児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2007年01月

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 13

● けんかを奨励するわけではないけれど……

このごろの子どもは、学校でも、外でみんなと遊んでいるときでも、けんかをすることが少なくなったといわれています。これは、一見、すばらしいことのようです。
しかし、けんかをすることが少なくなったということの裏側に、悲しいことが秘められていることを、よく知っておかなければいけません。
けんかは、しかけるにしても、しかけられたものを受けて立つにしても 「自己を主張」 しようとするからおこるものであり、けんかが少ないということは、その自己主張が少ないということだからです。
もちろん、けんかを奨励することは、けっして好ましいことではありません。しかし、なんでもかんでも人と妥協するあまり、しっかりした自分の考えをもたないあまり、そして、多数の意見に従うあまり、あたりさわりなく、自分のことだけを考えて利己的に生きようとするあまり、いっさいのけんかをしないのだったら、これも、好ましいことではありません。いつも、自己を殺しているとしたら、むしろ、悲しいことです。
子どもは、友だちと仲よくしたり、衝突したりしながら、集団の中での生きかたや社交を身につけていくのです。したがって、いちがいに 「けんかをする子は、いけない子だ」 ときめつけてしまうことには問題があります。
子どもがけんかをしてきたら、ただ、おとなの立場で頭ごなしに叱るのではなく、子どもの言い分を、しっかり聞いてやることがたいせつでしょう。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 12

● 行いの習慣化にとらわれない

親は、一般に、子どもになにかをやらせるとき、いちど決めたことを、どこまでも守らせようとします。しつけには習慣がたいせつですから、いちど決めたことを守らせるのは、よいことです。
しかし 「決めたことを守らせる」 という考えにとらわれすぎるあまりに、多くの場合、忘れられていることがあります。それは、行動の習慣化にあわせて、子どもの自由な思考を育ててやることへの配慮です。
たとえば、自分の部屋は自分で片づけることにした場合、多くの親は、はじめ親もいっしょになって片づけてみせて、その後はいつも子どもに、そのとおりに片づけることを求めます。そのとおりになっていないと、片づいていないと言います。
はたして、これが最善のしつけでしょうか。これでは、子どもの考えが、たいせつにされていません。子どもは、親の決めたことを機械的に守っているだけです。
子どもが、はじめ決めた片づけの形を守らなくなったら、むしろ 「片づけかたを、こんどは、あなたの思うとおりに変えてごらんなさい」 と言ってやったらどうでしょう。また、ときには、もっと積極的に 「部屋のもようを、思いっきり自由に変えてみたらどう?」 と言ってやったらどうでしょう。子どもは、片づけることひとつにも、自由な思考をはたらかせるはずです。
家事のてつだいも同じです。いつも同じ方法を守らせるのではなく、「もっと、ちゃんといく方法、もっと早い方法はないかしら」 などと意図的に語りかけてやって、新しい方法や形を子ども自身に見つけださせながら、やらせてみることです。子どもは、行ないの習慣だけでなくふだんの生活のなかで、自由に、幅ひろく考えていく習慣をも身につけていってくれます。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 11

● 謙譲の美徳など発揮しないこと

子どもといっしょに、食事にさそわれることがあります。このとき、先方から 「さあ、なにを召しあがりますか」 「なにが、おすきですか」 と問いかけられたとき、親がはっきり言うのははしたないことと思っているのか 「なんでもけっこうです」 と返事して、子どもにも 「なんでも、いいです」 と言わせる親がいます。「はい、とってもおいしそうですから○○をいただきます」 「わたしは、だいすきな○○をいただきます」 と、どうしてはっきり言わせないのでしょう。
親子同席の場で、人がわが子に 「あなたは、なにがとくいですか」 と問いかけてきたようなときも同じです。まず親が謙譲の美徳を発揮して 「いいえ、この子には、人さまに自慢できるような得意なものは、なにもございません」 と代弁したり、子どもにも 「ぼくは、なにをやってもダメなんです。得意なものなんか、なにもありません」 と言わせるのを見ると、何かかわいそうにさえ思ってしまいます。
こういうことを重ねていると、子どもは、親といっしょのときは何でも親にまかせるようになってしまううえ、すべてのことにおいて、自分の意思をはっきり相手に言わない子になってしまいます。人間は生きていくうえでいつも「自分で決める」ことが求められます。子どものうちから、はっきり意思を伝えられる訓練をしておきたいものです。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 10

● しつけ糸をとってあげよう

「しつけ」 という言葉には、「着物の縫い目がととのうように、仕立てがくるわないように、仮に、糸であらく縫っておくこと」 という意味があります。
これは、できあがった着物のどこかがつったり、おかしな形になったりしないように、まず、縫いはじめの基礎をしっかりしておくということでしょう。つまり 「はじめの基礎をしっかり」 という意味で、子どものしつけと、まったく同じです。
ところが、子どもに対するしつけには、着物のしつけのなかでの、もっともたいせつなことのひとつを忘れてしまっていることが少なくありません。それは、着物のしつけ糸は、あとで、かならず、きれいにとってしまうものだということです。
親が、幼少期のわが子へ 「しつけ糸」 をつけてやることは、たいせつです。しかし、この糸も、着物の 「しつけ糸」 と同じように、やがては、きれいにとってやらなければいけないのに、それを忘れている親が少なくないのです。
わが子のからだから、しつけ糸をとってやるとき、それはいうまでもなく 「わが子も、もう安心」 というときでしょうが、この 「もう安心」 というときには、子ども自身に、ものごとを自分の心で正しく判断するものが、育っていなければなりません。
したがって、子どものしつけには、ふだんから親の命令よりも、子ども自身に考えさせることこそたいせつであり、これを怠って、親の権威と力だけでしつけてきた人が、不安なあまりに、しつけ糸をとってやることを忘れるのです。
子どものしつけは 「子どもを、1日も早く、しつけから解放してやるために、しつけるのだ」ということを、忘れてはなりません。

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 9

● 自由にのびのびと書かせよう

幼児にクレヨンや鉛筆を持たせると、ところかまわず、思いっきり書きなぐろうとします。白い紙を与えると、紙いっぱいに書きちらして、しまいには絵や線が紙からはみだして、テーブルやたたみにまで、のびていきます。
さあ、このとき 「あらあら、この紙の中に書かなきやダメよ」 と叱っていませんか。せっかく書いた人の絵の手や足が、紙のなかに書ききれずに切れてしまっているようなときは 「この紙のなかに、ちゃんと書かなきやダメよ」 「紙のまん中に、じょうずに書かなきやダメよ」 などと、言いいがちです。
そんなときは、もっと大きな紙を与えてあげてほしいものです。いろいろな大きさの紙を用意して、子どもに自由にえらばせることもよいでしょう。いつもいつも、同じ大きさの紙を与えて 「はい、これにちゃんと書きましょうね」 とやってしまうと、子どもは、いつのまにか、自由にのびのびと書くことも、創造性をのばしていくことも忘れてしまいます。いつも規格サイズの紙に規格品の絵を書くうちに、その絵と同じように、こぢんまりとした規格サイズ思考の人間へと育ってしまうからです。
規格サイズの紙ばかりを与え、子どもの自由奔放な絵に 「あらあら、ちょっとおかしいわね」 と顔をしかめ、子どもの手に親の手をそえてやるようにして 「ほら、こうしたほうがいいでしょ」 と形のととのった絵ばかり書かせて満足している親が、何と多いことでしょう。これでは、子どもに絵を書くことへの、ほんとうの興味が芽生えるわけがありません。

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