児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年11月

● 広大な修道院で母とくらしながら、深いものを見つめる心を育てる

たったひときれのパンを盗んだばかりに19年も牢獄に入れられ、激しく社会を憎みつづけたジャンバルジャンが、出獄後、1人の神父に出会ってから社会への愛に生きることを誓い、悪人はどこまでいっても悪人だという社会の考えに打ち勝っていく──このジャンバルジャンの物語 「レ・ミゼラブル」 を書いたビクトル・ユゴーは、1802年にフランス東部のブザンソンに生まれました。
父はナポレオン軍の将軍でしたが、ビクトル少年は、家庭的には恵まれませんでした。父は熱烈な共和主義者なのに母は全く反対の王党びいきで、両親の仲がいつも悪かったからです。
7歳の時から数年、父と別居した母と広大な修道院の1室でくらし、ここで自然の美しさにひたりながら、子どもなりに神のことを考えつづけました。深いものを見つめる心を育てていったのです。
12歳で寄宿学校へ入りました。ところが、またたくまに天才詩人とさわがれるようになりました。すでに 「自分は詩人になるのだ」 とはっきり心に決めて詩を作るうちに、有名な詩のコンクールで1等賞をとり、人びとをあっと言わせたのです。
19歳の時に母を失し、ビクトルは大きな悲しみにくれました。しかし、その後、そう明で独立心の強かった母の教えを胸に秘めて愛国の詩人として強く生き、40歳の時に『レ・ミゼラブル』を発表して作家としても、その名を世界に高めていきました。

ユゴー(1802~1885)──少年時代から生きる道を定め「レ・ミゼラブル」を書き残したフランスの詩人・作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきユゴーを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● おとなが読む文学書をかたっぱしから読み続ける

龍之介が小学校3年生のときのことです。このとき、中国大陸で北清事変が起こっていましたが、龍之介はときどき、両国広小路の絵草子屋へ戦争の絵を買いに行きました。ところが、その戦争の絵の中で死んでいるのが中国人 (義和団) ばかりだということに気づいた龍之介は、こんなはずはない、日本兵も1人くらいは死んでいるはずだ、と思いました。真実を見きわめようとする力が、もう、そなわっていたのです。
同じころ、学校で先生に 「かわいいと思うもの、美しいと思うもの」 を書けと言われました。すると龍之介は、かわいいと思うものには象を、美しいと思うものには雲をあげました。ところが、先生に 「雲などどこが美しい、象もただ大きいばかりじゃないか」 とたしなめられ、答案には×がつけられてしまいました。しかし、このときの龍之介には、雲と象が真実だったのです。
龍之介は小学校に入ったときからたくさんの本を読み、10歳をすぎると、家にあった 「西遊記」 や 「水滸伝」 を愛読、さらに、町の図書館や古本屋へも通って、おとなが読む文学書を、かたっぱしから読みつづけました。そして、11歳のときには、友だちと『日の出界』という回覧雑誌をだして、いろいろな小説を発表しました。本を多く読むうちに、読むだけではものたりなくなり、自分で小説を書くようになっていったのです。

芥川龍之介(1892~1927)──「くもの糸」「杜子春」「鼻」などの名作を残し35歳で自殺した作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき芥川龍之介を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 父の営む本屋の書棚の前にすわりこんで読書

『トロイメライ』という名曲があります。ピアノ曲集『子どもの情景』の中の7番目の曲です。バイオリンやチェロで演奏されるこの曲は、花園の夢にでもつつまれて安らかに眠っている子どもの姿を、まるで絵のように思いおこさせます。
数多くのピアノ曲や歌曲を残したシューマンは、7、8歳のころから、本に夢中になりました。父が本屋を営んでいたからでもありましたが、とにかく、店の書棚の前にすわりこむようにして、本を読みました。とくに夢中になったのは、夢と空想をえがいた詩や小説でした。
同じ7歳のころからすでに作曲も始めましたが、初めのうちは多くが即興でした。シューマンは、生れつき感受性の鋭い子どもでしたが、その鋭い感受性を、やはり、文学を愛する心が刺激して、ひとりでに曲がほとばしりでたのでしょう。少年時代から、文学をとおして繊細な心を育て、18歳の年に、シューベルトの死を知ったときには、ひと晩じゅう泣き明かしたということです。
16歳で父を亡くし、18歳のときに、母のすすめにしたがって、大学で法律を学ぶことになります。しかし、音楽への夢がすてられず、20歳の年に音楽家としての道をすすむことを母からゆるされました。
シューマンは、その後も、文学や哲学を愛する心を忘れず、作曲のかたわら評論家としても活躍する音楽家へと成長していきました。

シューマン(1810~1856)──ドイツ・ロマン派の代表的な作曲家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきシューマンを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 10歳で藩主の前で古典を講義する
長州藩 (長門国・今の山口県の一部) の身分の低い杉家の次男として生れた松陰は、4歳のとき、おじの吉田家の仮養子となり、翌年、そのおじが死んだため正式に吉田家を継ぎました。吉田家は、藩の学校明倫館で山鹿流の兵学を教える家柄でした。
吉田家を継いだものの、おじがいないため松陰は杉家で暮し、神を敬い先祖を尊び、働くことと学ぶことを愛するという父の教えを受けながら育ちました。また、政治や人の道を教える儒学も学び、人間の正しい生き方を考える少年へと成長していきました。
10歳のとき、藩主や家来をあっといわせました。主君の前で堂々と講義をやってのけたのです。15歳にもなると、主君に問われればその場で中国の兵学者孫子の教えなども説いて、さらに人びとを驚かせました。
松陰は、主君を心から尊敬し、命さえ惜しまぬことを決心しました。しかし、それは、主君の命令であればどんなことにも従うというのではなく、自分の心をたいせつにし、自分の信じる道で仕えるという考えでした。命じられるままに 「はい、はい」 と言うのは、決して正しいことではないと信じたのです。
19歳で明倫館の師範になりました。ところが松陰はそんなことでは満足せず、やがて長崎へ下って西洋の学問を学び、江戸へ上ってはあらゆる師を求めて儒学や兵学を学び続けました。どんな短い時間をも惜しんでの勉強ぶりはすさまじく、その努力が、やがて松下村塾で多くの志士を育てる力になったのです。
吉田松陰(1830~1859)──幕末に多くの志士を育てわずか29歳で獄死した学者。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき吉田松陰を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 父の言いつけをこばめば、いつもムチで打たれた

4大戯曲 「かもめ」 「ワーニャ伯父さん」 「三人姉妹」 「桜の園」 を書いたチェーホフは、ほんとうは生まれつき明るい性格でした。
ところが、少年時代、その明るい性格を、いつも押し殺していなければなりませんでした。食料雑貨店を営んでいた父は、父親としての権力ばかりふりまわし、6人の子どもたちに、ようしゃなく、むちをくらわせたからです。
少しでもいたずらすれば、むち。店の番をいやがれば、むち。教会の聖歌隊で歌うことを言いつけられ、これを拒むとまたむち。とにかく、父の言いつけにそむけば、たちまち、むちで打たれたのです。
小学校へあがった時、仲よしになった友だちに1番に聞いたのは 「家でよくぶたれる?」 ということでした。そして 「ぶたれないよ」 という返事が返ってくると、どうしても信じられませんでした。
のちに 「私の少年時代に、少年時代はなかった」 と語っています。のびのびした少年時代など、一つもなかったのでしょう。
しかし、チェーホフは、母や妹たちのことを思って、じっと耐え続けました。そして、やがて中学に入った時に父が破産すると、1人で自活しながら家庭教師などで稼ぎ、それを母と妹のもとへ送りました。父にむち打たれたことで、かえって、人のことを思いやるやさしい心と強く生きる心を、自分で育てたのです。
作家になってからは小説や戯曲を書くだけでなく、罪人や病気に苦しむ人びとのために働くなどして、社会のために尽くしました。

チェーホフ(1860~1904)──父親のムチに耐えて心やさしく生きたロシアの作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきチェーホフを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

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