児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2007年06月

昨年、給食費の不払いが話題になっていた頃、[義務教育なのだから、給食費なんて払わなくてあたりまえ] とか、[給食費を払っているのだから「いただきます」や「ごちそうさま」をいわせるのはおかしい] という人たちがいることを知って、ビックリしたことを記憶しています。ところが、幼稚園や保育園、小中学校の教師らに、親からつきつけられる身勝手な要求がますますエスカレートしているという最近の報道には、あきれるというより腹がたってしまうのは私だけではないでしょう。

●子どもが1つのおもちゃを取り合ってけんかになるから、そんなおもちゃはおかないでほしい ●行事の集合写真でウチの子が真ん中に写っていないのはなぜだ ●石をぶつけて教室のガラスを割ったのは、そんな石を置く学校が悪い ●ピアノの技能は家の子が一番なのに、へたな子が合唱の伴奏をするのはなぜだ ●家は共稼ぎなのだから、インフルエンザにかかったわが子を学校の保育室で看るべきだ ●家の子は自宅で掃除をさせていないので、学校でもさせないでほしい ●学力不足の中学生に小学生の問題を解かせると「子どものプライドが傷つけられた」と抗議 ●授業中にメールをしている生徒の携帯電話を取り上げた教師に「取り上げた時間分の電話代を支払ってほしい」 ●他の子を殴ったので注意すると「家ではやられたらやり返せと普段からいっている」と開きなおる親

「三歩下がって師の影を踏まず」とか「師は針のごとく弟子は糸のごとく」というような弟子は師を敬い、どんな時も礼を逸してはならないと教えたことわざは、とうに遺物となってしまいましたが、日本人の美徳とされたはずの「そんなことをすると世間様に笑われる」といった恥の文化まで廃れてしまうのはなんとも情けない風潮だと思います。
そして、そんな理不尽な親に手を焼く教師や教室を守るために、学校や教育委員会は、クレームに対応する専門職員をおいたり、弁護士に相談できる制度をスタートさせるそうです。これらもすべて税金が使われることを知っておかなくてはなりません。

今日6月21日は、江戸幕府の鎖国政策に対し、海外のようすを少しも知らない国民たちに、警告を発した先駆者・林子平が、1793年、仙台のちっ居先で亡くなった日です。

「海国日本を守るためには、海軍の力を強くしなければだめだ」

林子平は、日本が鎖国で外国とのまじわりを閉じている時代に、勇気をだして、海の守りのたいせつさをとなえた人です。そのころ、世界の大きな国ぐには、発達した科学の力ですぐれた船や大砲を造って、中国や東南アジアの国へのりだし始めていました。また、ロシアも、シベリアを東へ進んで千島や蝦夷地 (北海道) へ手をのばそうとしていました。江戸で生まれ、外国の情勢を耳にしながら成長した子平は、30歳をすぎるとまもなく行動をおこしました。日本が危機にさらされようとしているときに、机に向かって学問をしているだけではいけない、と考えるようになったからです。子平は、1772年に蝦夷地へ渡って、この大きな島のようすを調べました。また、1775年から1782年にかけて、鎖国のもとでたったひとつだけ港を開いていた長崎へ何度も出かけて行き、オランダ人に外国の事情を聞きながら、海防問題を学びました。

「早く、幕府の役人たちの目をさまさせなければ、きっと、たいへんなことになる」

このように信じた子平は、47歳から53歳までのあいだに2つの本を著わして、海防の必要を役人たちに訴えました。朝鮮、琉球(沖縄)、蝦夷などの地図を示し、さらに蝦夷地がロシアにねらわれていることを注意した『三国通商図説』と、大きな船を建造し、大砲をそなえて、外国の侵略から日本を守らなければならないことを説いた『海国兵談』です。とくに、全部で16巻という『海国兵談』では、海軍の充実を叫ぶだけではなく、「江戸日本橋を流れる水は、中国やオランダまで境なくつづいているのだ」と訴えて、鎖国の世に眠りこけている幕府を、きびしくひはんしました。ところが『海国兵談』を出版した、その年の暮、子平は幕府に処罰され、本を印刷した板木をとりあげられたうえに、仙台の兄の家から外にでてはならぬ、と命じられてしまいました。外国が日本をおそってくるなどと言って、日本をさわがせた罰だというのです。

「親もなし 妻なし 子なし 板木なし  金もなけれど 死にたくもなし」。子平はこんな歌をよんで、やがて、55歳でさみしく亡くなりました。死のまえの年に、ほんとうにロシアの使節が根室に現われ、『海国兵談』はしだいにみとめられるようになりましだが、罪がゆるされて初めて子平の墓が建てられたのは、死後50年もたってからのことでした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)32巻「小林一茶・間宮林蔵・二宮尊徳」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」も公開する予定です。ご期待ください。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 2]

むかし、あるところに神父さんと、年とった黒人の召使いがいました。
召使いは、神父さんが子どもの頃から家にいたので、大人になってもまだ子ども扱いをしていました。神父さんが少しでも雨にぬれて帰ってくると「あれあれ、カゼをひくじゃありませんか」とおおさわぎしたり、死にかかっている人をなぐさめに夜遅くでかけようとすると「身体をこわします。朝まで待てないのですか」とぶつぶつ言ったりします。
でも、神父さんは、何をいわれても気にしません。心配してくれる召使いがかわいくてしかたがなかったからです。

ある日のこと。神父さんはニワトリの丸焼きをこしらえるように召使いにたのみました。
ところが、焼いていた召使いは、ニワトリのおいしそうなにおいにがまんができなくなって、足を1本食べてしまいました。そして、足が1本たりないのがわからないように、そっとお皿に乗せて、神父さんのところへ持ってきました。
でも、神父さんはすぐに気がついて、「おまえだね。このニワトリの足を食べたのは」
召使いはちょっとびっくりしました。でも、ちぢれっ毛の頭をふって答えました。
「いいえ、このニワトリは、生きているときから1本足でした」
「私がそんなことを信じるようなバカだと思っているのかね。ほら、おまえの顔に、私が食べましたと書いてあるじゃないか」
「いいえ、だんなさま。トリ小屋には、一本足のニワトリが他にもいます。うそではありません。こんど、そういうニワトリを見つけたら、すぐにお知らせします」
「よろしい、ではそうしておくれ」ということになりました。

しばらくして、昼寝をしていた神父さんのところへ、召使いが飛んできました。
「だんな様、1本足のニワトリが見つかりました。すぐに見に来てください」
神父さんは、ねむい目をこすりながら、トリ小屋へきました。召使いが指さしたほうを見ると、1本足のニワトリがいます。でもそれは、いっぽうの足を羽の下にひっこめているだけです。神父さんは、トリにえさをやるように、トッ、トッ、トッ、トッといいました。
すると、1本足のニワトリは、もう一方の足をおろして、かけてきたではありませんか。
「ほら、ごらん。そんなつくり話で、わしをだませると思っているのかね」
「だんなさま、私はうそつきではありません。だんなさまは、丸焼きのニワトリをお切りになるとき、トッ、トッ、トッ、トッとおっしゃらなかったでしょう。だから、あのとき見つからなかったのですよ」
これを聞いた神父さんは、黒人の召使いのお尻をピシャリとたたいて、神さまにお祈りをしました。
「神さま、このウソつきめを、どうぞお許しください」

このたび、いずみ書房ホームページ上にある「オンラインブック」に、「子どもワールド図書館」の全巻内容を一挙に掲載しました。

「子どもワールド図書館」(全38巻) は、1980年に初版を発行、1982年、1983年、1984年と版を重ねてきました。さらに、1991年に「世界はいま」(世界と日本の30大ニュース)という冊子を制作して、その後の変化に対応しましたが、世の中のめまぐるしい変貌に、やむなく販売を休止しておりました。しかし、このシリーズは、世界の主要な国々について、今日の姿や歩みを歴史に照合し、それらのひとつひとつがそこに住む人々にとってどんなに重要であったか、人々の叡知がどのように凝縮されてきたかを簡潔にわかりやすく表現した評判のシリーズでした。子どもたちの理解を容易にするため、2000枚近くのイラストをちりばめたことも高く評価されました。

このたび、当シリーズの内容を全面的に見直し2007年補遺版を添付して販売を再開したこと、オンラインブックに全面掲載に踏み切ったことは、ここ1年間にわたる内容チェックの過程で訂正箇所が意外に少なく、またそれを記すことにより、世界の四半世紀の変化を目の当たりにできるというメリットもあることがわかったことでした。その変化を再体験していただきたく、また、これを利用する子どもたちの疑問にぜひ的確な回答をしてやってほしいものです。

なお、私のこのブログに、[「ワールド図書館」巻末解説] という体裁で、3月7日号の第1巻「フランス」を皮切りに、6月12日の第29巻「南アメリカ」まで掲載してまいりましたが、以後はオンラインブックを参考にしていただければ幸いです。

今後も逐次、変化した箇所を追加訂正したいと考えております。長くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 38

子どもが、とくによいことをした、見ちがえるようなことをした、大きな約束を果たした、よくがんばった……こんなとき、どんな親でもほうびを与えたくなりますが、いま、この 「ほうび」 でもっとも多いのが、お金です。あるいは、お金でなにかを買って与えることです。
しかし、お金によるほうびを与えるのは、あまりのぞましいことではありません。それは、いつのまにか、お金ををもらうための不純な行為を生むと同時に、人間の心の行為をもお金の価値に置き換えてしまう打算を、あたりまえのこととさせてしまうからです。
お金を与えることによって、子どもがむだ遣いをおぼえ、それが非行につながる恐れもあります。また、お金の価値感覚を失ってしまう恐れもあります。しかし、なんといってもいちばん恐いのは、子どもの心をお金が征服するようになっていくことです。
では、子どものがんばりに報いてやるには、あるいは、さらにはげますにはどうするか、それは、心で報いることです。
「この子は、こんなすばらしいことをしたんですよ」 と、父親の前でもほめてやる、よその母親の前でもほめてやる、よろこびを先生にも伝えてやる。もし物を与えるならば、母親が自分の手で心をこめて作った物、たとえば、きれいな押し花や押し葉、小さな手芸品、それから 「お父さんがたいせつにしている物」 「お母さんがたいせつにしている物」 などを贈ることです。
ほめるべきことは、結果よりも心です。がんばった成果よりも、がんばった心です。それならば、心をほめてやるべきであり、心をほめるなら、心の贈り物によって報いてやることこそ、たいせつではないでしょうか。

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