児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2005年11月

みんなのおんがくかい」には、48曲のセミクラシックの名曲を収録しており、このすべてに、これまで例のないような、母親がわが子に話して聞かせられるやさしい解説を付けた。子どものピアノ発表会でもっとも人気のある曲としても有名な、ベートーベン作曲の「エリーゼのために」は、次のように紹介している。

エリーゼというのは、女の人の名まえです。どのような女性だったのか、それは、わかりません。でも、楽譜に「エリーゼの思い出のために、ベートーベン作曲」と記されていたというのですから、ベートーベンの恋人だったのでしょう。ピアノの前で、かわいいエリーゼを思いだしているうちに、指が自然に流れるように動いて、この美しい曲が生まれたのではないでしょうか。
曲の形は、主題の部分が、まるで、まわっているようにくり返される、ロンド形式といわれるものです。なるほどこの「エリーゼのために」は、甘くもの悲しいせんりつが、なんどもくり返されています。それは、エリーゼがベートーベンの恋人だったとしたら、断ちきれない愛の深さが、曲のくり返しになってしまったのかもしれません。自分の心にだけ、そっとしまっておきたい、清らかな愛……。
ベートーベンは、「英雄」「運命」「田園」などの交響曲のほかに、「月光」「ワルトシュタイン」など多くのピアノ曲の傑作をも残しています。そのピアノ曲のうち、この「エリーゼのために」は40歳のころの作品だといわれています。ベートーベンは、28歳のころからしだいに両耳が不自由になり、31歳のときには、自殺さえ考えています。40歳近くでは、鳥のさえずりも、人の話も、楽器の音も、ほとんど聞きとれないほどになってしまいました。
ベートーベンは、ピアノから流れる音を、心の耳でとらえながら、この「エリーゼのために」を作曲したのでしょう。だからこそ、曲の美しさが、こんなにも心にしみ入ってくるのかもしれません。目をとじると、ベートーベンのやさしさが、あたたかく伝わってきます。


本日も、「みんなのおんがくかい」の曲にそえられた解説の例をあげてみよう。



わらべうたの「ひらいたひらいた」(作詞・作曲不詳) の歌詞は、つぎの通り。 (1) ひらいた/ひらいた/なんのはなが/ひらいた/れんげのはなが/ひらいた/ひらいたと/おもったら/いつのまにか/つぼんだ (2) つぼんだ/つぼんだ/なんのはなが/つぼんだ/れんげのはなが/つぼんだ/つぼんだと/おもったら/いつのまにか/ひらいた




ひらいたひらいた
れんげの花って、池や沼の水の上に咲く、ハスの花のことなの。赤や白や桃色の大きな花は、夏の朝、お日さまの光を受けると開いて、みんながおやつを食べる3時ころにはつぼむの。そして、次の日も開いてつぼんで、その次の日も開いてつぼんで、4日めには散ってしまうの。お姫さまのようにきれいな花なのに、たった3日しか咲かないなんて、なんだか、かわいそうな花ね。でも、この歌をみんなでうたいながら遊ぶのは、とっても楽しいわよ。みんなの手をつないで作った大きな花の輪を「ひらいたひらいた」と歌って広げ、「いつのまにかつぼんだ」とうたってつぼめ、「つぼんだとおもったら、いつのまにかひらいた」とうたって、もういちど広げるの。ハスの花が、ほんとうに、開いたりつぼんだりしているように見えるのよ。こうして、お友だちと手をつないで遊んだら、みんな、もっともっと仲よしになるわね。



この歌には、ちょっとしたエピソードがある。当時の小学1年生の音楽の教科書に、この歌が掲載されていた。次の通り(改訂前)、描かれている花はレンゲ草である。これは明らかに間違いなので、文部省(現・文部科学省)へ電話を入れたところ、調べた上で返事をしますという。返事はなかったが、改訂時期でもなかったのに、翌年の教科書では、つぎのように替えられていた。教科書会社も、しまったと思ったに違いない。



「訂正前」


ひらいたひらいた教科書改訂前



「訂正後」


ひらいたひらいた教科書改訂後




昨日、「みんなのおんがくかい」を紹介した際、歌にまつわる解説が168曲すべてについており「アイアイ」を例にあげたところ、さっそく鹿児島県に住むKさんから次のような電話をいただいた。



「アイアイ」がサルの種類であることをはじめて知りました。マダガスカル島に住んでいるこんなかわいいサルだったなんてとてもビックリ。だいぶ以前私が見た絵本にそえられていた絵は、チンパンジーのようなサルだったような気がします。あれは間違いだったのですね。お手数ですが、どの歌でもかまいませんので、他にもう2、3の歌の解説を見ることはできないでしょうか。購入を本気に考えていますので、よろしくお願いします。



リクエストにお応えして、いくつか紹介してみよう。まずは、平井堅の歌で大ヒットした「おおきなふるどけい」(H・C・ワーク作詞・作曲、訳詞・保富康午)




おおきなふるどけい
この大きな古時計、100年も動いてたんだって。おじいさんが生まれたとき、おじいさんのお父さんが買ってきたの。 そして、それからは、いつも、小さな声でチクタクチクタク言いながら、おじいさんや、おうちの人に 「もう朝ですよ」 「ごはんの時間ですよ」 「おやつの時間ですよ」 「お父さんが帰ってくる時間ですよ」 「お休みの時間ですよ」って、知らせてきたの。たいへんだったでしょうね。長い針と短い針が12のところにきたときは、どんな音をだしたのかな。大きい時計だからボーン、ボーンかな。おうちに、うれしいことがあったときは、うれしそうにボーンボーン、悲しいことがあったときは、悲しそうにボーンボーンと鳴ったのよね。おじいさんが死んだら、動かなくなってしまったの。おじいさんが天国へ行ったから、時計も、おじいさんについて、天国へ行ったのよ、ねえ、そう思うでしょ。



つづいて、野口雨情作詞、本居長世作曲の「あかいくつ」




あかいくつ
異人さんというのは、よその国の人のことなの。赤いくつをはいた女の子は、その異人さんに手をひかれて、遠い遠い国へ行ってしまったの。異人さんに、もらわれていったのかしら。ひとりで知らない国へ行くなんて、さみしかったでしょうねえ。お船の上で、青い空に、お母さん雲と子どもの雲が浮かんでいるのを見ながら、夜、お母さん星と子どもの星が並んで光っているのを見ながら、目に、なみだをいっぱいうかべたのじゃないかしら。でも、遠い国へ行ったら、きっと、しあわせになったと思うわ。やさしい女の子だったから、みんなにかわいがられたわよねえ。そして、大きくなったら異人さんと結婚して、青い目のおんなの子を産んで、その子に赤いくつをはかせてあげたんじゃないかしら。





みんなのおんがくかい
いずみ書房のオリジナルシリーズの第5弾は、1983年5月に販売を開始した「みんなのおんがくかい」(全12巻)だった。絵本12冊と絵本に対応したカセット12巻 (のちにCD12枚) と楽譜集からなり、1冊の絵本に童謡が10曲、セミクラシック4曲を収録した。トータルで童謡120曲、セミクラシック48曲を収録したことになる。



このシリーズの最大の特長は、これまで他社で刊行されてきた童謡絵本が、単に絵に歌詞がそえられているものだったのに対し、このシリーズでは1曲ごとに、歌の解説を付けたことだ。たとえば、相田裕美作詞、宇野誠一郎作曲の「アイアイ」では、次のようになっている。




あいあい
「アイアイって、サルの種類の名まえなのよ。ゾウやライオンやキリンなどがたくさんいるアフリカの近くに、サツマイモの形をしたマダガスカルという島があって、アイアイはその島にすんでいるの。サルなのにリスに似ていて、目は丸く、しっぽはふとくて長いのよ。おうちは、木の上に、葉っぱをたくさん集めてきて、まーるいのをつくるんだって。耳が大きくてかわいいアイアイは、その葉っぱのおうちで眠るとき、どんな夢を見るのでしょうねえ。葉っぱのじゅうたんに乗って空を飛んでる夢かしら、アイアイの王さまになった夢かしら、それともやはり、ごちそうの夢かしら。島へごちそうを持っていって、おーいアイアイって呼んでみたいわね。アイアイの赤ちゃんも遊びにきてくれるわよ、きっと」



このように120曲の童謡、セミクラシック48曲、168曲すべての曲に母親が子に語りかけるヒントになるような、曲にまつわる心温まる解説を付けたことである。



歴史的にみると、中国は香港を、イギリスから略奪されるような形で手放すことになったが、香港に住む人たちにとってはむしろ、幸運だったのではなかろうか。旅行者の印象でしかないが、香港は立派な文化都市であり、物価も日本より多少安い程度ではあるが、中国本土と比較にならないほどインフラや社会的秩序がしっかりしている。

香港島にある「香港ギフト・プレミアム展2005」会場である「香港コンベンション&エキジビションセンター」の充実した施設と、ビクトリア・ハーバーに囲まれた景観は美しく、ブース間のたっぷりとられた歩道といい、まことにゆったりと気持ちよく歩ける。お台場のビッグサイトも、ここと比較すると貧弱さがいなめない。

見本市会場でカタログをもらい、名刺を置いてきた多くの会社から、「たくさんある中から、私どものブースにお立ち寄りいただきありがとうございます。どのような用件でも、お問い合わせくだされば、すぐにお答えします……」というメールが届く。どうせお付き合いするのなら、こういう会社とつながりをもちたいものだと思ってしまう。

香港の街中を歩いたのは、コンベンションホール近くにあるワンチャイという地下鉄駅付近の2、3時間だが、日曜日にもかかわらず活気に満ちた町並みで、小泉首相の靖国参拝問題の影響があるかと多少の心配もしたが、それもまったくなく、安心して食事や散歩を楽しめた。

ホテルは香港島対岸の九竜半島の沿岸にあり、まさに「100万ドルの…」といわれるにふさわしい夜景を堪能できた。ホテルから2、3分のところにある日本資本のジャスコは、デパートと大型スーパーがいっしょになったような大ショッピングセンターで、夜の9時、10時になっても地元の客でにぎわっていた。香港は、もう一度でかけて、ゆっくり町中を歩いてみたい都市のひとつだ。

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