児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年10月

● 「のろまさん」と笑われても、自分の頭でゆっくり考えた

アインシュタインが5歳になったときのこと。ある日、父から、ふしぎなものをもらいました。東・西・南・北を書いた文字盤に1本の針がついていて、針の向きは、文字盤をどんなに回しても変わりません。家に入って戸をしめきっても同じです。父に 「この地球には目に見えない磁力というものがあって、その磁力が針をひっぱっているのだよ」 と教えられると、なにもないと思っていた空間に、なにかがあるなんて、ますます不思議です。アインシュタイン少年は、はじめて磁石を手にした、このころから、大自然の世界や科学の世界に、心をひかれるようになっていきました.
しかし、小学校へあがっても、学校の授業は、あまりすきになれませんでした。そのころのドイツの小学校は、先生の命令はきびしく、先生の教えることだけを覚えさせられる、まるで軍隊のようなところでしたが、アインシュタイン少年は、暗記して覚えさせられる授業よりも、自分の頭で、ゆっくり考えながら学んでいく勉強のほうが、すきだったからです。なにか話をするときも、ゆっくり考えてから話しだすくせがあって、友だちには 「のろまさん」 と笑われました。でも、この自分の頭でゆっくり考えるくせが、アインシュタインを大物理学者に育てていったのです。

アインシュタイン(1879~1955)──相対性理論によって新しい科学を開き、核戦争に反対をとなえた20世紀最大の物理学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/einstein/index.html

● 5年間、父を助けて新聞配達

ディズニーは、11歳のときから、新聞配達をはじめました。
ディズニーが生まれたとき、父は建築のしごとをしていましたが、やがて、そのしごとをやめて、農業をはじめました。ところが、父が畑のしごとになれないうえに、天候の悪い年がつづいて、家じゅうのものが、うえ死にしそうにまでなりました。そこで、農場を売りはらって町へでて、新聞の販売店のしごとをはじめました。
ディズニーは、こうして、いっしょうけんめいにがんばっている父を見て、「よし、ぼくも、てつだおう」 と考えたのです。
毎朝、店にやとわれた少年たちといっしょに、3時に起きて外へとびだします。外は、まだまっ暗です。雨のつよい日は、コートを着ていても、からだがびっしょりぬれます。雪の日は、足がすべって、なんどもころびます。でも、5年のあいだ、負けずにがんばりつづけました。そして、苦しいのをのりこえて、大きな夢をつかみました。毎朝、新聞のマンガを見ているうちに、「ぼくも、絵を勉強して、マンガ家になろう」 と、決心したのです。
決心してからのディズニーは、絵の道具を買うために、学校の中の売店でもはたらきました。夏休みには、汽車に乗りこんで食べもの売りもしました。こうして、一歩二歩、マンガ家の道へ──。

ディズニー(1901~1966)──子どものときの夢を追い続けて、世界の人びとに笑いと夢を贈った、マンガ映画王。

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● 人に借りた本を雨にぬらし、おわびに3日間働いた



アメリカの開拓者の子として生まれたリンカ一ンが、少年時代に学校で勉強できたのは、わずか2、3年でした。父は 「開拓者のむすこは学校へなど行くことはない。はたらくことさえ知っていればいいのだ」 という考えでしたし、さらに、家が貧しいうえに、9歳のときに母を病気で失ったりしたからです。しかし、その2、3年で文字を覚えたリンカーンは、学校へ行けないかわりに、本で勉強をしました。本を読むと、自分の考えがどんどんひろがっていくのが、楽しくてしかたがありません。でも、本を買うお金はありませんから、本を持っている人から借りて読みました。

あるとき、近所のおじさんから、ワシントンの伝記を借りてきました。ところが、夜、寝ているあいだに、雨もりで、その本をぬらしてしまいました。リンカーンは泣きたくなりました。しかしおじさんのところへとんでいくと、しょうじきにあやまって、おわびに3日間、おじさんの家で、はたらかせてもらいました。すると、3日めに、うれしいことが待っていました。リンカーンのしょうじきに感心したおじさんが、そのワシントンの伝記をプレゼントしてくれたのです。自分の本を持ったのは、これがはじめてです。リンカーンは、このときのことを、生涯、忘れませんでした。

リンカーン(1809-1865)──黒人どれい解放に力をつくし「人民の人民による人民のための政治」を叫んだアメリカ16代大統領。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

● 自分はしかられても立たされている子に同情

賢治が小学生のときのこと。ある日、いたずらをした生徒が、水をいっぱい入れた茶わんを手にもたされて、廊下に立たされていました。すると、ちょうど、そこを通りかかった賢治は、その生徒の前に行くと、茶わんの水を、すっかり飲んでやりました。こんなことをすれば、こんどは自分がしかられるとわかっていても、立たされている生徒が、かわいそうでならなかったからです。
賢治は、仏教を深く信仰していた父のえいきょうで、3歳のころから、意味もわからずにお経を口ずさみながら育ちました。また、たいへん慈悲ぶかかった母から、しぜんに、心のやさしさをおそわりながら、少年時代をすごしました。そして、小学校3年のころからは、クラス担任の先生が、ひまを見つけてはグリムやアンデルセンの童話を読んでくれたおかげで、童話にしたしみながら成長していき、こんなことがかさなって、自分よりも人のことを思いやる美しい心を大切にするようになっていったのです。
5年生のとき、父に 「きみは、おおきくなったら、なんになる」 と聞かれると、賢治は 「とくに、えらくならなくてもいい」 と答えたということです。えらくなるよりも、心の美しい人になろうと考えていたのでしょう。やがて賢治は、植物や鉱物を採集しながら野山を歩きまわるようになり、農民たちを心から愛しながら、詩人への道、児童文学者への道を進んでいきました。

宮沢賢治(1896~1933)──農民たちのしあわせを願って、やさしく清らかに生き、多くの名作を残した詩人・児童文学者。

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● 人におしつけられるのをきらい、学校の規則も守れず退学

幼いころのゴッホは、無口で、がんこで、ときどきかんしゃくを爆発させる困った少年でした。
弟とも、妹とも、あそびません。ゴッホがいつも、ひとりで時間をすごしたのは、太陽の光があふれる野山でした。美しい静かな自然のなかにいるときだけは、心がすなおになれたのです。
やがて、村の小学校へあがっても、人からおしつけられるのがきらいでしたから、あらそいばかりおこして、友だちができません。そのうえ、学校の規則も守らないので、みんなから 「やばん人だ」 とバカにされ、すぐ退学してしまいました。
「この子の将来は、いったいどうなるのだろう」
キリスト教の貧しい牧師だった父は、困ってしまいました。母も悲しみました。しかし、たったひとり、いつも草や木や空や太陽と話をしているゴッホを 「ほんとうは、心の強いやさしい人なんだ」 と、信じているものがいました。4歳下の弟のテオです。
ゴッホには、テオのやさしさが、よくわかりました。だから、画家としてひとりで生きるようになってからも、テオにだけは、いつも手紙を書きました。そして、自分の胸をピストルで撃って37歳の生涯をとじるときは、テオの手をにぎりしめて息をひきとり、兄ゴッホが死ぬと、それから半年ののちに、テオも、そのあとを追うようにして亡くなってしまいました。

ゴッホ(1853~1890)──貧しさと孤独にたえながら、まるで炎のように自分に情熱をもやして生きたオランダの画家。

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