児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年10月

● 6歳のころから畑で働き、夜、父親にかくれて読書

農家に生まれた毛沢東は、6歳のころから、泥にまみれてはたらきはじめましたが、親の権力をふりまわす父親から、よく、なぐりつけられました。ところが権力に反対する毛沢東は、けっしてだまってばかりいないで、池のふちまで追いかけてきた父を、「近よるととびこんで死んでしまうぞ」 とおどかして、なぐらないことを約束させたようなこともありました。人のいいなりにならない、つよい心をもっていたのです。
また、その一方で、たいへん心やさしくなさけぶかい母親が、父にかくれて、まずしい人へ、こっそり米をあたえたりしているのを見ると、自分がよいことをしたように、うれしくてしかたがありませんでした。そして、毛沢東の心のなかには、まずしい人たちのことを、かわいそうに思う気持ちが、しだいに、めばえていきました。
父親は 「はたけのしごとをするものは、勉強などしなくてもいい」 と言い、毛沢東は、13歳で、村の塾をやめさせられてしまいました。でも、国や社会のことについて、いろいろ考える毛沢東は、昼のはたけしごとが終わると、夜はこっそり、あかりを父に見つけられないようにしながら、『西遊記』や『水滸伝』などの本を読んで、自分の夢をひろげていきました。この少年のころから、自分の生まれた中国という国を、りっぱにしようと思いつづけながら、大きくなっていったのです。16歳になったとき、米屋へはたらきに行かせようと考えていた父に反対して、やっと、高等小学校へ行くようになり、やがて、中学校から師範学校へと進んでいきました。

毛沢東(1893 1976)──強い心とやさしい心で国のために戦いつづけ、新しい中国をうちたてた革命家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/mohtakutoh/index.html

なお、中国(中華人民共和国)は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949~1978)と�搶ャ平時代(1978年~現在)の2つに分けて考えられています。
毛沢東のひきいた時代は、社会主義化を促進して大きな成果をあげましたが、たくさんの餓死者を出すなど、政策は失敗に終わりました。さらに、経済の建て直しをめぐる対立から、毛沢東は文化大革命を発動して、反対派とされた人たちをつるしあげたり殺害するなど、国内は内乱状態になりました。
文化大革命は1978年の毛沢東の死により終結し、かわった�搶ャ平が経済開放政策を打ち出しました。これをきっかけに、中国の近代化や経済の急成長をもたらしたことは高く評価されています。そのため、毛沢東に対する評価も2分されていることを記しておきます。

● 不思議でしかたがなかった 木の葉からもれる光のつぶ

秀樹少年は、考えながら遊ぶことが好きでした。幼いときは、とくに積木が好きでした。自分の考えで、自由にいろいろな形のものを作ることができたからです。小学校へあがると、自分の知らないことなら、どんなことにも興味をもつようになりました。「ふしぎだなあ」 「どうしてだろう」 と考えるのが楽しかったのです。
小学校へあがるまえ、兄たちと外でかくれんぼをしていたときのこと。自分が鬼で、みんなをさがしつかれた秀樹は、木かげの草の上にねころびました。すると、木の枝を見上げた秀樹の目に、とびこんできたものがあります。たくさんの葉のあいだからもれて、まるで踊っているように、きらきらかがやいている太陽の光のつぶです。
「どうして、あんな光りかたをするのだろう」
秀樹は、かくれんぼの鬼だったのもすっかり忘れ、いつまでも、ゆれ動く葉っぱと光を見つめつづけました。少年のときから、科学者らしい心をもっていたのかもしれません。
でも、本を読むのも、たいへん好きでした。アンデルセンやグリムなどの童話のほか、父の本だなに並んでいた本まで読みました。祖父から家で漢学を習っていましたから、意味はわからなくても、むずかしい本も読めたのです。とくに好きだったのは太閤記です。豊臣秀吉がどんどん出世していって、ついには天下をとる話に、胸をときめかせて夢中になりました。

湯川秀樹(1907~1981)──不思議に思う心を育てて日本で最初にノーベル賞にかがやいた理論物理学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

● 子どもの頃から働きながら学び、見知らぬ土地への夢を育てる

リビングストンの父はお茶売りの商人でしたが、キリスト教を深く信仰する、心の正直な人でした。そして母も、自分のことより人のことばかり心配する、心のやさしい人でした。
少年時代のリビングストンは、この父母の愛につつまれて、あたたかく育ちました。ただ、約束を守ることだけはきびしくしつけられ、約束をやぶって父にむちで打たれたこともありました。
10歳になると、織物工場ではたらくようになりました。そのうえ、朝6時から夜8時までの仕事が終わると、それから2時間、夜学へかよって勉強をつづけました。父の収入だけでは、学校へも行けなかったからです。
母は、こんなわが子がかわいそうでなりませんでした。けれどもリビングストンは、けっしてぐちをこぼすようなことはなく、はたらいて手にした給料のなかからラテン語の本を買って、仕事のあいまにも織物機械の上にひろげて読みつづけました。そしてしだいに、「人びとの幸福のためにつくしたい。そのためには、心で思っているだけではだめだ。どんなことでも行動にうつさなければ」 と考えるようになり、海のむこうの見知らぬ土地へ渡ることを夢見て、科学や宗教の本のほかに旅行の本も多く読みました。こうして、子どものときからの夢をひろげていったリビングストンは、やがてアフリカへ渡り、黒人たちのために力をつくしましたが、これも、幼いときに父母から教えられた正しい清らかな生き方を、守りとおしたからこそ果たせたのでしょう。

リビングストン(1813~1873)──少年時代からの夢を育ててアフリカへ渡り、黒人たちのために生涯をささげたイギリスの宣教師。

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● 外で働きながら、教室の先生の話をいっしょうけんめいに聞く

パタンパタン、パタンパタン。まいばん、佐吉がふとんに入っても、この音がきこえてきます。母親の、はたおりの音です。佐吉は、この音をきくと、いつも母親がかわいそうになりました。
大工の子として生まれた佐吉は、小学校を卒業すると、父の仕事を手伝うようになりました。ほんとうは、大工の仕事は好きではなかったのですが、父のいいつけですから、しかたがありませんでした。
あるとき、父が、ちかくの学校の校舎をなおす仕事をすることになり、佐吉は、しぶしぶついて行きました。ところが、まもなく、仕事に行くのが楽しみになりました。先生が、教室で子どもたちに読んできかせている世界の発明家の話を、教室の外で、そっときくことができたからです。
なかでも、自分と同じ大工で、苦労をして糸をつむぐ機械を発明したハーグリーブズの話に、すっかり心をうたれました。
佐吉は、その発明家の本を、どうしても自分で読んでみたくなって、先生に 「本をかしてください」 と、たのみました。すると、先生は 「教室の外で、いっしょうけんめいに話をきいていた君に感心していたのだよ」 といって、よろこんでかしてくれました。「西国立志篇」 という本です。
佐吉は、発明家たちの話にむちゅうになりました。そして、やがて、 はたおり機の研究にとりくむようになりました。「学問はなくても、努力さえすれば、自分だって、きっとできる。あたらしいはたおり機を作って、お母さんの、はたおりの仕事を楽にしてやろう」 と決心したのです。

豊田佐吉(1867~1930)──はたおり機の研究と改良に生涯をささげて、日本の紡績産業の発展に力をつくした人。

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● 寒さに負けない体づくりのために、どんなに寒い夜も窓を開けてやすむ

船乗りの子として漁村に生まれたアムンゼンは、小さいときから、海がすきでした。そして、いつかきっと、海のむこうの見知らぬ土地へ行くことを夢にえがいて、成長しました。
15歳のころのこと、アムンゼンは、1冊の本に、むちゅうになりました。129人の隊員たちといっしょに、2せきの船で北極へ向かい、2年ものあいだ、きびしい大自然とたたかいつづけて、ついに、隊員たちとともに死んでいった、イギリスの探検家ジョン・フランクリンの伝記です。アムンゼン少年は、命をかけて北極へいどんだフランクリンの強さに心をうたれ、この本を、なんどもなんども読みかえしては 「よし、ぼくも、必ず北極へ行くぞ」 と、自分にちかうようになりました。
でも、この決心は、だれにも言いませんでした。まもなく父が亡くなって母に育てられるようになり、やさしい母に心配をかけてはいけないと思ったからです。アムンゼン少年は、母のいいつけを守っていっしょうけんめい勉強しました。
しかし、夢をすててしまったのではありません。からだをきたえておくために、スキーやフットボールにはげみました。また、北極の寒さに負けないように、どんなに寒い夜も、部屋の窓を開けてやすみました。そして、母が亡くなると、船員になって探検船へ乗りこみ、自分の夢をめざして、つき進んでいきました。でも、フランクリンと同じように、北極で命を絶ってしまいました。

アムンゼン(1872 1928)──少年時代からの夢をつらぬいて南極点を征服したノルウェーの探検家。

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