児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2006年05月

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第37回目。

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● 10数分間、森の中に生きる子どもたち
「しずかなおはなし」(サムイル・マルシャーク/文 ウラジミル・レーベデフ/絵 うちだいさこ/訳 福音館書店刊)は、3~6歳くらいの子どもへの読み聞かせに適しているお話の一つです。それは、話のおもしろさが子どもをひきつけるというより、子どもを想像の世界に誘いこむものにあふれているからです。
「しーっ」 と口に指をあて 「さあ、静かなお話だから、静かに聞いてね。おおかみのでてくる、少しこわいお話よ」 などと語りかけて、ちょっと沈黙の時間をおきます。読み聞かせにたいせつな間(ま)です。
子どもはまばたきを止め、息を殺して待ちます。でも、頭の中には、もうおおかみが現れています。
真夜中の静かな森の道を、はりねずみの親子が、とぷ、とぷ、とぷ、とぷ、歩いていく。ところが、そこへ2匹のおおかみ……子どもは、はりねずみたちがどうなるのか心配でたまりません。話を聞いている子どもは、もう、すっぽりと森の中へ誘いこまれます。
はりねずみのお父さんが、針を逆立て身を守るように、わが子に言います。
「あたまをおかくし、まるくおなり」 お母さんも言います。
「あたまをおかくし、まるくおなり」
話を聞く子どもが耳にしているのは、本を読んでくれている人の声ではありません。はりねずみのお父さんとお母さんの、やさしい声です。
やがて、はりねずみのお父さんが、体の針でおおかみの足をちくりと刺します。でも、おおかみは、はりねずみを殺して食べようとするのをあきらめません。
(どうなるのだろう)
話を聞いている子どもは、また息をとめます。そして、はりねずみの子どもの気持をいっしょうけんめいに考えます。いいえ、考えるというよりも、自分がはりねずみの子どもになってしまい、思わず、体をまるめます。
はりねずみのお父さんが言います。
「じっとしておいで、うごかないで」 お母さんも言います。
「じっとしておいで、うごかないで」
話を聞いている子どもが耳にするのは、やっぱり、はりねずみのお父さんとお母さんの声です。そして、自分も心の中ではりねずみの子どもに語りかけます。
(こわいけど、じっとしておいで、うごかないで。うごいたらだめよ)
まもなく、鉄砲の音と犬のほえる声が聞こえて、おおかみは逃げていきます。そして、ぶじに助かったはりねずみの親子は、とぷ、とぷ、とぷ、とぷ、家へ帰っていき、森の中はまた静かになります。
読み聞かせが終って、読み手がここでまた少しだまっていると、子どももだまっています。「ぶじでよかったね」 と語りあっているにちがいない、はりねずみの親子の姿が、頭の中から消えないのです。そして、しばらくすると大きな息を一つして、やっと、物語の世界からぬけだします。
読み聞かせのあと、子どもに何かを語りかける必要はありません。この物語の主題である森に生きるものたちのきびしさと、はりねずみ親子の愛情の深さを、子どもはそれぞれに感じとっているでしょう。
かりに、それらを十分に感じとっていないとしても、物語の中に吸いこまれた数分のあいだ『森の中に生きた』ことだけでも、すばらしいことです。
本は、このような想像の世界に遊ばせてくれます。

なお、この絵本は「絵本ナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=1187

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第36回目。

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● 1冊の本から人間の差別を考える
『アンネの日記』(文春文庫他)……これは、戦後、少年少女たちに、もっとも長く読みつがれてきた本の一つです。
第2次世界大戦中、ユダヤ人というだけでナチス・ドイツの迫害を受け、2年間をかくれ家ですごし、平和を願いながら15歳で死んでいった少女アンネ・フランク。
小学校5、6年の子どもでも、一つの物語をとおして人種差別問題を深く考えることができるということを、アンネの物語を読んでの感想文は教えてくれます。
子どもたちは、まず怒っています。
「ユダヤ人が何をしたというのだ。どうして、こんなにも差別しなければならないのだ。私は、あまりのことにいかりにふるえ、思わず、なんどもこぶしをにぎった」 「ユダヤ人であるというだけで罪のない何百万人もの命を奪ったナチスのユダヤ人狩り、わたしは気がつくと、何度もひどいひどいと、はきだすように叫んでいた」 「ナチス・ドイツは、差別される人間の苦しみに、なぜ心がいたまなかったのか。私は、ヒトラーの名をけっして忘れない」
この子どもたちは、親や教師の話などをとおして、人間の差別のおろかさについては知ってはいたでしょう。しかし、多くの場合それは観念的であったのに対して、このアンネの日記や伝記からは、自分とほぼ同じ年齢の一少女の悲しみと苦しみをとおして実感的に差別の悪を知り、怒りの気持をもっているのです。
「アンネは、どんな迫害にも負けずに自分はユダヤ人であることに誇りをもって生きた。まわりの人たちのために勇気をもって明るく生きた。それなのにナチス・ドイツはユダヤ人をにくむことしか知らなかった。ドイツ人としての誇りをなぜもたなかったのだろう。戦争に勝つことが誇りだったのなら、こんなばかなことはなかったのに……」
「差別は、人間が人間の心を忘れてしまったときに起るのだろう。人間の心を忘れていたナチス・ドイツは、けっして強くはなかったのだ」
「人を思いやる心を失ったとき、考えが自分中心になってしまったとき差別は起るのだ。人間はみんな平等なのに、人はみんな助けあっていかなければいけないのに……」
「いちばんたいせつなものは愛だと思う。1人1人に愛があれば、戦争だって差別だって起らないのだと思う」
子どもたちは、なんの罪もないユダヤ人を迫害する差別がなぜ生れたのか、いっしょうけんめいに考えています。そして、問題を自分自身や自分のまわりにひきこんで、さらに深く考えています。
「えらそうなことを言っても、わたし自身に人を差別する心がほんとうにないといえるだろうか」
「わたしにも、人の心はわかりもしないのに、すききらいだけで、つい、けいべつしたようなことがあった。自分も気がつかないうちに差別していたのだ」
「勉強のできる子ができない子を見るとき、金持の家の子がまずしい家の子を見るとき、なにかつめたいものを感じるときがある。あれもきっと差別だ」
「いじめは、けっきょくは差別だ。ナチス・ドイツと同じように人を思いやる心がないから、いじめが起るのだ」
このような子どもの意見を並べようとすると、きりがないほどです。いつか横浜で起った浮浪者殺人事件も 「あれは人間差別からでたのだ」 と、はっきり言っています。
アンネの日記や伝記から子どもたちが学んでいるもっとも大きなものは、もちろん、アンネの勇気と心のやさしさです。しかしそれとともに、以上のような差別の問題をも学んでいるのです。
「テストの成績にはみんな差がある。でも、それは成績に差があるというだけで、人間に差があるのとはちがうのだ。このことを、だれもがはっきり知っておかなければいけないと思う。アンネの伝記は、わたしに、すばらしいことをおしえてくれた」 と語っている子もいます。
1冊の本から子どもたちが得るものは、想像する以上に大きいものです。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第35回目。

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● 知るよろこび、自然への愛、自分から学ぶ楽しさ
物語や童話は読まなくても、図鑑だけは好きだという子どもがいます。ところが、図鑑を見るのは読書ではないと思いこんでいる人が少なくありません。母親の集まりでも 「うちの子は図鑑は見るけど本は読まない。どうしたらよいか」 という質問が必ずでます。
図鑑は見るけど他の本は読まないというのは、読書に偏りがあると考えられがちですが、図鑑を見る、読む、利用するという行為は、物語や童話を読むのに比べて、その価値がけっして劣るものではありません。図鑑 (ここでは昆虫図鑑) を読んでの感想にふれると、そのことがはっきりわかります。
まず、昆虫図鑑を利用した子どもの多くが、初めて知った神秘的な昆虫の世界におどろき、「知らなかったことを知る」よろこびを自分のものにしています。自分で昆虫を飼うために、観察するために、あるいは観察から生れた疑問を解くために、その参考資料として図鑑を利用したという場合が多いようですが、自分の目で見ただけでは、とうてい気づき得なかった神秘な事実に、図鑑を利用したことによって初めて気づき 「こんなことだったのか」 「そうだったのか」 などと、胸をときめかせながら語っています。
昆虫図鑑は、子どもたちに、昆虫の世界への興味を深めさせるだけでなく、真実を知ることのすばらしさとたいせつさを、しぜんに学ばせているのです。
そして、その神秘的な世界に目を見張るうちに、昆虫たちのきびしい生と死にふれ、たった1匹の小さな昆虫からさえも、生きるものの生命の尊さというものを、深く感じとっています。
交尾後、なんの抵抗もせずに雌に食われて死んでいく、雄カマキリの宿命的な悲しさ。幼虫として生きた地中や水中での良い時期に比べると、成虫として生きる時間のあまりにも短い、セミやトンボの生命のはかなさ。すり鉢状に掘った砂の穴の底にかくれて、なん時間でも獲物を待ちつづけるウスバカゲロウの、生きるための持久力の強さ。このほか、生きるためのさまざまな知恵、きびしい自然とのたたかい、外敵とのたたかい。……子どもたちは、これらのことから 「どんなに小さな虫でも、どんなに目だたない虫でも、いっしようけんめいに生きている」 ということを学びとっています。
また、生命の尊さにふれたことによって、虫を飼っていた子どもの多くが 「あそび半分で虫を飼ってはいけないのだ」 「観察が終ったら早く山へかえしてやろう」 などと語っています。
「これまで、虫けらなんてと思っていたのは、まちがっていた。これからは、足で虫をふみころすようなことは、もうぜったいにしない」 というような思いやりを、しぜんに育てているのです。
さらに、こうして図鑑を利用した子どもたちは、わからないこと、ふしぎなことを自分で調べて、自分で問題を解決していくことの楽しさを学びとっています。
「ずかんでしらべて、あたらしいことがわかるたびに、ぼくは、やったぁ! わかった! とさけんだ」 「一つのことを調べるのに、こんなにむちゅうになったのは、はじめてだ」 「ずかんを3冊も4冊も借りてきて調べた。このけいけんを、わたしは一生忘れない」
「たった1冊のずかんが、わたしに、もっと知りたいという気をおこさせてくれた」 などと語っている子どもたち。
以上のほか、「図鑑はわたしに科学する心を教えてくれた」 「自然というすばらしい世界のあることを、わたしに気づかせてくれた」 と語っている子どもたちもいます。
こうしてみると、童話や物語とは違った、図鑑のすばらしさが、はっきりわかります。なかでも、自分から学ぶことの楽しさを教えてくれるということは、文学作品などからは得がたいことでしょう。図鑑を見ながら 「やったぁ! わかった!」 と叫んでいるこのとき、その子は、まさに読書のだいご味を味わっているのです。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第34回目。

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「片耳の大鹿」 椋鳩十作(ポプラ社刊)のあらすじは、次の通りです。
鹿児島県の屋久島……この島で、少年たちはシカ狩りの名人吉助おじさんたちと、冬の山へシカを撃ちに行きます。めあては鉄砲で片耳をもがれたシカの大将。ところが急にあらしになり、ずぶぬれになった一行8人はほら穴にもぐりこみます。するとそこには仲間をつれてあらしをのがれた大シカがいました。寒くてたまらない少年たちは、思わず、シカの群れの中へもぐって、冷えきった体をあたためました。そして、どれくらい眠ったか、ふと目をさますと、シカがいっせいに立ちあがって角をかざしました。でも、シカたちは、そのまま一列になってほら穴をでて行きます。先頭に立っていたのは片耳の大シカ。少年たちは片耳の大シカのおかげで命が助かったのでした……。

● 命の尊さと、シカと人間との心のかよいあい
この作品を読んだ子どもたち(小学4~6年生)は、大きくわけると2つのことに心を動かしています。まず一つは、命の尊さです。
「動物たちは、人間が想像する以上にいっしょうけんめい生きているのだ。ぼくはこの物語を読んで『生きる』ということは、人間も動物も全く変りがないのだということに気づき、これまで動物なんかと思っていた気持を心から反省させられた。これからは、ぼくの動物を見る目が変ってくると思う」
「片耳の大シカは、自分のためよりも、子孫のため、仲間のために死んではならない、生きなければならないと思っていたのではないだろうか。もしそうだとすると、こんな美しい生き方はない」
「人間は、へいきで人間以外の生きものを殺す。でも、それはほんとうにゆるされることだろうか。人間の命の尊さと、動物の命の尊さとはちがうのだろうか……」
子どもたちは、片耳の大シカの雄々しい生き方に心をうたれて、あらためて、命の尊厳というものを自分なりに考えているのです。しかも、人間の命も動物の命も、命には変りはないのだという原点に立って、考えようとしています。人間には人間以外の生きものを殺す権利があるのか……これはむずかしい問題です。しかし、この年ごろにこうしたことを考えたという経験をもつことは、子どもたちにとって大きな意味をもつことになるでしょう。
子どもたちが心を動かしたことのもう一つは、片耳の大シカを殺そうとした人間と、雄々しく生きる大シカとの、ふしぎなほどあたたかい心の交流です。
「大シカを殺そうとしてきた吉助おじさんや次郎吉さんは、大シカの、あまりにも強い生き方に負けて、いつのまにか、心のなかでは大シカをそんけいするようになっていたのだ」
「おじさんが、これまで銃をむけてもなかなかうてなかったのは、心のどこかで、大シカを愛するようになっていたのではないだろうか。きっと、大シカが好きになっていたのだ」
「片耳の大シカがほらあなをゆうゆうとでていくとき、半分は、おれを殺せるなら殺してみろと思い、半分は、きっと殺すことはないと、次郎吉さんたちを信用していたのだろう。シカと人間の心は通じあうようになっていたのだ」
「作者がいちばんいいたかったのは、シカと人間というよりも、いのちあるものどうしの心のかよいあいではないだろうか。作者は、きっと心のやさしい人だ」
子どもたちは、こんなことを読書感想文に記しています。作者の心をみごとに読みとっています。
「もしも大シカが人間だったら、ほらあなをでて行くとき、大シカと次郎吉さんたちは手をにぎりあって、おたがいに命をたいせつにして、これからは助けあって生きていくことを、ちかいあったのではないでしょうか」
これは4年生の女の子が記したものです。また、この物語から、人間の心のみにくさや、おごりを読みとったものもあります。15分もあれば読める短編の一つですが、これほどまで、子どもたちに勇気と感動をもたらすものは、めったにありません。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第33回目。

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「ちいさなきいろいかさ」(森比左志作 西巻茅子絵 金の星社刊)のあらすじは次の通りです。
お母さんに買ってもらったきいろい傘……なっちゃんは、この傘に雨にぬれていたウサギとリスを入れてやりました。そのつぎに、胴長のダックスを入れてやると、ダックスのぶんだけ、傘がつっつっつっとひろくなりました。そして、ひろくなった傘に、バクのおやこも入れてやりました。さいごに、びしょぬれのキリンも入れてやりました。やがて、雨がやみました。どうぶつたちはみんな森へかえって行きました。すると、かさはもとのちいさな傘にもどりました。家へかえると、お母さんが 「雨がふってたのにどこであそんでたの」 と聞きました。なっちゃんはこたえました。「あのね、あのね、いいことあったの」。

● 子どもを空想の世界にあそばせる
ぼくも、おかあさんにかってもらったきいろいかさをひろげてみた。「ぱちん」。大きなおとがしたけれど、大きくなってこなかった。
ぼくはよこにふってみた。かさどめのひもが、ぶらんぶらんとゆれただけ。こんどはうえしたにふってみた。ふわふわと、かぜがぼくのかおにあたってきた。かみのけがとびあがったけど、きいろいかさは大きくならない。
こんどはぐるぐるまわしてみた。でも、やっぱり大きくならない。なっちゃんのかさだったら、おかあさんもおとうさんもいれてあげたいな。おかあさんだとぼくより大きいから、だっくすくんがはいったときのようにひろくなるかな。おとうさんはのっぽだもん。きりんさんがはいったみたいに、かさのえがにょきにょきのびていくのかな。
がっこうへもっていって、せんせい、ともだち、みんないれてあげたいな。大きな大きなかさに、みんないっしょにはいって、まちへでていったらどうだろう。あるいている人、なんだろうとあつまってくるかな。じどう車はとまって、うんてんしゅさんは、にこにこ手をふってくれるかな。たのしいだろうな。そんなかさを、ぼくもいっぺんもってみたいな。
これは小学校1年生の男の子の読書感想文です。
この『ちいさなきいろいかさ』を読んだ子どもたちはみんな、これと同じように 「わたしも、こんなかさがほしいな」 「こんなかさがあったら、たのしいだろうな」 という感想文を書いています。
また、3~5歳の幼児に読み聞かせると、きまって 「お母さん、わたしにも、きいろいかさかって」 と言いだします。きいろいかさを持っている子は、さっそくもちだしてきて広げます。このお話が、みごとに子どもたちの夢を、純粋に誘うからでしょう。子どもたちを、文句なしに夢の世界にあそばせるからです。
ところで、ウクライナの民話をもとにした 『てぶくろ』という絵本(福音館書店)があります。人間が森の中に落とした片方の手ぶくろ。この小さな手ぶくろの中に、ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、くまがつぎつぎにもぐりこんでしまうという奇想天外なお話です。『ちいさなきいろいかさ』は、この『てぶくろ』の日本版といってよいのかもしれません。ちいさなかさに、少女と、うさぎと、りすと、だっくすと、ばくと、きりんが入るというのはやっぱり奇想天外です。しかし子どもは、それをけっしてありえないことだとは思わないで、胸をおどらせるのです。
この『ちいさなきいろいかさ』を読んだ子どもたちは、雨の日には、かならずこのお話を思いだすでしょう。そして、自分の小さなかさの中に、心にえがいた動物たちを入れて、あるいは、心のなかに語りかけてくる先生や友だちを入れて、あたたかい空想の世界を楽しむでしょう。
多くの親は子どもに空想の世界を楽しませることのたいせつさを、知っています。しかし、それを実際に口で伝えることは、たいへんむずかしいことです。ところが、たった1冊の本が、それを伝えてくれるとしたら、こんなすばらしいことはありません。

なお、「ちいさなきいろいかさ」「てぶくろ」は、「えほんナビ」のホームページに紹介されています。
ちいさなきいろいかさ http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=2488
てぶくろ http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=192

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