児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年07月

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第55回目。

☆~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

子どもに読書をすすめるとき、だれもが、第一に考えるのは、文学作品です。絵本であれば、名作、むかしばなし、創作童話などのおはなし絵本です。
これは、本を読むことをとおして 「情操教育」 という考えが根にあるからでしょう。
しかし、子どもの本にだって、自然科学、社会科学、歴史、芸術などの分野があり、それぞれが、文学におとらないすぐれた価値を持っていることを忘れてはなりません。
名作、むかしばなし、童話を読み、さらに科学や歴史の本も読むというのが、むしろ、望ましい読書です。情熱的な名作や童話には興味を示さなくても、発見へのよろこびを味わわせてくれる科学の本にはひきつけられるという例も少なくありません。

ここに、ロケット・人工衛星・スペースシャトル・宇宙などについて解説した小学生向きの本があります。半分以上を絵で楽しませる、いわば科学絵本に近いものです。
この本のなかに、おとなだって、胸をわくわくさせてしまうような話があります。

一つは、アメリカで打ち上げられ、木星、土星、天王星、海王星を通って太陽系の外へ飛び続けている星探査機パイオニア10号・11号、ボイジャー1号・2号には、他の惑星人 (宇宙人) への手紙が積まれているということです。
地球の男と女の姿と大きさ、地球人の60種の言語によるあいさつ、音楽、地球の位置などをおさめたアルミ板の手紙や銅板のレコードなど──星探査機が他の惑星系に住んでいるかもしれない生物に拾われたときのことが想定されているそうです。
いつか、他の惑星の宇宙人からの返事が、届くかもしれません。

もう一つは、人間が地球からとびだして宇宙に住むという計画です。
重力・空気・食物・景観など地球とほとんど同じ環境の巨大な宇宙ステーションを、引力のバランスがつりあっている宇宙空間に建設しようというスペースコロニー計画。月や小惑星からも資材を運んで長さ32キロメートル、直径6.4キロメートルの巨大な円筒をいくつもつくり、地球から数百万人が移住、そばに工場や農業用のコロニ一もつくって快適に暮らそうというのです。
その居住コロニーには地球と同じような昼と夜を人工的につくり、中には山も川もつくろうというのです。こんなコロニーが宇宙に浮かんだら、人間はとなり町まで散歩するようにして宇宙へ……ということも夢ではないかもしれません。

こんな本を2、3冊も読ませたら、子どもは宇宙のとりこになってしまうこと間違いなしです。そして、宇宙のとりこになると同時に、科学の未来、宇宙の未来、人間の未来に夢を抱くようになります。

「月とうちゅうのふしぎ」 という本を読んだ2年生の男の子が、読書感想文の中で次のように語っています。
「とても、おかしいことがわかりました。ロケットの中でおしっこが外へとびだします。すぐにこおって、お月さまの光がきらきらして、きれいだそうです。それを、うちゅうほたるというのです。これまで“うわあ、きれいなほし”と見ていたのが、おしっこの、うちゅうほたるだったんではないかと、おかしくなりました」。
「こん夜もお月さまは、ぽっかり光っています。わたしはかぐやひめがロケットにのってくればいいのになあと思って、いつまでも見ていました」。
これだって、子どもに夢を与えています。

科学は、子どもを 「むねがどきどきする」 ような世界へ誘ってくれます。
おもしろい冒険小説を読むのに似ています。もし、文学分野の本になじまない子どもがいたら、絵と写真を豊富に入れた科学読みものにふれさせてみることです。目を輝かせて未知の夢の世界にひたってくれるかもしれません。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第53回目。

☆ ~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 自分で「考える力」をつちかうために

小学校1~3年生の子どもたちに、アンデルセンの名作 「はだかの王さま」 を読み聞かせたときのことです。
2年生の女の子が、こんなことを言いました。
「だいじんたちが、自分はバカだと思われたらたいへんだから、王さまのきものは、ほんとうは見えないのに見えるというのは、ずるいと思いました。さいごのところで、子どもが王さまは、はだかだよと言ったとき、とっても、すっとしました」
すると、ほかの1、2年生の子どもたちも 「子どもはしょうじきで、おとなはずるいと思いました」 と、口を合わせました。

ところが、このとき、3年生の女の子が言いました。
「わたしは、アンデルセンは、うそをついてでも、自分だけは人からバカだと思われたくない人間のよわさを、おもしろいお話にしたんだと思います」
その女の子が言ったのは、これだけではありません。
「わたしは、この〈はだかの王さま〉はまだでしたが、お母さんから〈マッチ売りの少女〉や〈みにくいアヒルの子〉を読んでもらいました。〈マッチ売りの少女〉は、とっても悲しいけど、少女がおばあさんといっしょに天国へのぼっていく、とっても美しい話でした。それから〈みにくいアヒルの子〉は、アンデルセンは、頭やすがただけで人をわらったりきらったりしてはいけないということを、わたしたちに教えているのだと思いました。だから、この〈はだかの王さま〉も、人間の悲しいこころを、わたしたちに教えているのだと思います」
女の子は、少し、つっかえ、つっかえ、これだけ言うと、なんでもなかったような顔をして、席に腰を下ろしました。

それから1週間後、その女の子のお母さんと会う機会がありました。そこで 「はだかの王さま」 を読み聞かせたときのことを話して、ついでに、どのような読後指導をしておられるのか、たずねてみました。
ところが、「いいえ。読み聞かせたあと感想をたずねたりすると、子どもがいやがるから、特別にはなにも……」 というのが返事でした。

しかし、お母さんと30分くらい話しているうちに、わかったことがあります。
それは、母と子で外へ出かけたとき、池でアヒルを見たら 「あのなかにも、みにくいアヒルの子がいるかもしれないね」、夜いっしょに星空を見上げたときは 「マッチ売りの少女の星はどれかしら」 などと語りかけて、読み聞かせた本の話を、もう一度、よみがえらせるようにしながら、ひとことだけ、「あの話は、ほんとうはどういう話なのかなあ」 などと問いかけてみるようにしているというのです。
「まちがっていてもよいから、なんでも自分で考えるようにしむけています。本を読み聞かせたときも同じです。子どもが少しでも印象的な感想をもらしたときは、そっとほめるようにしています。子ども自身に、いろいろなことを考えさせるのに、本ほど役にたつものは他にないと思います。親がなにかを言うと、すぐ、押しつけになりがちですから……」と。
こういうお母さんに育てられた子どもは、ほんとうに幸せだと思ったものでした。

子どもは、1冊、1冊の本をとおして、しぜんに、独力で考える力をつちかっていくのです。

なお、上に紹介したアンデルセンの作品「はだかのおうさま」「マッチうりのしょうじょ」「みにくいあひるのこ」は、いずみ書房のオンラインブック「せかい童話図書館」で読むことが可能です。他のアンデルセンの作品として、「にんぎょひめ」「あかいくつ」「おやゆびひめ」もあります。ぜひ、のぞいてみてください。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第52回目。

☆ ~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 本に親しむ原点──主人公と一体になれること

1年生の女の子が、読書感想文で、次のように書いている「がまんだがまんだうんちっち」(梅田俊作・佳子・海緒 作/絵 岩崎書店刊)。

1ねんせいの、みおくんがトイレにいきたかったのに、そうじ中でいけなかったところから、このおはなしがはじまります。
まず、トイレをかりようと、ともだちのうちへいったら、るすでだめ。ケーキやさんもだめ、おじさんちもだめ、こうしゅうべんじょは、きたなくってだめ。スーパーはまんいんでだめ。とうとう、がまんできなくって、ちゅう車じょうのはらっぱでしてしまいました。みおくん、やっと、うんちができてよかったね。うんちをするにも、こんなにいろいろとかんがえないとできないんだね。さいごに、ちゅう車じょうのくさの中でやってしまったところ、とってもおもしろかったよ。

この本を読んでの感想文には、ほかの本の感想文にはないものがあります。
それは、「ぼくだったら、わたしだったら、どうしただろう」 と考えていることです。「ぼくががっこうのかえりみちでなったらどうしよう」 「トイレのないところでなったらどうしよう」 「みおくんのおしりのように、むずむずしだして、うんちにまけそうになったらどうしよう」 「あっちのトイレも、こっちのトイレもだめだったらどうしよう」。
子どもたちは、まず自分が 「がまんだがまんだうんちっち」 になったらどうしようと考えています。

そして次には、「わたしは、みおくんのように、おともだちのうちへなんかとてもいけない」 「だれもいない、こうしゅうべんじょにいくのは、とてもこわくてできない」 「田んぼはいくらでもあるけど、へびやとかげがいるから、きもちがわるい」 「わたしは女の子だから、のっぱらで、おしりをだすなんて、とてもできない」 などと考え、やっぱり、自分だったらどうするだろうと自分に問いかけています。

「やっぱり、わたしだったらパンツの中にしちゃうかなあ。パンツの中にうんちをしたら、きもちがわるいだろうなあ」 「うんちは、おしりにべったりくっつくし、くさいにおいがぷんぷんひろがって、いっぺんに、みんなにわかってしまう」 「なつだったら、パンツ一つになって川へとびこんで、そっとすればいいけど、ふゆは、とてもできない。ほんとにどうしたらいいだろう」 「ぼくだったら、きっと、びゅんびゅんかけて、げんかんにかけこんだら、ただいまもいわないで、くつをめちゃめちゃにぬいで、ランドセルをどさっとなげだして、トイレにとびこみます。でも、まにあわなかったら、どうしよう」。

子どもたちは、自分がこの本の主人公になったつもりで 「どうしよう、どうしよう」 と考えているのです。そして、そのときの自分の苦しさがわかればわかるほど 「みおくん、ちゃんとできてよかったね」 「パンツの中でしなくてよかったね」 「みおくんがくさの中でやったとき、ぼくも、すっとしたよ」 などと主人公へ語りかけています。
おとなは「うんちのことなど……」と思うかもしれません。子どもにとって 「ただ、おもしろいだけじゃないか」 と思うかもしれません。
しかし、おもしろいうんちの話だからこそ子どもたちが共感し、それが、物語の主人公を思う心と、自分だったらと考える心を育てるのです。

子どもに、1冊の本から必ず何かを学びとらせようとするのは、親の欲張りです。たしかに、1冊の本から何かを感じとらせることは大切なことです。
しかし、「ああ、おもしろかった」 という本をとおして、自分が主人公になりきる楽しさを覚えさせるだけでもいいのです。

子どもにとっては、主人公と一体になれることが、本を楽しく読む原点であり、その楽しい読書を積み重ねていくことが、やがて一つ一つの作品を深く味わうことにもつながっていくのですから。
子どもにとって楽しい読書、これが第一です。

なおこの絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=2882

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第51回目。

☆~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 読書で身につく「自分で考える」ことの楽しさ

この絵本「11ぴきのねこ」(馬場のぼる文・絵 こぐま社刊) の内容は、次のとおりです。

いつも腹ぺこの11ぴきのねこが、山の向こうの湖に怪物のような大きな魚がいると聞いてでかけます。いかだを作って待っていると、水の上に大きなものがはねました。みんながねらっている魚です。11ぴきのねこは、いかだを出して魚と戦いました。でも、みんな、はね飛ばされてしまいます。
ある晩、大きな魚が島で寝ているのをみつけた11ぴきのねこは、こもりうたを歌って魚を深く眠らせ、いびきをかき始めると飛びかかって魚をつかまえました。そして 「みんなに見せるまではぜったいに食べない」 ことを約束して、魚を引いて帰りはじめました。
ところが一夜明けると魚は骨だけになり、11ぴきのねこは、みんなタヌキのような腹をして、いかだの上に寝ていました。

一人の漫画家が絵を描き文も書いて成功した絵本です。もう、30年以上も読みつがれています。この絵本の最大の魅力は、文句なしに楽しいことです。ただ 「おもしろい」 というのとは少し違います。読み聞かせたあと、子どもたちに 「ふうっ」 とため息をつかせながら満足させる楽しさです。

おいしいものを腹いっぱい食べてみたい。なかまといっしょに何かおもしろいことをしてみたい。でっかいものをやっつけてみたい。みんなとの約束はわかるけど、なかまよりも先に自分だけこっそり欲望を満たしたい。
こんなこと、つまり子どもの夢と欲望がねこをとおして描きだされ、しかも十分に満たされているのです。

この絵本の読み聞かせを始めると、子どもたちの目は初めから輝いています。大きな魚と戦うところになると、もう子どもたちは、すっかり、ねこになりきってしまいます。最後に、満腹になっていかだの上に寝ているのは、ねこではなく、子どもたち自身です。
みんなで遠くへ大きな魚をとりに行く行動の積極性。みんなと力を合わせて大きな魚と戦う勇気。こもりうたを歌って聞かせて魚を眠らせる知恵。みんなが約束を守るだろうかと気になってしかたがない、だれもが持っている疑いの心。

読み聞かせのあと子どもたちは、こんなことには気づきません。ただ 「おもしろかった」 だけです。
「みんな腹いっぱい食べれてよかったね」 「どのねこが最初に食べはじめたんだろう」 「1ぴきが食べはじめたから、わ─、そんしちゃうと思って、みんな食べたんだね」。
こんなことは言います。しかし、ほとんどの子どもは、それだけです。また、それでよいのです。むりに、勇気や知恵や欲望のことなどを考えさせる必要はありません。
「ああ、おもしろかった」 という満足だけで十分です。また、「わたしも、こんなおもしろいこと、やってみたいなあ」 と夢のようなものを持てただけで十分です。

おとなが教えたがるようなことはわからなくても、みんなで力を合わせて何かをすることのすばらしさのようなことや、思いっきり自分のしたいことをやってみることの楽しさのようなものは、それなりに感じとっています。
それらは、どんな小さなことであっても、人から教えられたのではなく、1冊の絵本をとおして、自分の力で学びとったものです。

読書は、その人に主体的に考える力を与える──と言われます。
今の子どもたちの多くは、主体性に欠ける、自分の頭で考える力に乏しいなどと言われます。与えられすぎ、指示されすぎているからです。
勉強はできても、自分をしっかり主張しながら自分の力でものごとに立ち向かって行く精神力に欠ける人をよく見かけます。これでは、かりに一流大学を卒業して一流企業へ入ったとしても、人間らしく生き抜く人生の勝利者にはなれません。

少し話が飛躍しすぎたようですが、子どものころに1冊1冊の本から 「自分で考える」 ことの楽しさを感じとったことは、やがて大きな力になるはずです。

なおこの絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=66

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第50回目。



☆ ~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆



● 子どもの「みずみずしい心」を摘み取っているのはだれですか。

次の詩は小学4年生の男の子が書いたものです。

「けしょう」

パタパタ ポンポン シュー

母のけしょうがはじまった

ひどい土台にクリームぬって

口べにぬって

おしろいつけて

スプレーかけて

けしょうしてる

「けしょうするのはハエが一番で

ネコが二番で

女が三番っていうけど

ほんとやな」

と ぼくがいった

すると 母は

「ハエやネコに負けられるかいな」

と、パタパタやりだした

ぼくは あきれて二階にあがった

この詩を読んでふきださない人はまずいないでしょう。でも、この詩は、ユーモラスなだけではありませんね。読んだ人の体がひとりでにぬくもってくるような、やさしさとあたたかさにあふれています。
この詩は、たしかに、すぐれた詩です。しかし、すべてのお母さんに忘れないでほしいことがあります。それは、このような詩は特別な子しか書けないのではなく、子どもが本来もっている 「みずみずしさ」 を大切にすれば、だれにだって書けるということです。社会と親がはぎ取るようにして子どもの 「みすみずしさ」 を奪ってしまうから、こんな詩が書けなくなってしまうのです。

今の子どもの状況を語るテレビ番組の中で、ある児童文学者が声を荒げるようにして次のように語っていました。

「これだけ根強いテスト主義がある限り、もうだめだ。せめて親の意識が変わってくれればよいのだが、それも望めそうにない。多くの親は、わが子がどのように生きてくれればよいと考えているのだろうか。人間が大きくなってほんとうに誇れるのは金や地位があることではなく、いかに人間らしい心を持っているかということだ、ということがどうしてわからないのだろう。

今の親の多くは、子育てにいっしょうけんめいになればなるほど、罪を重ねているようにしか思えない。

そこで、せめてその罪のつぐないに、自分の子どもを読書好きにだけはしてやってほしい。本の世界は、子どもにみずみずしさを与えることはあっても、それを奪うようなことは決してない。

読書は、すべての子どもにとって自分の力で自分の心を自分らしく、しかも大きく豊かに育てさせてくれる、もはや唯一のものだ」

子どもに読書をとおして、自分で自分のみずみずしさを守らせようというのです。

評論家の中村光夫さんは 「読書について」 という有名な読書論の中で 「読書は実生活を離れた夢の国に遊ぶのではなく、むしろ、それによって初めて人間として完成に近づくのだ。矛盾と苦痛に満ちた実生活に処して人間として高く生きることの意味を、初めてそれによってほんとうに知ることができる。ぼくらが生きることの意味を知るのは、主として書籍によってである。そこに蓄えられた先人の声を明確に、生き生きと聞き得れば聞き得るほど、ぼくらは自分のささやかな人生を、正しく明確に理解することができるのだ」 と語っています。

これは、もちろん、おとなへの読書論です。しかし、読書から自分の生きかたを学び得る大人になるためには、子どものときから、読書の楽しみを知っておかなければなりません。

今、あまり読書好きではない母親は、自分の胸に手を当ててみるとよくわかります。おそらく、子どものころ本に親しまなかったのでは。

だから、子どものときに、読書の楽しさを十分に味わわせることが大切なのです。

子どものみずみずしさを失わせているのはだれか、もう一度もよく考えてみることが大切なようです

↑このページのトップヘ