児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2005年07月

W氏のセールス現場に立ち合わせてもらい、いかに一般家庭に「ポケット絵本」を売り込めばよいかのイメージをつかんで勇気を得た私は、J・チェーンのことを思い出していた。系列会社のJ総業が倒産した以上、どんなに頑張っても2、3ヶ月後にはJ・チェーンも破綻してしまうだろう。そうなると、多額の加盟料を支払って手にした加盟店の営業権の価値もなくなってしまう。全国に1000店を越える加盟店があるそうで、みんな路頭に迷うはずである。加盟店の中には、当社の「ポケット絵本」を中心に営業活動をしてくれた人がたくさんいると聞いている。散り散りになってしまう前に、なんとか同士として「ポケット絵本」の普及事業に共に歩んでもらえないものかと私は考えた。

そこで、J総業倒産の後、伊勢崎市のJ・チェーンの研修所付近で待機中にたまたま知り合ったF氏へ電話して、協力がもらえないか尋ねてみた。私の予測していた通り、J・チェーンは末期的症状を呈しているという。加盟店もそれを察知して浮き足立っており、営業どころではないらしい。F氏はJ・チェーンの加盟店の中でも、もっとも上位の「発売元」という権利を得ていて、加盟金だけでも1千万円以上もつぎ込んでいるため死活問題なのだともいう。

私は電話だけでは趣旨がうまく伝わらないと思い、1976年10月初旬、茨城県岩井市にあるF氏の自宅を訪ねた。「F商事」という会社組織になっているといっていたが、本業の農家の一室を事務所にしていた。F氏はF商事の専務、その兄さんという人が社長でオーナーだった。話のようすから、社長は地元の名士のようで顔が広く、政治的な力を大いに利用して、傘下の「地区センター」「特約店」という加盟店に売り上げをあげさせ、組織的な利益を得ているような印象だった。

「いずみ書房さんも、J総業の倒産でまいりましたな。今月末はJ・チェーンもいよいよ苦しい。先月末もギリギリ乗り越えたくらいだから、もう駄目だと思ったほうかいいですよ。どうです、ウチと組んで、フランチャイズ組織をやりませんか」と社長はいう。

詳しく聞いてみると、親しい知人にJ・チェーンの内部事情に通じている人がいて、全国1000加盟店のリストはもちろん、月間売り上げ、商品別の売り上げ情報もほぼ知り尽くしているから、当然、どの地区の誰が「ポケット絵本」をよく売り上げているかも知っている。F商事が販売元になって、いずみ書房の販売組織を作ってもよいという。私は、「ポケット絵本」を売っている加盟店を紹介してもらいたいというのが訪問の主旨ではあったが、F商事と組むことにより、一気に組織を拡大することができるかもしれないと感じた。ただ、共同でチェーン組織を作るということへの即答は避け、関東と周辺地区で、「ポケット絵本」を手がけている加盟店の方に声をかけてもらい、どこか適当な場所に集まってもらえないかと提案した。すると、F社長はここでやろうと即断し、後日連絡をくれることを約束してくれた。

いずみ書房のホームページにある「セサミえいごワールド」コーナーは、2002年9月に発売以来、たくさんの方々においでいただき好評を博しておりましたが、このたびさらにスッキリと見やすく、好評のトーキングリピートカード30枚をアップで見ることができるなど、教材内容がいっそうよくわかる工夫をこらしましたので、是非のぞいてみてください。

同ホームページで大人気「オンラインブック」の「せかい伝記図書館」コーナーも、かなり充実してきました。シリーズ全36巻には、最重要人物の伝記100余名を収録していますが、すでに60名分ほどは、ここで見ることができます。いずれ、すべての伝記、重要人物300名の小伝と、すこしずつ紹介していく予定ですので、お楽しみください。

なお、ブログで紹介している「ポケット絵本」とは何か、というお問い合わせをいただきましたが、現在は「せかい童話図書館」として、セットでのみの販売となっております。これも、何点かは「オンラインブック」で紹介しています。近い将来、このシリーズも、全点をネットで見ることができるようにしたいと考えております。

あの日の出会いから3日後、W氏は約束通り私を同行して、セールスの現場を見せてくれた。セールスマンというのは、ふつう、仕事の現場を人に見せるのをいやがるものだが、幸いW氏は人が同行しても一向に苦にならないという。むしろ、人がいることによって張り合いも出るし、「今日は新人を教育中ですから」とお客さんにいうことによって、真剣に聞いてくれることが多いという。

私は、小型テープレコーダーを手に、W氏のうしろについて、話す言葉の一字一句も逃さないように聞き耳を立てた。W氏は、子どもの多くいそうな公団住宅や社宅で仕事をするのが性に合うらしく、好んでそういう集合住宅をセールス現場に選ぶという。

「ポケット絵本のねらい」という私の書いた冊子の内容も熟読してくれたようで、営業トークの中にうまく取り入れていたのはさすがであった。商品の内容も、一冊一冊丁寧に読みこんでくれている。原作、原話に忠実に作られている特長は、日本人なら誰でも知っている「桃太郎」を例にあげて、次のようにお客さんの関心を高めていた。

この「ももたうう」をご覧下さい。絵でなくって写真みたいねっていわれるんですけど、すごく細かく描かれてますでしょう。「ももが、どんぶらこ・どんぶらこと流れてきて、ももたろうが生れて、おじいさんおばあさんが大事に育てて、一人前の青年になって、いまから鬼が島へ・・・。犬が出てきて、さるが出てきて、きじが出てきて・・・」。
市販されている絵本ですと、犬もさるもきじも、一度に出てくるのが多いんです。これは大事なところですよね。犬が出てきて、「ももたろうさん、ももたろうさん、おこしにつけたきびだんご、1つ下さい、おともします」それからさるが出てきて、それからきじが、と3度くりかえすことによって、子どもたちをぐいぐい物語に引きこんでいきます。この「ポケット絵本」は、この「ももたうう」を例にとりましても、一人前になるまでの過程がこまかくかかれていますし、犬・さる・きじの登場にも、それぞれ見開きページがつかわれていますでしょ。鬼たいじのシーンも、作戦を練って実行するまでが、とても細かくかかれています。このように、どの巻をとっても物語自体が飛ばされていない、つまり省略されていないわけです。
余談になりますけど、ブーツをはいてサングラスをかけた「ももたうう」の絵本だとか、おばあさんが電気洗たく機で洗たくしている「ももたろう」なんかさえあるんですから、面くらってしまいますよね。
子どもというのは、もう2、3歳になりますと「だからどうなの」「なぜ」「どうして」というような質問をどんどんしてきますでしょ。たとえば「ももたろうはどうして鬼たいじにいくの」という質問をされてこまったというお母さんがいらっしゃいましたが、この本では鬼たちが作物をぬすんだり村人にらんぼうしたりしてこまっていることが、きちんと語られています。そういうお子様の疑問に充分こたえられるように心を配っているわけです……。

W氏の自宅は川崎市にあるということで、この日のセールス現場は品川区にある公団住宅だったが、午前中に2オーダー、午後1オーダー、計3オーダーの契約に立ち合わせてもらった。実質的な営業時間は、わずか3時間程度だった。W氏は長い営業経験から、「この絵本シリーズには商品力があります。うまくはまると1日10オーダーあげることだって夢じゃないですね」と断言してくれた。これは私にとって実にうれしい言葉だった。というのも、これまで私が手がけてきた営業法は、ほとんどが保育園や幼稚園を通じて園児のいる家庭へ、パンフレットにあいさつ状を添えて案内してもらい、全巻の予約を取るという方法でしかなかったからだ。こんなふうに家庭へ直接売りこむことができれば、全国へ大きく市場を広げることも不可能ではない。

わが家の愛犬モカにノミがとりついたのは、1ヶ月ほど前のこと。かゆがっているので、久方ぶりにシャンプーをしてあげた。モカは4年10ヶ月のパピヨンの女の子(最近はメスといわなくなった)、人間でいえば妙齢のご婦人ということになる。白い毛がふさふさしているため、ノミにとっては住むのに実に環境のよい場所のようだ。

しばらくは、シャンプーの甲斐あって、かゆみはおさまっている感じだったが、半月ほど前からかゆがり方が常軌を逸している。しっぽから、腰のあたりに集中しているようで、たえずそのあたりを掻いている。見てあげようとすると、この子は噛みつこうとする。どうも、亡き妻・国子が幼児教育を怠ったことが原因している。彼女は人間の子どもの幼児教育は、こちらが感心するほど立派な理論と実践を展開してきたが、イヌに関しては可愛がるだけで甘やかし放題。寝るときくらいはゲージの中と、私がモカを入れようとすると、そんなことは可哀そうと自分のベッドの中にもぐりこませていた。そんなこともあって、モカは自分の気に入らないことはなんでも拒否するのである。

いろいろ考えた末、ノミだって生きものなのだから呼吸をしている。モカを風呂に入れてあげれば、呼吸ができなくなったノミは、苦しがって浮き上がってくるに違いない。これはいいことを思いついたとばかり、お湯の温度を37度に設定して、モカをはじめて風呂桶の中に入れた。はじめは騒ぎまくっていたが、やがて気持ちよさそうにしている。十数匹が浮きあがってきたので、10分ほどで出してあげた。ドライヤーで乾かしてあげているうち、何と、まだ何匹かのノミが動いているのである。ノミの生命力というのはすごいものがある。絶滅させることはできなかったが、しばらくはいいだろうかと高をくくっていた。

ところが、先週21日の夜のかゆがり方は半端なものじゃない。全身を掻き回し、時折、キャンキャン声に出してかゆがっている。モカのそんな声に何度も眼をさまさせられた。「よし、今度こそ絶滅へ挑戦だ!」とばかり、目覚ましを30分ほど前倒しして翌朝、再挑戦。今度は、30分間は風呂桶の中に入れておくと決意した。前回は騒いだが、今回は、私が何をしようとしているのかを察知したようで、おとなしくしている。その点では、頭のいいイヌだ。15分もすると、息のできなくなったノミが少しずつ浮かびあがってくる。20分もたつと、どっと浮かんできた。成功のようだった。当日朝のモカは、私を見送りに出てもこず熟睡していた。

しばらくは、かゆみから開放されるだろうと思いきや、まだ残党が残っているのだろうか。昨日あたりから、また、かゆがりだした。週末に、とどめをさしてやろうかと考えている。

W氏に手渡した冊子の内容はどんなものかという問い合わせがあり、原文はかなり長いものなので、そのポイントをここに記載してみることにする。

◇ 昔話の原話をできるかぎり忠実に

「三びきのこぶた」という有名な英国のむかし話がある。ジェイコブズというイギリスの民話収集家が19世紀末に「イギリス民話集」に発表して以来、世界的に流布するようになった。この物語は、二匹のなまけもの兄さんこぶたをオオカミに食べられてしまった弟こぶたが、知恵をはたらかせてオオカミのたくみな誘いから逃れ、逆に、にえ湯の中に落してオオカミ退治をするという痛快なストーリーである。この話を伝えてきた先達の意図は、なまけているとオオカミに食べられてしまうぞとか、力の強い悪者には知恵で対抗せよと教えているにちがいない。そしてこの民話の魅力は、スリルとユーモアにあふれた展開に加え、生きるたくましさと知恵の勝利にあるといってよいだろう。

ところが日本の絵本の多くは、オオカミにこぶたを食べさせるのは残酷だとしてこれを避けたり、なかにはこぶたとオオカミが仲直りしているものまである。これでは子どもたちの欲求を満足させるどころか、もっともセンチメンタルな日本的妥協心をうえつけさせるものではないか。これは、「まあまあそのへんでいいじゃないか」というみせかけの平和主義に子どもたちを追いやるに等しい。オオカミは悪ものだ。悪ものにかかると力の弱い善人は殺されかねない。殺されないために悪ものをやっつけなくてはならない。この論理は子どもにも充分納得のできるものである。

「ポケット絵本」は、昔話の原話の味を最大限に生かすよう努めた。それは昔話の多くが何百年という気の遠くなるような長い時代を生きぬいてきた、いわば民族の遺産でもあるからだ。つまり昔話に価値があるのは、そこに秘められた何かしらの感銘であり、それがその話を伝えてきた人たちの知恵であったからに他ならない。ダイジェストや書きかえの中でそれが薄められてしまったなら、昔話の価値はなくなったも同然といっても過言ではない。

かたきうちとして有名な「サルカニ合戦」でサルとカニが、「カチカチ山」でウサギとタヌキが仲直りしているような、原話を勝手に書きかえ改悪している絵本をみてびっくりした経験をもつ人も少なくないに違いない。

◇ さし絵の価値と小さな判型の意味

幼児にとって、物語を聞くだけでは細かいところの理解が不足する。経験も浅く、想像力も充分発達していないため、物語の世界をイメージ化することはなかなかむずかしい作業である。そこにさし絵が必要になってくるわけで、目に見えない言葉の世界を想像力をフルにはたらかせて見える世界につくりかえる手助けをするわけだ。そして、自分でつくりあげたイメージの世界を登場人物といっしょに歩こうとする。そんな意味からも、幼児に与える絵本はなるべくさし絵の数の多い、色彩の豊かなものが望ましいわけで、「ポケット絵本」は、この点にも力をそそいだ。従来の絵本にくらべ、ページ数、絵の枚数ともに 5割以上も多いはずである。しかもコート紙を使用しているので豊かな色彩が楽しめる。

小型で軽いので、寝る前など、子どもの横に並んで寝ころびながら読んで聞かせることもできるし、旅行やちょっとした外出のおともにすることだって簡単だ。いつも身近において子どもたちの要求のあった時、いつでも開ける状態にあるようにしたいものである。すくなくとも、そういう願いをこめてこのシリーズを制作した。

幼児の時代は、「耳から読書をする時代」ともいわれる。幼児期の読書に必要なことは、本というのは何と楽しいものであるかを感覚的に体験させることではないだろうか。そのためには両親も努力してくりかえし本を読んできかせてほしい。子どもたちは親が自分のために本を読んでくれているという満足感と、絵本が展開する新鮮さ、不思議さにそれこそ胸が熱くなるほどの充実感をおぼえることだろう。そのためにも、同じ本を何度も読むことを要求されてもいやがらないほしい。読み手は大変だが、子どもは一冊の本に興味をもち、そこに喜びを見出すと飽きるまで、それこそ幾度でもその喜びや楽しさを確かめたいのだ。そしてその楽しさを確かめたことに満足なのだから。

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