児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2007年03月

今週も、印象に残ったことをつづってみます。
先日、私の亡き妻の姉にさそわれて、「フラガール」という日本映画を観てきました。彼女たちのいとこが、蒼井優演じるフラガールのモデルだというのと、20年ほど前、子どもたちがまだ小学低学年の頃親子4人で楽しんだ「常磐ハワイアンセンター」(現・スパリゾートハワイアンズ) 開業にまつわる話だというのが、出かけてみようと思ったキッカケでした。あまり期待をしていませんでしたが、見終わった後の率直な感想は、「実に良くできた感銘深い作品」というものでした。
昭和40年前後の常磐炭鉱は、石炭から石油へという時代の波に縮小を余儀なくされ、炭鉱で働く多くの人たちが首切られるなど、危機状況にありました。そんな中、北国の炭鉱町を常夏の楽園に変えようと立ちあがる人がいました。町の少女に腰みのをつけフラダンスをはじめさせようとします。でも、保守的な町の人たちにはとても理解されません。苦労に苦労を重ね、奮闘しながらようやく開業につなげ、成功させるという実話に基づいたストーリーですが、ともすると陳腐になりがちなテーマを、感動的な作品に仕上げた李相日監督や役者たちのがんばりに、拍手をおくりたい気持ちになりました。
日本映画は長い間外国映画に圧倒され続けてきました。それが、昨年度は興行成績が初めて1000億円を越え、総収入の53.2%を占めて外国映画をうわまわったということはマスコミ報道で知っていました。そして、ネットで調べてみてはじめてわかったことですが、そんな躍進する日本映画のなかでも、この「フラガール」が、日本アカデミー賞最優秀作品賞や、キネマ旬報ベスト1に輝いたのをはじめ、報知映画賞・最優秀邦画作品賞・最優秀助演女優賞(蒼井優)など、たくさんの賞に輝いた作品であることに正直ビックリしました。

前日(3/28号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第8巻「北ヨーロッパ」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「北ヨーロッパ」 について

[スウェーデン] スウェーデンはスカンジナビア半島の南東部を占める立憲君主国です。16世紀にデンマークから独立して以来、いくたびかヨーロッパ諸国との戦乱にまきこまれてきました。しかし、1809年、ナポレオン戦争で敗れたのを契機に、新憲法を採用して市民国家的な体制へすすみ、以後、中立、非同盟の平和政策を堅持してきました。人々は、第2次世界大戦中の中立維持を民族の誇りとしています。
スウェーデンは、世界でも最もすすんだ工業国のひとつですが、工業を本格的に発展させたのは、19世紀の後半に入ってからです。急速な経済成長をとげることができたのは、良質の鉄鉱石や木材、水力などの資源と、高い教育水準に依拠しているといわれます。
教育とともに、生活水準もきわめて高い国です。世界の範たる社会保障制度は、名実ともに完備し、国民の暮らしをゆとりあるものにしています。人々はきびしい自然条件のなかで、住み良い社会を建設し、自由な気風を育てあげてきましたが、最近は、福祉がゆきわたったがための新しい悩みが、クローズアップされてきています。

[ノルウェー] スカンジナビア半島の北西部を占めるのがノルウェーで、*{ソ連}、フィンランド、スウェーデンと国境を接し、ノルウェー海、北海にのぞんでいます。西岸に発達するフィヨルドが、山地の奥深くまでくいこんでいるため、ノルウェーの海岸線は2万7000kmもの長さに達しています。フィヨルド内は波が静かなので、天然の良港をなし、ノルウェーの海洋文化の発達に大きく寄与してきました。ノルウェー人の海との結びつきは、独特の龍頭船を操って北大西洋上に雄飛し、歴史的に大きな役割を果たしたバイキングの時代にさかのぼります。現在も、海運業や造船工業など、この国の経済をささえているものは海とつながっています。古くから産業の中心をなしていた漁業は、トロール船団を主体とする遠洋漁業への転換が図られ、個人経営の小規模な沿岸漁業から大きく発展しました。
*{1991年のソ連解体により、ロシア共和国}
豪胆で冒険心に富む精神土壌をもつノルウェーは、南極点に到達したアムンゼンや、グリーンランド横断をなしとげたナンセンなど、世界的な極地探険家を生みました。バイキングの血を引くノルウェー人は、生活力がおう盛で、合理的かつ高度の政治感覚を身につけた国民です。西欧陣営に属する政治形態のなかで、高水準の生活、文化を享受しています。

[フィンランド] フィンランド人は、2世紀前後に、南方から現在の地に移住してきたといわれますが、以来、スウェーデンやロシアなどの脅威にさらされ、苦難の歴史をたどってきました。
ロシアの統治下にあったころ、東部のカレリア地方に伝わる口承詩『カレワラ』が、学者のレンロートによって採集、構成されました。1849年に50章の大叙事詩として発表されるや、とびついてむさぼり読んだ国民は、著しく民族意識を鼓舞され、独立への気概を高めていきます。そして1917年、ロシア革命に乗じて独立を宣言し、共和国になったのです。その後も、国際関係の緊張により、たびたび他国からの侵略を受けましたが、国民は強い結束のもとに、いばらの道をきり開いてきました。
フィンランドは、国土の71%が森林に覆われ、およそ6万個の湖沼が散在する森と湖の国です。経済の基盤は資源豊かな林業ですが、第2次世界大戦後は、金属、造船を中心とする重工業化が推進されました。工業面では後発国であるため、生産品目やデザイン面に特色をもたせ、国際競争力の確保につとめています。

補足事項
EU(ヨーロッパ連合)には、フィンランドが1994年に加盟し、通貨もユーロを導入。スウェーデンは1995年に加盟しましたが、通貨はスウェーデン・クローナのままです。
ノルウェーは、国民投票で否決されたためEUには未加入です。

前日(3/27号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第7巻「オランダ・ベルギー・デンマーク」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「オランダ・ベルギー・デンマーク」 について

[オランダ] オランダは海面より低い土地が国土の1/4、5m以下の低地が3/5も占めています。堤防を間にはさんで水面のほうが地面より高いという光景が、随所に見られます。オランダ人は、堤防を築き、運河を通し、排水をして海面下の土地を海から守り、干拓して耕地と化しました。干拓地をポルダーといいますが、15世紀から今日までに造成したポルダーは、全国土の1/3に及び、現在も、アイセル湖の大干拓工事をすすめています。
ところで、オランダというのは国名ではなく、中心部の州名にすぎません。公式にはネーデルラント王国といい、低い国という意味です。日本でオランダと呼ばれるのは、1543年に種子島へ鉄砲を持ちこんだポルトガル人の紹介によるものといわれています。
日本とオランダの結びつきは、1600年、オランダ船が豊後に漂着したときからです。乗り組んでいたウイリアム・アダムス (三浦按針) が徳川家康に謁見したのが端緒となって、1609年、オランダ東インド会社の支店が長崎の平戸 (後、出島に移転) に設立されました。
オランダが東インド会社を創設したのは1602年です。発達した商船隊を組織してアジアに進出し、列強国スペイン、ポルトガルをおしのけ、完全に世界第1の商業国にのしあがりました。その中心が植民地の東インドで、強大な軍事力をバックに、香料、織物類の貿易を独占し17世紀の黄金時代をつくりあげました。しかし、18世紀の産業革命で経済力や軍事力が増大したイギリスに地位を奪われ、第2次世界大戦後インドネシア独立によって植民地の東インドも失いました。
干拓で土地をふやし、酪農を中心に完ぺきなまでに生産性を高めてきましたが、天然資源が乏しいため、オランダ経済のあり方は、根本的には中継加工貿易が大原則です。アムステルダム、ロッテルダム両貿易港の貿易と外国企業誘致の拡大が、今後の課題です。

[ベルギー] ベルギーはヨーロッパの列強国に囲まれ、いくどか領地を侵略されながらも、河川や北海の海運を利用して栄えてきました。ベルギーが独立したのは1831年で、永世中立国を宣言しました。しかし第1・第2次世界大戦でドイツにふみにじられてからは、中立政策を放棄してNATO (北大西洋条約機構) に加盟し、アメリカとの間にグリーンランド共同防衛条約を交しました。
ベルギーとオランダ、ルクセンブルクの3国はそれぞれの頭文字をとってべネルクスと称し、関税同盟を結んでいます。この経済的統合の動きは1960年にEEC (欧州経済共同体)を生み、EC (欧州共同体) へと結実していきます。ECやNATOの本部があるブリュッセルは、ヨーロッパの経済、防衛の中心になっています。

[デンマーク] 現在のデンマークは、日本の九州くらいの広さしかありませんが、バイキング時代はノルウェーやスウェーデンにかけて統一部族国家を形成し、イギリスにまでも力を及ぼす大国でした。しかし19世紀に入ってナポレオン戦争などの戦いに敗れ、領土は1/3に削られました。荒れはてた国土と、グリーンランド、大西洋のフェロー諸島の領土が残っただけです。
そのころ、学者のグルントビグと軍人のダルカスが、国土の再建に立ちあがりました。グルントビグは国民の祖国愛をよびおこして国民高等学校設立へと運動を展開させ、ダルカスはデンマークヒース協会を作って土地改良と植林をすすめました。デンマークは、ふたりの努力と団結した農民の力で、酪農業を育成してめざましい発展をとげ、世界有数の模範的な酪農王国を築きました。
デンマークは社会保障制度の充実した国です。国民は、広い範囲で高レベルの社会福祉を享受しています。

補足事項
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーであったオランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルックス3国は、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとして指導的役割をになっています。通貨も、2002年に、ユーロに完全に切り替わりました。ベルギーの首都ブリュッセルは、EUの本部、議会などがおかれ、ヨーロッパ連合の首都的な役割をになっています。デンマークはEUに加盟していますが、通貨はデンマーク・クローネのままです。

前回(3/22号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第6巻「スイス・オーストリア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「スイス・オーストリア」 について

[スイス] スイスは、ヨーロッパの屋根といわれるアルプス山中にある美しい観光国です。大きさは日本の九州とほぼ同じですが、人口は福岡、長崎、佐賀県をあわせたくらいです。山国なので、畑が全国土の1/10ほどしかなく、そのために谷間や山の斜面を利用した牧畜が盛んです。牧草地を含めた牧場は国の広さの半分を占めていて、そこに200万頭近くの牛が飼われています。そして、生産される豊かな牛乳から有名なスイスチーズや粉ミルク、ミルクチョコレートなどが作られます。それらは世界中に輸出されてスイスを富んだ国にさせています。ところでスイスは、酪農の国であるばかりでなく工業の国でもあります。石油も石炭も、鉱産物もなく、おまけに交通の不便なスイスを工業国にさせた原因はいったいなんなのでしょうか。
スイスの人たちは、むかしから暮らしの助けに手内職をしてきました。部品を農村で作り、それを都市で組み立てる家内工業です。やがて水力発電がおこりました。動力と技術が結びついて、小規模でも作れる時計や宝石細工などのような工業が発達しました。その技術は他の国ではまねのできないほど優れていたので、いよいよ栄えました。いまでは、精密工業以外にも、チューリヒを中心に綿工業、機械工業、高級絹織物業などが盛んで、特にししゅうは世界的に有名です。じかに外国から原料を買わずに、綿糸布やせん鉄などの半製品を買い、それを独自の技術で仕上げる方法で、大量生産するほかの国と対抗しているのです。
アルプスの山の中にある小さな国スイスが、りっぱな工業国になれたのには、もうひとつ大事なわけがあります。それはスイスが、1815年に永久にほかの国と戦争をしないことを宣言し、ほかの国々からも独立と領土の安全を保障された 「永世中立国」だからなのです。戦争による破壊とむだに苦しむことなく、生産と暮らしの向上に力をそそぐことができました。
スイスには、スイス語というものがありません。ドイツ系、フランス系、イタリア系などが地域的にまじり、したがって、ドイツ語、フランス語、イタリア語が正式の国語とされています。けれども寄りあい世帯でありながらスイスというひとつの国にとけこみ団結していて、人種間の争いがないのもこの国の特色といえましょう。

[オーストリア] オーストリアは、国土の2/3が山岳地帯のため、農業はふるわず、産業は鉄鉱石、黒鉛、銅、岩塩の生産が中心です。また、美しいドナウの流れと、音楽の都ウィーンで名高い新しい永世中立国です。1955年に中立を宣言したのですが、この宣言をするまでのいきさつは、スイスの場合とはだいぶ違います。この国は、ハプスブルク王家がたてたドイツ人の国で、13世紀以来、めざましい発展をとげ、後にオーストリア・ハンガリー帝国をつくって、18世紀には、全ヨーロッパの政治を左右するほどの勢力をほこったのです。ところがこの誇りがわざわいして、むだな戦争をくりかえしました。第1次世界大戦に敗れたあと、ドイツ人以外の民族がチェコ、ユーゴスラビア、ハンガリーなどの国となって独立したため、もとの国土の85%以上を失ってしまいました。つづいて第 2次世界大戦にも敗れ、ドイツと同じようにソビエト、アメリカ、イギリス、フランスの4国に管理されましたが、1955年に独立国の地位をとりもどし、世界に永世中立を宣言したのです。山ぐにの、しかも海に出口のないオーストリアが、ゆたかな国としてさかえるためには、どうしてもまわりの国々と平和なつながりをもたなくてはならないのです。

補足事項
スイスは、2002年に国際連合に加盟しました(EUには加盟していません)。 また、オーストリアは、1995年にEU(ヨーロッパ連合)に加盟し、2002年には通貨もユーロとなりました。そのため、両国とも厳密な意味での「永世中立国」とはいえなくなりました。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 30

● 幼児期からの甘やかしは禁物

いまや、子どものいじめが話題にならない日がないほどですが、問題の本質はいじめる側にあるように思えてなりません。それは 「他人への思いやりの心を育てる」 ことを、多くの親が忘れていることにあるような気がするのです。幼児期から、わが子かわいさに、精いっぱい、子どもを甘やかしてはいないでしょうか。
かわいい子どものいうことは、なんでも聞いてあげる。いけない子だなと思うことがあっても、まあまあ、まだ小さい子だからと見のがして、子どものわがままを聞いてあげる。わが子のわがままさに、腹をたてて父親が叱ったときは、母親は 「かわいそうに、まだ、なんにもわからないのに」 と言って、いっしょうけんめいにかばってやる。また、わが子をたいせつにするあまりに、近所の子どもとはあまり遊ばせない。遊ばせるときは、相手の子を家へ呼び、いつもおいしいお菓子でも与え、まず手なずけておいてから、わが子の相手をさせる。
幼児期から、このようにしてわが子を育てていけば、子どもの考えや行動は、自己中心的になり、自分の思うとおりにふるまうと同時に、自分の気にくわないことは排斥するようになってしまいます。また、いつまでも、親の過保護のなかで育てられるために、子どもなりに必要な社交性の育つのがおくれ、やはり、自分の気にくわないものは排斥するようになってしまいます。
いじめの本質は、0歳児のときから、かわいい、かわいいと溺愛してばかりいる親があまりに多くなってしまった点にもあるような気がしてなりません。

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