児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年12月

今の親が生まれ育ったのは、昭和40年代のはじめから55年前後の15年間ほどです。それ以前に子ども時代を過ごした親たちと決定的に違うことがあります。それは、生まれたときから家にテレビがあり、そのテレビも草創期を終え、白黒からカラーになって視聴率競争が激化、そのあおりから子ども向け番組も、一部良質な番組はあるものの粗製乱造され、朝の時間帯から夕方の2~3時間は、子どもたちがテレビにかじりつくという習慣が身についてしまいました。
これまでは、園や学校が終わった後は、友だちと外で遊びまわり、さまざまな体験をすることによって、子ども社会のルールを身につけていた時間が急速に失われていきました。

日本中のほとんどの家庭が一度にそうなっていったのですから、私たちの生活そのものをまったく変えてしまった大事件といっても言い過ぎではありません。テレビというのは、映像そのものを相手におかまいなく次々に見せていきます。そのため、イメージをふくらませる、想像する、じっくり考えてみるという余地を視聴者にまったく与えてくれません。
テレビアニメの多くは、勧善懲悪の見本みたいなもので、ヒーロー、ヒロインが悪者どもをやっつけるストーリーです。ハラハラドキドキしながらも、最後には悪者を必ずやっつけて終わることになっています。(以下次回)

これからしばらく、子育てはどうあるべきかについて考えてみることにします。
というのも、最近、子どもの「いじめ」や「自殺」が社会問題になり、テレビや新聞をはじめ、マスコミには連日のように報道され、いろいろな分野の論者が意見を出しあっています。その傾向は歓迎してよいことでしょう。

なぜなら、世の中はじゅんぐりだからです。20年後、30年後のわが国は、今の子どもたちが社会の中心となり、こんどは親としてわが子の子育てをしていかなくてはなりません。つまり日本の将来は、子どもたちいかんにかかっているわけで、その子どもがどうあるべきかを議論することは、とても意義のあることだと思うからです。

「いじめ」は今にはじまったことでなく、昔からありました。しかし、以前とはっきり違うところがあります。それは、わが子可愛さのあまり、子どもに味方しすぎる親が多くなったことです。もうひとつは、生まれてくる子どもの激減により、兄弟をふくめ、自分以外の子どもたちと接触する時間が急に短くなったことです。さらにいえば、なぜいじめるのか、なぜいじめられるのかをしっかりみつめ、その原因は何なのかを考えない短絡的な親があまりに増えました。

それはなぜなのでしょう。私には、今の親が育てられてきた時代背景に根っこがあるような気がしてなりません。(以下次回)

● 文学、歴史、神学、語学、詩、乗馬、剣術──おどろくほどよく勉強

裕福な法律家の家に生れ、自分も法律家として進む道をさだめられていたゲーテは、小さいときから、おどろくほどよく勉強しました。先生は、厳格な父と家庭教師でした。このころにも、もちろん学校はありました。しかし、貴族や金持の家では子どもを学校には入れず、家庭教師などをやとって自宅で学ばせたのです。
法律をはじめ文学、歴史、神学、語学、詩、乗馬、剣術──このなかで、いちばんとくいだったのは語学でした。自分の国のドイツ語のほか、イタリア語、ラテン語、ギリシア語などを学び、10歳のときには、ギリシア語で新約聖書を読めるほどになっていました。そして、旧約聖書に興味をもつと、どうしても原典で読みたいと思うようになり、ヘブライ語まで学びました。
でも、文法のような規則を勉強するのはきらいでした。人におしつけられないで、自分の思うとおりに自由に学ぶのが楽しかったのです。
また、小さいときから、人形しばいごっこをして遊ぶなど、しばいもたいへんすきでした。10歳のとき、家が、フランクフルトへ進駐してきたフランス軍の宿舎になったことがありました。このとき軍人たちが楽しんだ劇を、おとなにまじって、ひと晩もかかさずに見たということです。
15歳のとき、父のもとを離れて大学へ進むと、こっそり絵を学び、シェイクスピアを愛読し、詩をつくり、3歳上の女性に恋をし……、こうして小説家、詩人、劇作家への道を進んでいきました。

ゲーテ(1749~1832)──「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」などの名作を生み出したドイツの文学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきゲーテを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● きかん坊だが正直なガキ大将

山形県の蔵王山のふもとに、農民の子として生まれ育った茂吉は、子どものころ、仲間のあいだでもとびぬけたガキ大将でした。みんなからはヤセモッキーというあだ名で呼ばれていましたが、とにかく負けずぎらいで、いつも、仲間の総大将でした。
遊び場は、村を流れる須川の河原と、宝泉寺という寺の境内でした。河原ではよく、よその村の子どもたちと石合戦をしました。このとき茂吉は、作戦をねって味方の指揮をとり、味方が少しでも負けそうになると、飛んでくる敵の石などおそれず、自分が先頭に立って戦いました。そしてたいていは勝利をおさめ、敵が逃げていくと、水の中まで追いかけていって、かちどきをあげました。
石合戦のときも、河原で夢中になって遊んだときも、ぬれてしまった着物は、宝泉寺の墓からぬいてきた卒塔婆を河原で燃やして乾かし、なにくわぬ顔をして家へ帰りました。
でも宝泉寺の和尚からは 「きかん坊だが正直な子だ」 と、かわいがられました。5歳下の弟の直吉と2人だけで、1日に7回も8回も寺へ行くことがありましたが、このときの目的は、お菓子でした。字を書く和尚の墨すりを手伝うと、せんべいなどをもらえたのです。しかし一方ではこの和尚から、眼をつぶって考えるくせ、灰に字を書くくせ、顔にぬれ手ぬぐいをのせるくせなどといっしょに、書を学び、やがて14歳で東京へでると、医者の斉藤家の養子となって、歌人の道へすすんでいきました。

斉藤茂吉(1882~1953)──医者のかたわら、土のにおいのする短歌を作り続けた歌人。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき斉藤茂吉を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 11歳で、たった一人世の中にほうりだされる

ゴーリキーの書いた、もっとも有名な作品は『どん底』ですが、少年時代のゴーリキーの生活は、ほんとうに、どん底でした。
ゴーリキーが4歳のときに家具職人だった父が亡くなると、母の実家へひきとられ、それから7年間、まるで動物のようにあつかわれて、毎日なぐられる暗い日がつづきました。そして11歳のときに母が亡くなると、小学校もわずか1年でやめさせられ、たった一人、世の中へほうりだされてしまいました。
寝るところもお金もなく、友だちもいない。どんなに泣いても、だれ一人、助けてはくれない。こんななかで、ゴーリキーははたらきはじめました。小さなくつ屋の小僧、製図工の見習い、船の皿洗い、塑像販売店の小僧、しばいの下っぱ役者、パン焼き職人……など、大人にどなられ、こづきまわされながら、毎日たおれるまではたらきました。主人に松の枝でなぐられて、背中が枕のようにはれあがり、病院で、からだから42個の木切れを抜きとってもらったこともありました。また、古いピストルを買ってきて、ほんとうに胸にあてて発射したこともありました。さいわい弾は心臓をはずれて一命をとりとめましたが、とにかく、なんのために自分は生きているのかわからないほど、苦しかったのです。
ところが、こんなゴーリキーを救ったものが、たった1つだけありました。本です。かくれるようにして本を読みつづけるうちに、「自分はけっしてひとりぼっちではない」 と信じるようになり、やがて、貧しい人びとを見つめる作家へと成長していきました。

ゴーリキー(1868~1936)──11歳で両親を失い世の中へほうりだされ、貧しい人びとのことを考えつづけたロシアの作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきゴーリキーを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

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