児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年11月

● 姉にいたずらして、土蔵にとじこめられる

「六つ七つになると思い出もはっきりしている。私は、たけという女中から本を読むことを教えられ、二人でさまざまな本を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。私は病身だったので、寝ながらたくさんの本を読んだ。読む本がなくなれば、たけは村の日曜学校などから子どもの本をどしどし借りてきて私に読ませた。私は黙読することを覚えていたので、いくら本を読んでも疲れないのだ」
これは、太宰治の 「思い出」 のなかの一節です。家は大地主で父は貴族院議員の津島家の六男として生まれた修治(本名) は、母が病弱だったために、幼児期は叔母と女中の手で育てられました。そして小さいころは、夏の夜など蚊帳の中で、叔母に添い寝をしてもらいながら、むかし話を聞かせてもらいました。とくにおもしろかったのは 「舌切雀」 と 「金太郎」 でした。
しかし、 このように読書やお話が好きでも、修治はけっしておとなしい子どもではなく、姉をものほし竿で追いかけたり、姉の髪をはさみで切ったりしては、よく土蔵へとじこめられました。六男の修治は、生まれたときから‘よけいもの’という宿命を負わされ、いつもみんなからのけものにされているようで、さみしかったのです。学校の通信簿はいつも10点満点でしたが、操行(品行のこと) だけは7点だったり6点だったりで、家じゅうのものに笑われました。
父が死んだ14歳の年に、青森中学校へ入学しました。そして中学3年生のころには、作家になることをはっきり心に決めていました。

太宰治(1909~1948)──自己の罪を自覚し人間のやさしさに救いを求めて「走れメロス」「人間失格」などを残した、大正・昭和期の作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき太宰治を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 棒切れでバイオリンを弾くまねをして笑わせた

ハイドンの父親は貧しい車大工でした。しかし、いつも心の豊かさを大切にし、とくに音楽が好きでした。母も、神を深く信仰する心のやさしい人でした。
4歳のころには、父の弾くハープに合せて、美しい声で歌うようになりました。棒切れでバイオリンを弾くまねをして、みんなを笑わせることもありました。
5歳のとき、小学校の校長をしている親戚へ預けられました。
「家へ帰りたい、みんなどうしているかなあ」 ハイドンは、さびしさに涙ぐむこともありました。でも、「パパやママだって、さびしいんだよ。自分の勉強のためにがまんするんだ」 と言っていた父と母を思って、音楽の勉強のできることを神に感謝して、がんばり続けました。そして、6歳のころには、教会合唱団でみごとにミサを歌い、バイオリンやグラビーア (ピアノの原型楽器) も弾けるようになっていました。
8歳で音楽の都ウィーンへ出て、大聖堂の合唱団へ入り、その後およそ10年、独唱者として活躍しました。ところが、やがて声変りを契機に、17歳のときに大聖堂を去りました。
音楽家への道が開けたのはこれからです。屋根裏に住んで町の流しのバイオリン弾きをしながら勉強を続け、27歳で貴族の楽団の楽長に迎えられて、大作曲家への道を進んでいったのです。

ハイドン(1732~1809)──30年ものあいだ貴族につかえ、多くの交響曲、弦楽曲、宗教的楽曲を残した、オーストリアの作曲家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきハイドンを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 小さな手に持つ薬をすがるようにして売る行商の旅

親の行商から行商への旅で、小学校を10数回も変わった芙美子は、11歳のとき、親子3人で尾道へやってきました。まもなく芙美子は、町の人たちから“オイチニのむすめ”と、よばれるようになりました。父が、日本一薬館という薬屋から、軍服まがいの服と手風琴を借りて、町角で 「オイチニのくすりは、よいくすり、日本一のくすりがオイチニッ」 などと、手風琴にあわせてうたいます。すると芙美子が、父のまわりに集まった人たちの前へちょこちょこ行って、小さな手に持った薬を、すがるようにして売るのでした。
芙美子は、小学校へあがったときから、いろいろな行商の手つだいをしてきました。でも、このオイチニのときばかりは、なんだか、とてもいやでしかたがありませんでした。同じ年ごろの子どもが見ている前で、父といっしょにこんなことをするのが、やはり、はずかしかったのです。
でも一家は、小さな部屋の部屋代も電気代も払えないほど、また芙美子の学用品もなに一つ買えないほど貧しく、芙美子も、両親といっしょに、はたらかなければなりませんでした。
学校では、行商から行商への渡り者として、みんなから変な目で見られ、だれからも仲よくしてもらえませんでした。しかし芙美子は、どんな苦しみにも耐え、この苦しみが力となって、のちに名作『放浪記』を生む作家へと、成長していきました。

林芙美子(1903~1951)──貧しい生活、苦しい生活に耐え、のちに名作『放浪記』を生んだ女流作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき林芙美子を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 古い大工道具で遊びながら、物づくりのおもしろさを知る

蒸気機関を発明したジェームス・ワットは、スコットランドの西海岸のグリノックという港町に生まれました。父は船大工でした。船大工といっても、グリノックは小さな港町でしたから、家も建てれば棺おけも作るという、貧しい大工でした。
少年時代のワットは、いろいろな物を作る父を誇りにしていました。そして、父の仕事場へ行っては、自分でもさまざまな物を作るのが、なによりも楽しみでした。父は、小さいワットに、古い大工道具を与えて、自由に遊ばせてくれたのです。
ワットは、とくに、起重機やポンプなどの模型を作るのが、いちばん好きでした。一つの模型に取り組むと、時間も食事も忘れてしまうほどで、うまくいくまで何度でも作り続ける研究心とねばり強さは、父もおどろくほどでした。
実物そっくりの模型を作りあげるのを見て、まわりの人たちは 「この子の手は、もう、りっぱな財産だ」 と、その器用さをほめました。自由に物を作って楽しむわが子をあたたかく見守った父の深い愛が、ワットをそのように育てたのかもしれません。学校では、数学や物理が得意でした。
「数学器械を作る仕事を習いたい」──19歳になると、この夢を抱いてロンドンへ行きました。そして、1年過ぎると郷里の近くのグラスゴーへもどり、グラスゴー大学の中に数学器械の店を開きました。少年時代の夢をふくらませつづけたのです。やがて、大学にたのまれて模型機関の修理に打ち込むうちに、蒸気機関発明への道を進んで行きました。

ワット(1736~1819)──少年時代の模型作りから、蒸気機関の発明へまい進した技術者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきワットを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 両親、兄弟、祖父母を失い、深い孤独感にさいなまれる

医師の家に生まれた康成は、2歳のときに父を亡くしたうえ翌年には母をも失い、両親の顔も愛情もほとんど知らないまま、母の実家の祖父母のもとへあずけられました。このとき、よその村のおばの家へあずけられたたった1人の姉も、それから1度会ったきり、まもなく死んでしまいました。
7歳になったときに、こんどは、かわいがってくれた祖母が亡くなり、それから8年後の15歳のときには祖父をも失って、こんどはおじのもとへあずけられました。
こうして幼・少年時代に、父、母、姉、祖母、祖父をつぎつぎに失ったことが、康成の心に影響を与えなかったはずはありません。少年時代の康成は、からだが弱く、いつも孤独で、小学校へあがっても学校へ行くのをいやがり、1年生のときには69日も欠席したほどでした。祖父母にひっそりと育てられた康成は、たくさんの子どもたちの中に入るのが、こわかったようです。
小学1、2年生のころは、画家になることを考えました。ところがしだいに作文がとくいになり、5、6年のころから本を手あたりしだい読みはじめると、もうはっきりと、小説家を考えるようになっていました。小さいころからの孤独が、ものを深く見つめる心を育てていたのでしょう。
中学に入ると、授業中は教科書を立ててそのかげで読むほど、小説を読みつづけました。そして、15歳をすぎるたころから小説を書きはじめ、自分の夢をひとすじに追いつづけました。

川端康成(1899~1972)──日本人の心をみつめつづけて、日本で最初のノーベル文学賞を受賞した作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき川端康成を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

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