児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2007年02月

子どもワールド図書館」の初版が刊行されてから、25年以上が経過しましたが、この間の最大の変貌は、「東西ドイツの統一」「ソビエト連邦(ソ連)崩壊」そして、ソ連に事実上支配されてきて東ヨーロッパ諸国の独立と民主化だといってよいでしょう。今回は「東ヨーロッパ諸国の独立と民主化」の第3回目。
● アルバニア
アルバニアの歴史は古く、紀元前数世紀前から現在の地に住んでいますが、長い間トルコに支配され、ようやく1912年に独立した小国です。2度の大戦にも他の東欧諸国と同様の運命をたどり、社会主義国として1944年に再出発しましたが、この国はソビエトとは結びつかず、中国の援助で工業を発展させてきました。ヨーロッパでは経済的に最もたち遅れた国で、前途は多難なものがあります。
1992年の総選挙により非共産党政権が成立し、国際社会への復帰を進めています。
● ユーゴスラビア
トルコに支配されていたユーゴスラビアが、王国として歩みだしたのは1929年のことですが、第2次大戦中にドイツやイタリアからせめこまれたとき、王は国外へ逃亡してしまいました。かわって、建国の父といわれるチトーの率いるパルチザン (遊撃隊) が、ドイツ軍と壮烈に戦い、独力でドイツ軍を国外に追いやり解放しました。そして、ソビエトや他の東ヨーロッパとは少し違ったタイプの社会主義政策をすすめ、非同盟中立という立場をとって、社会主義国ばかりでなく資本主義国とも手をつないでいこうという方針をつらぬいてきました。
ユーゴスラビアという国は、7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教といわれてきたほど、統治の難しい国でした。そのため、1980年チトー大統領の死により、唯一の政党である共産主義同盟の役割が強まり、民族を異にする共和国・自治州の対立が激化、社会主義離れがすすんで1990年に党が分裂しました。これをきっかけに、さまざまな紛争がおこり、10年以上にわたる泥沼のような試練の時代がありました。
その結果、2003年にユーゴスラビアの国名も消滅し(セルビア・モンテネグロとなる)、次の6か国に分離しました。1991年クロアチア、マケドニア、スロベニア、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナが独立、2003年に独立したセルビア・モンテネグロが、2006年セルビア、モンテネグロとして分離独立しました。

子どもワールド図書館」の初版が刊行されてから、25年以上が経過しましたが、この間の最大の変貌は、「東西ドイツの統一」「ソビエト連邦(ソ連)崩壊」そして、ソ連に事実上支配されてきて東ヨーロッパ諸国の独立と民主化だといってよいでしょう。今回は「東ヨーロッパ諸国の独立と民主化」の第2回目。
● ハンガリー 
10世紀に「ハンガリー王国」として建国後、モンゴルやトルコの侵入、オーストリアの支配など幾多の変遷を重ね、さらに第2次大戦中はドイツに占領されて、食料倉庫の役割をおしつけられました。1945年ソビエト軍のたすけを借りてドイツ軍を追い出し、1949年人民共和国として再出発しました。
ハンガリーは、東ヨーロッパのなかでは指おりの大平野が広がる恵まれた風土にあります。そのため国土の70%が農地につかわれ、小麦やトウモロコシなどを中心にした農業が盛んで、ヨーロッパの穀倉といわれてきました。その後工業ものびてきて、工業と機械化農業の国へと変わりつつあります。
1989年6月、共産党の内部で改革派が多数派になり、10月に憲法を改正して民主化がおしすすめられました。1990年代はヨーロッパ社会への復帰をめざし、1999年にNATO、2004年にEU(ヨーロッパ連合)に加盟しました。
● ルーマニア 
ルーマニアは 「ローマ人の国」 という意味で、東ヨーロッパで唯一のラテン系民族国家です。1944年、ソビエト軍と協力して占領軍のドイツ軍を国外へ追い出し、民主政権をうち立て、ひきつづき1947年に王制から人民共和国になりました。
ルーマニアは、トランシルバニア山脈をはじめ、3つの山脈が縦横に走っているため、国土の2/3が山地あるいは丘陵地帯です。しかし、豊かな黒土に恵まれ、農業はたいへん盛んです。特に小麦、トウモロコシはヨーロッパ指おりの生産国です。また、ヨーロッパ第2の石油産出国であることを背景に、工業の発達もめざましく、世界でも第1級の成長率を示していました。
1989年12月、チャウシェスク大統領の独裁打倒を叫ぶ民衆が、共産党本部や国営放送局などの主要機関を奪い、大統領は処刑され、救国戦線が政権をにぎって民主化をすすめました(ルーマニア革命)。
民主化以降も独裁色のつよい政権がつづいていますが、2004年にNATOに加盟、2007年1月EUに加盟しました。
● ブルガリア 
ブルガリアは、9~13世紀に大帝国をうち立てたことがありますが、その後の500年間はトルコに支配され、トルコの大地主のひどい搾取にあって、貧しさを余儀なくされてきました。1877年のロシア・トルコ戦争後にトルコから解放され、ソビエトと強いつながりができました。第2次大戦後は、他の東欧諸国と同様に社会主義国としての歩みをつづけ、東欧諸国のなかでは最もソビエトに協力的だったのも、そんな歴史的なつながりからだともいえましょう。まだ農業中心の国ですが、徐々に工業も発展しつつありました。
1989年に共産党政権が崩壊し民主化をすすめてきましたが、ソ連を中心とした周辺諸国の市場を失ったことにより金融危機に陥りました。最近になってようやく回復しはじめ、2007年1月にEUに加盟しました。

子どもワールド図書館」の初版が刊行されてから、25年以上が経過しましたが、この間の最大の変貌は、前々回に記した「東西ドイツの統一」前回の「ソビエト連邦(ソ連)崩壊」そして、ソ連に事実上支配されてきて東ヨーロッパ諸国の独立と民主化だといってよいでしょう。前回記したバルト3国をのぞいた東欧のそれぞれの国が、どのような経過をたどってきたかを記してみましょう。
● ポーランド
20年ほど前までは、東ヨーロッパ7か国のうちいちばん面積が広く、人口の多いのがポーランドでした。混合農業やシレジア地方を中心とする重工業が発達していたため、東ヨーロッパの代表的な国家といわれていました。
ポーランドが国の基礎を築きあげたのは10世紀の後半のこと。14世紀はじめには力の強い国になり、最盛期にはバルト海からウクライナの黒海沿岸まで国土がひろがる王国をつくりあげました。ところが、18世紀には、まわりのロシア、ドイツ、オーストリアなどの外国勢力が強まり、これらの国々から3度にわたって国を分割され、まもなく国はとりつぶされてしまいました。
第1次大戦後、力強い愛国者たちの努力によって、125年ぶりに独立をとりもどしましたが、それもつかのま、20年後にはヒトラーの率いるドイツ軍に占領されてしまいました。近代世界史のなかで、これ以上悲惨なものはないといわれるポーランド国民の苦しみの日々が、このときからはじまりました。1944年ソビエト軍の協力により、ドイツ軍を国外に追いやるまでの6年間がそれです。この間にドイツ人の手によって殺されたポーランド国民は600万人 (全国民の約20%) といわれています。ほかに、家畜の70%が殺され、工業設備の90%が破壊されるなど、国の富の40%以上を失いました。
しかし1945年、長い間の国民の念願だったポーランド人民共和国が誕生したのです。国民は政府と力を合わせ、祖国のたてなおしを開始し、多くの町を、ほぼ戦前どおりに復興させました。それは、国を誇りに思う心と、戦争のことをいつまでも忘れまい、永久に平和であってほしいという人々の願いがこめられているからでしょう。
1989年6月に自由選挙が行なわれ、連帯が共産党に圧勝、9月に連帯を中心とした内閣が成立、社会主義体制をやめて民主化に取り組みはじめました。NATOにも加盟して親米国のひとつとなり、2004年にはEU(ヨーロッパ連合) にも加盟しました。
● チェコスロバキア 
この国は、チェコ人、スロバキア人をはじめ、ドイツ人、ハンガリー人、ルテニア人などさまざまな民族がいりまじっています。7世紀にチェコ人が独立国をつくりあげたのが、チェコスロバキアの国のはじまりです。共和国として独立したのは1918年ですが、第2次大戦に入ると、ドイツから激しい攻撃を受け、1939年以降、ポーランドと同様な苦しみの日々を送ったのです。1945年、国の独立をとりもどすことができたチェコスロバキアは、豊富な地下資源をうまく利用し、重化学工業とくに機械工業を中心に発展をとげてきました。1962年以来、ソビエトからの友好のパイプラインで輸送される原油を利用し、日本とよく似た加工貿易をしていました。
1989年11月、自由化を要求する学生デモを機動隊が弾圧したことがきっかけとなって、労働者の一斉ストライキがおこり、共産党を倒して市民フォーラムが実権をにぎりました(ビロード革命)。
ところが、1992年の6月の自由選挙で民主スロバキア同盟の勝利により、チェコとスロバキアの分離が決定し、1993年1月に分離しました(ビロード離婚)。
チェコ、スロバキア両国ともに、2004年にEU(ヨーロッパ連合)に加盟しています。


子どもワールド図書館」の初版が刊行されてから、25年以上が経過しましたが、この間の最大の変貌は、前回記した「東西ドイツの統一」、そして1991年ソビエト連邦(ソ連)が、崩壊したことだといってよいでしょう。
「子どもワールド図書館」第22巻「ソビエト」(1) には、ソビエト連邦(ソ連) が、どのような経過をたどって、世界で初めて社会主義国となったかを次のように記しています。






ソ連1


ソ連2



ソ連3


ソ連4


前回と一部重複しますが、ソ連の崩壊の経過を、やや詳しくたどってみることにしましょう。
ペレストロイカ 1985年、ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、政治、経済、社会の改革を推進しました。この改革を「ペレストロイカ」とよんでいます。その背景に、ソ連国内の経済のいきづまりと、国民の共産党不信があり、その危機意識が、大改革をよぎなくさせたといってよいかもしれません。ペレストロイカは、憲法を改正し、共産党以外の政党をみとめ、大統領制を導入するところまで進んでいきました。1930年以降、共産党の一党独裁しか認めず、そのため共産党の命令を守らなかったり、批判したりすることは厳しく罰せられるという自由のない社会で、特権官僚が国を支配し、支配者に都合のよいことしか国民に知らされなかったのです。
ゴルバチョフは、国民の不信をなくすために、さまざまな情報をありのまま国民に知らせることからはじめました。これを、「グラスノスチ」といいます。その結果、ソ連社会内部の欠陥や矛盾が明らかにされ、共産党への批判はさらに強まり、ペレストロイカの徹底を求める国民の声は、東欧諸国までもまきこんで一挙に広まり、東欧諸国のどの国でも共産党の権威は失墜していきました。
ソ連は、1990年3月、臨時人民代議員大会をひらいて、国家元首を大統領にすること、共産党の一党独裁をやめること、個人の土地や財産の所有、経済活動を認めることなどを定めた新憲法を採択し、初代大統領にゴルバチョフを選びました。
バルト3国 バルト海に面しているエストニア、ラトビア、リトアニアをバルト3国と呼んでいます。帝政ロシアの時代にロシア領にされ、ロシア革命後の1918年にいったん独立しましたが、1940年にソ連に吸収されました。人種的にはエストニアはフィンランド、ラトビアとリストニアはポーランドに近く、生活水準もソ連の平均を大きくうわまわっていて、ロシア人を主体とする中央支配に強い反発心をもっていました。ゴルバチョフの掲げるペロストロイカやグラスノスチをきっかけに、これまでおさえられてきた民族感情が燃え上がり、ソ連から分離独立する運動を展開しはじめました。ソ連中央は、はじめのうちは話し合いによる解決をめざしていましたが、ペロストライカのいきづまりもあって、軍隊によるおさえこみをはじめました。そんな武力介入に対し、G7(イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・日本・カナダ・イタリアの7か国蔵相会議) がソ連に対して緊急援助を凍結するなど、世界中からの抗議行動がおこりました。
独立国家共同体(CIS) ソ連に劇的変化がおきたのは、1991年8月におきた保守派によるクーデターの失敗がきっかけでした。クーデター失敗後に解放されたゴルバチョフ大統領は、クーデターに反対しなかったソ連共産党中央委員会に対し、党を解散するよう求め、みずから党書記長職を辞任する意思を表明しました。これによって、ソ連共産党は事実上解散されることになりました。そして翌9月、ソ連国家評議会は、バルト3国の独立を承認する決議を採択し、バルト3国は51年ぶりに完全独立をはたしました。
これがソ連邦崩壊の第1歩となり、1991年12月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラブ系3共和国が「独立国家共同体」(CIS) を創設、まもなくカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、モルドバ、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタンの8か国が加わり、1993年グルジアも加盟し、バルト3国を除く旧ソ連の12の共和国が、EU(ヨーロッパ連合) 型のゆるやかな国家連合体を形成しています。(その後トルクメニスタンは永世中立国を宣言したため準加盟国)
その後の旧ソビエト連邦 バルト3国は、2004年にそろってEU(ヨーロッパ連合) とNATO(北大西洋条約機構) に加盟しました。2007年には通貨もユーロとなる予定です。ソ連の崩壊を契機に誕生したCISの本部は、ベラルーシの首都ミンスクにおいていますが、中心は世界一の領土をもつロシア連邦で、旧ソ連がもっていた国際的な権利を基本的に継承しているのをはじめ、軍事施設や核やミサイルなどの軍事関連を一括管理しています。
なお、現在、ロシア連邦は、ブラジル、インド、中国と並んで「BRICs」(ブリックス)とよばれる新興経済国群の一角にあげられています。



子どもワールド図書館」の2007年補遺版を制作していくなかで、最も印象に残ったいくつかを、何回かにわけて記述することにします。

この20数年間で最も大きな変化は、いうまでもなく「東西ドイツの統一」「ソ連の崩壊」「激動する東ヨーロッパ諸国」といってよいでしょう。そしてそれらは、密接に結びついているという事実を知っておかなくてはなりません。
「子どもワールド図書館」の第2巻目「ドイツ」では、なぜドイツが2つの国に分かれてしまったのかを、10ページにわたって次のように詳述しています。


ドイツ1ドイツ2

ドイツ3ドイツ4

ドイツ5



以上の通り、ドイツは第2次世界大戦後、戦勝国によって東西ドイツに分割統治され、国家分断の道を歩んできました。それが、1990年10月3日、劇的に統一を回復しました。しかし、これは一夜にしてなされたものではもちろんなく、1985年に登場したソ連のゴルバチョフ政権のペレストロイカがもたらした最大の成果といわれています。発端は、ゴルバチョフ体制がアメリカやイギリスやフランスなど、西側への対決をあらためたことでした。これに西側世界が呼応して、軍縮などの共同作業を通じて、東西間の信頼関係がしだいに作られていきました。
一方で、自由化をソ連にこばまれてきた東ヨーロッパ諸国の市民が、ソ連のそんな変化をとらえて自立と民主化へ動きだしました。そして、1989年11月、東ドイツに飛び地のようにあった、ベルリン市内の東ベルリンと西ベルリンを分けていた「ベルリンの壁」が崩壊すると、ドイツ統一の機運が急に高まり、だれも予想できなかった速さで、ドイツ統一が実現したのです。
アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の第2次世界大戦戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利をただちに放棄して、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を吸収する形で、統一ドイツ(ドイツ連邦共和国)となり、統一ドイツの首都はベルリンに決定しました。
ドイツの統一によって、第2次世界大戦後からつづいたヨーロッパの戦後秩序(欧州の分断)が終わり、ヨーロッパは対決から統合へ、新しい時代をむかえるにいたりました。
人口、GDPともに欧州ではとびぬけてトップになった新生ドイツに、EU加盟国ばかりでなく、自由主義経済への転換をはかった東ヨーロッパ諸国からも大きな期待がよせられています。しかし、一方で、2つの世界大戦をひきおこしたドイツの過去の歴史にまゆをひそめる人たちがたくさんいることも事実です。統一があまりにも急であったために、ドイツ経済の混乱はいまだにつづいています。大量失業などの難問をかかえながら、ドイツが今後どのような歩みをみせるか、世界中が注目しています。
なお、通貨は2002年にドイツマルクからユーロに完全に替わりました。

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