引きそうなそぶりを見せました。

「きさまなんか、くたばってしまえ。もう、顔も見るのもいやだ」。「とうとう、怒りましたね」 と、下男はにやりと笑いました。「ああ、怒ったよ。怒ったとも。罰金は払ってやるから、とっとと失せろ!」

「それでは、この約束は終わりにしましょう」。こういうと下男は、おかみさんカッコウを木から助けおろしてやりました。

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本年のご愛読をありがとうございました。
明日より、年末年始の休暇に入ります。
新年は7日からスタートする予定です。
皆さま、良いお年を !

今日12月27日は、江戸時代の後期、第11代将軍徳川家斉が幕府をおさめていたころの学者・歴史家として、源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著し、詩人・書家としても活躍した頼山陽が、1780年に生まれた日です。

山陽は、大坂(大阪)で生まれ、安芸国(広島県)で少年時代をすごしました。父も祖父も伯父も学問をこのみ、母も、文芸にしたしむ人でした。このめぐまれた環境に育った山陽は、幼いころから自然に学問に魅せられていきました。15歳をすぎたころには、すでに、平氏、源氏から徳川氏までの武家の流れをたどる『日本外史』を著わす考えを、まとめていたといわれます。

17歳のとき江戸へでて、幕府が建てた学問所の、昌平黌へ入りました。でも、わずか1年で安芸の両親のもとへ帰ってくると、およそ2年ごには家のあとをつぐ権利をうばわれて、家に閉じこめられてしまいました。京都や大坂へ行って気ままに暮らし、家がつかえてきた広島藩をかってにしりぞいて、脱藩の罪をおかしてしまったからです。

家の門を自由にでることをゆるされたのは、25歳のころだったと伝えられています。でも長いあいだ家に足をとめられたことは、学者としての山陽には、かえってよかったのかもしれません。そのあいだに『日本外史』の筆を起こして、26歳のころには全部で22巻の下書きを終えてしまいました。

そののち山陽は、父のせわで塾の先生をつとめましたが、数年ごには、そのまま田舎にうずもれてしまうのをきらって都へのぼり、京都へ住みつきました。そして、自分の塾を開き、ひまをみつけては各地へ旅をしました。親孝行の心が深かった山陽は、父と母のいる安芸へも、なんども帰り、さらに遠い九州へも足をのばして、旅のとちゅうで『天草洋に泊す』などの名詩をたくさん作りました。

山陽の名が、ほんとうに広まったのは、40歳をすぎてからでした。46歳のときに、20数年かけて完成させた『日本外史』を江戸幕府の松平定信に献上すると、国じゅうの学者との交わりがふえて名があがり、広く尊敬されるようになったのです。とくに、正義をつらぬいた大塩平八郎とは深くまじわり、平八郎が著わす本に文をそえる約束もしました。でもこれは、自分の死で果たせませんでした。

山陽は、そのご、さらに歴史上のできごとを年代順にまとめる『日本政記』を書きすすめながら、いっぽうでは、書、絵、茶などを愛する心豊かな生活を送り、1832年、学問に生きた生涯を52歳で終えました。1858年に起こった安政の大獄で、吉田松蔭とともに首をはねられた頼三樹三郎は、山陽の3男です。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)29巻「小林一茶・間宮林蔵・二宮尊徳」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 64

母親が子どもを叱るとき、「何やってるの」 「早くしなさい」 「そんなことじゃダメでしょ」 「勉強しなきゃダメじゃないの」 などと、どなっていることが多いようです。

実をいうと、この叱り方にはほとんど効果がありません。子どもは 「はーい」 と返事だけはしても、母親の言葉は頭の上を素通りさせておしまいです。そのうえ、かげで 「うちの母親はうるさい」 と、子どもにいわせることになってしまいます。

母親がわが子へ言葉をかけるとき、言葉を投げかけるのではなく、心をともなった 「語りかけ」 でなければなりません。したがって、子どもに何かを言いつけるときも、子どもを叱るときも、母親は腰を折り、子どもの目を見つめながら、子どもの肩に手をかけるようにして語りかけることが大切ではないでしょうか。それは、語りかけるというよりも 「心を伝える」 といった方がよいかもしれません。

子どもが、ほんとうに心を動かすのは、母親の心があたたかく伝わったときだけです。子どもの目を見ながら、静かな声で 「もうちょっと早くしてくれたら、お母さん、うれしいんだけどなあ」 「あなたががんばっていると、お母さん、いちばんうれしいのよ」 などと語りかけること──この語りかけの1回は、「ダメじゃないの」 の100回にもまさるといっても過言ではありません。

 

今年の5月15日からはじまった「ヘンリーおじさんの 音の出るメルマガ」をご覧になっていますか。毎週火曜日と金曜日、週2回配信されているので、12月21日までに早くも62回になりました。

ヘンリーおじさん(本名ヘンリー・ドレナン氏)は、イギリス人の父親と日本人の母親の間に生まれ、英語も日本語も完璧なバイリンガルです。1960年代はシンガーソングライターとして活躍、クレージーキャッツの谷啓や吉永小百合などに歌を提供、後に自作の「かわいそうな娘」は100万部をこえるヒット曲を出すほどの実力の持ち主です。その後は日米のさまざまな会社で、ビジネスマンとして活躍していました。数年前から自分の使命は、小さな子どもを持つ日本人の両親に、日常の子育ての中で、楽しく英語に親しむ環境をつくるお手伝いをすることと考えるようになり、2002年にオリジナル曲による「ヘンリーおじさんのやさしい英語のうた」(2枚・43曲)をアメリカで制作、日本とアメリカで発売(現在、いずみ書房専売で好評販売中)、2003年にはアルクのウェッブサイト「ヘンリーおじさんの英語子育て質問箱」にユニークな回答者として人気を博しました。2004年、質問箱を単行本化した「ヘンリーおじさんの英語で子育てができる本」を皮切りに、「英語でレッスンができる本」「英語子育て便利帳」、ごく最近出版された「子育て英語力検定」(すべてアルク刊)、その他、朝日小学生新聞で「子ども英語のクラスルーム・イングリッシュ」を連載するなど執筆活動も意欲的です。

そんなヘンリーおじさんが、ウェブ上でさまざまな活動ができないかという意向を伺い、当社が中心となって、「ヘンリーおじさん.COM」を立ち上げ、その目玉として、新しいスタイルのメールマガジン「ヘンリーおじさんの 音の出るメ ルマガ」を開始しました。英語のフレーズで「こんな時にはなんていうの?」などの質問に、ヘンリーおじさんがわかりやすく答えてくれます。学校ではなかなか教えてくれない表現、シンプルだけど相手に好印象を与える、簡単な表現をアドバイス。文字を読むだけではピンと来なかった「発音」「言い回し」「ニュアンス」も、音声を聴けばすんなり頭に入るというのがウリです。まだ登録しておられない方は、ぜひ登録(無料)してみてください。 あたたかみのある語りやユーモアあふれるひとことなど、ヘンリーおじさんらしい、楽しい英語レッスンが体験できます! なお、先週金曜日の「音の出るメルガマ」を再現してみると、次の通りです。

 *  *  *

 【質問】

子どもがおもちゃや、ぬいぐるみをもらったときに、「大切にしようね」とは、どう言えば良いのでしょうか。単に「丁寧に扱う」というだけでなく、「すぐに飽きて放り出さないで、もらったときの感謝を、いつまでも忘れずにいなさい」などの意味もこめたいのですが…。

 

 【ヘンリーおじさんのアンサー】

確かに、せっかくいただいたぬいぐるみがボロボロになったらまずいですし、何でもそうですが、大事に扱う心を育ててあげたいですね。「オモチャを大切に扱って、大事にしてね」は、Handle your toys nicely. がお勧めです。Handle は、日本語でも、ハンドル(車のハンドル)としておなじみですが、「扱う」という意味もあるのです。 nicely は、「ちゃんと」「しっかりと」の意味として使います。

Handle your toys nicely, okay?(オモチャは大事に扱ってね)

ところで、英語では、あまり「大事に」とは言いません。「ちゃんと扱う」ことが「大事に扱う」ことになるからです。それと、ぬいぐるみをほめることも大事ですね。 ほめると、大事にしようという気持ちがわき起こるからです。

Wow! Isn't it great?!(ワー!すごいね!)

You will take good care of it, alright?(大事に扱うでしょ?)

You can be good friends?(良いお友達になれるわね。)

こんな感じで、しめくってもいいですね。 

*  *  * 

いかがでしょうか。とても、明快で楽しい内容になっていますね。過去のメルマガのバックナンバーを聞くことも可能です。

「お早めにお召し上がりください」「まであと何日」「まどろっこしい!」「お下がり」「風邪をうつしたくないの」 「電池がなくなっち ゃう」「好き嫌い」 「○○しながら」「元気いっぱいね!」「ほぐす」「半分こしようね!」「ちょびっと」「洗濯日和」「返してちょう だい」「上手になったね」「お月様が隠れてる」「お茶に合います」「痛いよ、危ないよ」 「内弁慶」「コーヒーだけで結構よ」「まねし てね」「甘えんぼう」 「順番を守ってね」 「ぐずる」「おっぱい・おむつ」「細かい所がわからない」「天気予報があたらない」「長い 目で見る」「お早めにお召し上がりください」など、なかなか表現しづらいものを、実にわかりやすく紹介してくれています。

本日は、今年最後の配信で、「クリスマスのご挨拶は?」となっています。アメリカに住んでいると、誰にでも Merry Christmas! と、挨拶ができないことを学びます。宗教の違う人がいて、誰でもがクリスマスではないことに気がつくのです。そういう訳で、クリスマス時に交わす挨拶は、 Happy Holidays! となります。今頃の挨拶は、Happy Holidays! と言って別れるのが一般的だと覚えておいてください。

こんな日米の文化の違いなども、教えてくれます。

日本人の平均寿命は、女性は世界1位の85.81歳、男性は世界2位の79.00歳と発表(2006年7月)されています。

1950年代では、世界の主要先進国といわれる日本を含む10か国(カナダ、米国、フランス、イタリア、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、英国、アイスランド)の中で、男女とも最低だった日本が、1974年からずっとベスト3に入り、1985年からはトップレベルになり、女性の世界1位は22年連続だそうで、そのめざましい伸びは世界でも注目のまととなっています。医学の進歩の影響は、先進国のどの国でも享受しているはずなので、その躍進の2大要因は、国民の皆保険制度と日本の食生活と考えられています。

先日、図書館で日本国憲法(1946年11月3日公布)に関する本を読んでいましたら、この平均寿命が、太平洋戦争が終了した1945年には、男性23.9歳、女性37.5歳だったという記述を見てびっくりしました。男性の多くは戦争にかりだされて戦死し、内地でも空襲で焼かれ、病気になっても薬がないために助かる命も助からない、栄養不足の母親をもった幼児たちも栄養失調で死ぬというように、戦争の悲惨さは数字の上でも明白であり、平和のありがたさをひしひしと感じる思いです。

ところで、この平均寿命というのは、生まれたばかりの0歳の赤ちゃんの平均余命というのが正しいのだそうです。現在65歳の私の平均余命は18.21歳と表にありますので、平均寿命は83.21歳ということになります。ちなみに、現在30歳の人の平均余命は男性49.49歳、女性56.18歳ですので、男性は79.49歳、女性86.18歳が、いま30歳の人の平均寿命ということになります。さらに、今の0歳児の赤ちゃんが90歳まで生きる確率は、男性21%、女性44%という試算も発表されていますので、100歳をこえるお年寄りがめずらしくない時代が目の前にきているといってよいでしょう。

参考に1880年(明治13年)の平均寿命は、男性36歳、女性38歳だったそうです。いつの時代も、女性は強くたくましいですね。

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