児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2007年03月

前回(3/13号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第4巻「スペイン・ポルトガル」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「スペイン・ポルトガル」 について

[スペイン] 中世の姿をそのままのこす華麗な古城、情熱的なフラメンコの旋律、壮烈きわまる闘牛風景など、スペインの横顔は実に多彩で魅力的です。
面積約50万平方km。イベリア半島の8割を占める広大な土地ですから、その風土や気候も一様ではありません。台地メセタには砂ばくにもひとしい雨量ゼロの炎熱地帯もあれば、地中海沿岸などの平地には常春のリゾート地帯がひらけているところもあります。国民の大半が農業に従事するいわゆる農業国ですが、農民個々の耕作は小規模で、その生活レベルは欧州諸国のなかでも低い水準にあります。鉱・工業もあまりふるわず、スペインの産業経済は全般的に近代化の遅れが目立ちます。
一時代は、ヨーロッパ最強の海洋王国として栄え、中南米やアフリカに自国の数十倍もの領土を掌握したスペインでした。しかしその栄光も、不合理な植民地政策に反発をかうなど不評のうちにしだいに色あせてゆき、20世紀までには大部分の植民地を失ってしまいました。その間、合理的な国策をとった他のヨーロッパ勢に追いぬかれ、スペイン自体は政情混乱に陥ってゆくのです。特に1930年代は目まぐるしく政権が変わり、内紛がくりかえされました。1939年、やがてフランコ将軍の統轄下におさまり、その独裁政治が36年間続きます。フランコ没後は、アリアス政権を経てスアレス政権へと移りました。新生民主主義をうたうスアレス政権は1977年の総選挙で二院制国会を成立させ、次いで新憲法を制定しました。内戦をさけ対外的にも中立政策をとり、平和主義をつらぬこうとするのが現代スペインの姿です。
スペインは、古代からいろいろな人種の侵略を受け、支配されるなかで文化を吸収し、やがてはカトリック教徒の勢力を糾合して本土を奪回する、という歴史的背景によって独特の民族性を形成してきました。その根強いカトリック精神とバイタリティのある体質には、スペイン再発展の大きな可能性が秘められていることでしょう。

[ポルトガル] バスコ・ダ・ガマらポルトガルの航海者たちが、スペインと植民地探検に覇を競ったのは15世紀から16世紀にかけてでした。日本史にも 「鉄砲伝来」 とか「キリスト教伝来」 などと、その西洋文明に初めて接触したいきさつが記されており、一時期ながらわが国とも深い友好関係にあったことを物語っています。当時伝えられたポルトガル語の品名などは、現在でも私たちの生活になじんでおりますし、ポルトガルを訪れても同じことばを耳にすることができます。
さて、かつての植民地帝国ポルトガルも、約500年の間にはスペイン同様の運命をたどりました。アフリカのアンゴラとモザンビークが革命政権下に相次いで独立し、ポルトガル最後の大植民地が離れていったのは、1975年でした。
面積は北海道よりやや大きく、およそ9万平方km。海洋国だけに大西洋岸の岬から岬を結ぶ航路は発達していますが、反対に鉄道の延長は遅れ、自動車も輸入に頼る状態で、いまだに牛やロバが輸送の役割を担っています。主力の農業も技術の遅れからいまひとつ生産性があがりません。ただ、ブドウ酒やコルクの単一産業が世界に名高いことは本文でも述べましたが、人気のある観光地もまた、隣国スペインと同じく外貨を稼ぐドル箱資源です。

同じイベリア半島に隣り合うポルトガルとスペインですが、その国民性や風俗には、やはりそれぞれ個性的な相違がみられます。たとえば、フラメンコの激情的なリズムに対してポルトガル民謡のファドは哀感調です。ポルトガルにも闘牛はありますが、スペインのようにとどめを刺しません。そんなところに、スペイン人の激しさとポルトガル人の穏和な側面がうかがえるのです。

補足事項
EC(ヨーロッパ共同体)には、スペイン、ポルトガルともに1986年に参加、1993年EU(ヨーロッパ連合)になってからも、積極的に推進するメンバーとなっています。通貨も、2002年に、ユーロに完全に切り替わりました。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 28

● 集団にとけこむ努力をする

集団にとけこめない子がいます。引っこみ思案の子がいます。親からみると、困ったなと思いながらも、かわいそうでなりません。仲間からひとり離れているわが子を見ると、飛んでいって抱きしめてやりたいほど、かわいそうになってしまいます。

それが高じると、「みんなと遊ぶのはおよしなさい」 「あなたのすきな○○ちゃんと遊んだら。○○ちゃん、おうちに呼んでもいいのよ」 「おうちにいなさい。お母さんが遊んであげますからね」 「このまえ、いいものを買ってあげたでしょ、外へ行かないで、あれで遊んだら」 などと、わが子をひたすらに守ってやることになります。子どもが自分の力で生きていくためには何が必要かについて、よく考えてみてください。今日の子どものかわいさだけをたいせつにし、積極的に集団のなかへ送りこむことをさけてしまっては、将来の子どものためになりません。

子どもは、多くの仲間とふれあうことによって、自分以外の人間のことを知り、その自分以外の人間を鏡にして、自分の性格を反省したり、自分を律する心を学んだりするものです。グループで遊ぶことをさせないでおけば、それらの機会を失ったまま成長してしまいます。いつも閉鎖的な環境のなかに身をおいていると、のびのびしたところのない、しかも自己中心的な人間へとかたまっていってしまいます。また、いつも親の羽の下ですごすうちに、いつまでも親ばなれのしないひよわな子になってしまいます。どこか、心にかげのある子になってしまわないうちに、心を鬼にして、わが子をつきはなすことがたいせつなのです。

前回(3/8号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻)第3巻「イタリア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「イタリア」 について

大統領を元首とするイタリア共和国は、明るい陽気な国だといわれています。しかし、つぶさに見ると、複雑な問題を数多くかかえている国です。
まず第一には、1861年にイタリア国家が誕生して1世紀以上を経ているにもかかわらず、近代国家としては、やや立ちおくれてきたことが指摘されます。
そのもっとも大きな原因は、鉄、石炭、石油などの資源の不足です。資源の不足が工業の発達を阻害し、国の近代化への歩みをおくらせたのです。
ローマ帝国の栄光は、歴史のなかで、そして現在も、さん然と輝いています。ルネッサンスの火をつけた芸術も、世界に冠たるものをもっています。そして、この古代と中世の偉大な遺産が、芸術と観光の国イタリアを生みました。しかし、その陰には、国際連合をはじめ多くの国際機構に参加している近代国家としての、深刻な悩みがかくされています。
つぎに、太陽と歌とマカロニの国などと、はなやかさがうたい文句にされながら、貧しい人々が少なくないことも、大きな問題です。
第 2次世界大戦後、北部は、国の政策によって工業が発達しました。しかし、南部は立ちおくれたままです。南部は、農業が主産業でありながら、土地はやせています。したがって、南部の人々は、観光にすがるよりしかたがないという、一面をもっています。
政府は、南イタリア開発資金を設立するなどして、南部の発展に力を入れてきました。しかし、南部では、いまだに荷物を運ぶロバと、はだしの子どもの姿を見ることは、決してめずらしいことではなく、人々の生活の貧しさは解消されていません。豊かさと貧しさで、北部の人々と南部の人々は感情的に対立しており、この南北格差の問題は、イタリア国民をひとつにまとめていくうえにも、早急な解決が迫られています。
イタリアは、ローマ・カトリック教を国教とし、国民の97%がカトリック信者です。イタリア人は、洗礼も、結婚式も、葬儀も、すべて教会にゆだねます。カトリック教は、イタリア人の心と生活のなかに完全にとけこんでいるのです。まさにイタリアはカトリックの国です。
ローマ市の一部に、ローマ・カトリック教の総本山として、独立小国家のバチカン市国が存在し、イタリアの人々が、その存在を誇りとしていることでも、それがわかります。イタリアは、太陽の国や芸術の国である以前に、まずなによりもカトリックの国だということを、はっきり認識しておくことがたいせつなようです。
しかし、世界のカトリックの中心地であるという自負と、神を信じて貧しくてもという信仰心が、国の近代化をおくらせたひとつの要因になったともいわれています。
*[イタリアの政権をにぎっているのはキリスト教民主党、そして第2党としての勢力をもっているのは共産党です。ところが、この共産党の組織は、西ヨーロッパ諸国のなかでもっとも大きいといわれながら、国内では、はげしい労働闘争はほとんど行なわれていません。共産主義者ももちろんカトリック信者であり、その信仰心が、比較的静かな共産党にしてしまっているのです。これも、イタリア国家とイタリア人を考えるとき、カトリックをぬきにしてあり得ないことの、ひとつのあらわれでしょう。]
なお、イタリア領土内には、バチカン市国のほかに、もうひとつ、独立小国のサンマリノ共和国があります。4世紀に誕生した小都市の国家です。中世の約1000年の間、この長ぐつ半島に都市国家が乱立していたことを知ることも、イタリアの歴史を語るには必要なことのようです。

補足事項
*[1991年に共産党は消滅して左翼民主党に、キリスト教民主党は1994年に分裂し、多くはマリゲリータ党に参加。現在は、両党が2大政党になっています。]
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーの1国であるイタリアは、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとなっています。通貨も、2002年にリラからユーロに完全に切り替わりました。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 27

● 子どものよいところをほめて克服させる

チビ、デブなどの自分の容姿や自分の能力について、劣等感をいだいている子どもは少なくありません。そして、その劣等感が高じていくと、心に暗い影をおとし、子どもを不幸にします。かといって、劣等感をもたせないようにと、かばうようにして甘やかすことも、けっしてよいことではありません。それではかえって、抵抗力の弱い人間をつくりだしてしまいます。
では、どうするか。その第1は、その劣等感を自分の力ではねかえさせるように、克服させるように、親がはげましていくことがたいせつです。ただしこのとき、わが子をはげますつもりで、同じような立場の子どもをひきあいにだして、少しでも安心させようなどと考えるのはまちがっています。
たとえば、チビの劣等感をもつ子に「○○ちゃんだってチビなのに、あんなにがんばってるでしょ」 と言えば、「だから劣等感をもつことないのよ」 と語りかけているつもりでも、子どもの心には 「チビのぼくをかわいそうに思って、あんなことを言ってる」 というものが残るだけで、劣等感は消えません。
それよりも、たいせつなことは、劣等感をいだいている部分にはふれず、その子の少しでもすぐれた点を見つけだしてやって、それをほめることです。そして、はげましてやることです。自分のすぐれたところに気がつき、それが自分の誇りになっていけば、それまで劣等感を感じていたことなど、いつのまにか忘れ、しぜんに劣等感をのりこえていきます。劣等感は、みちびき方しだいで消え去るものです。

今週末から、その週にであった印象に残った事柄をつづってみることにします。それでは今週のヘェー!3連発

● ゴシックって野蛮人のこと?
12~13世紀ごろ、フランスを中心にヨーロッパ全体におこった美術様式を「ゴシック」といいますが、ゴシックという意味が、フランス民族のことをローマ人の立場でゴート人(野蛮人)と称したところからきている蔑称だそうです。ゴート人が2、3世紀に西ローマ帝国を滅ぼしたことによる怨念があるのでしょうか、ちなみに、パリにあるノートルダム寺院がゴシック建築の代表です。ノートルダムと聞くと、「ノートルダムのせむし男」などをイメージするせいか、なにかおどろおどろしい感じがしますが、「我らの貴婦人」聖母マリアのことだそうで、これも意外でした。

● 「けりをつける」
ものごとの結末をつけることに使う「けりをつける」は、俳句や和歌の末尾に「~けり」で結ぶことが多かったことから来ているそうです。たしかに、百人一首だけでも、「~秋は来にけり」「~錦なりけり」「~涙なりけり」など、「~ける」「~けれ」を含めると14首もあります。歌から生まれた言葉といえば「あげくの果て」というのもそうです。連歌の最後の七七の句のことを揚句といい、その揚句から、終わってからの結果、という意味になったようです。

● 「テディベア」はアメリカ大統領の愛称
1902年の秋、第26代アメリカ大統領のテオドア・ルーズベルトは熊狩にでかけましたが、獲物をしとめられません。同行していたハンターが瀕死の小熊を追いつめ、とどめの一発を大統領に頼みました。ところが大統領は、「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神にそむく」として助けたそうです。これを同行していたワシントンポスト記者が美談として新聞に掲載しました。このエピソードにヒントをえて、ニューヨークのおもちゃメーカーが、熊のぬいぐるみに、ルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名づけて1903年に発売したのがはじまりだそうです。したがって、テディベアには特定の決まりがあるわけでなく、熊のぬいぐるみの総称ということになります。なお、世界恐慌と第2次世界大戦時の32代大統領フランクリン・ルーズベルトは彼のいとこです。

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