● 今日(11月28日)の主なできごと

1883年 鹿鳴館開館……日本初の洋式社交場が、東京・内幸町に開業。外国人を歓迎する舞踏会がさかんに行われ、欧化主義風潮の拠点となったことで、1887年ころまでの狂熱的な一時期を「鹿鳴館時代」とよんでいる。


● 今日の主な記念日・恒例日

税関記念日……1872年のこの日、当時「運上所」と呼ばれていた輸出入貨物の取り締まりを行う機関を「税関」に統一することが決定されたことにちなみ、大蔵省(今の財務省)が1952年に制定。

太平洋記念日……1520年のこの日、ポルトガルの航海者マゼランが、後に「マゼラン海峡」と命名される南米大陸南端の海峡を通過して大海に出た。この海が「穏やかな大洋」だったことから「Pacific Ocean 太平洋」と名づけたことにちなんで制定された記念日。マゼラン自身は、フィリピンで原住民に殺されたが、彼の船団の一隻が初めて世界を一周して帰国、地球が丸いことを証明した。


● 今日生まれた人

1628年 バニヤン……イギリスの説教者・宗教文学者。代表作『天路歴程』。

1820年 エンゲルス……ドイツの社会思想家・経済学者・哲学者。マルクスと協力し、科学的社会主義の世界観を構築。

1835年 井上馨……明治・大正期の政治家・実業家。外務卿・参議・農商務大臣・内務大臣など要職を歴任。鹿鳴館建設。

1847年 桂太郎……明治期の政治家。第11・13・15代首相。陸軍大将・陸軍相歴任。

1878年 寺田寅彦……明治・大正・昭和期の物理学者・随筆家。

1881年 ツヴァイク……オーストリアの小説家・評論家。『マリー・アントワネット』『メアリー・スチュアート』など多数の伝記文学作品。

1897年 宇野千代……大正・昭和・平成期の小説家。代表作 『おはん』『生きて行く私』『色ざんげ』など。

1929年 向田邦子……昭和期の小説家・テレビドラマ脚本家。代表作『花の名前』『七人の孫』『寺内貫太郎一家』『父の詫び状』など。


● 今日亡くなった人

1262年 親鸞……鎌倉時代前期の僧侶。「浄土真宗」開祖。

1859年 アービング……アメリカの小説家。代表作『スケッチ・ブック』『アルハンブラ物語』など。

1954年 フェルミ……イタリア出身アメリカの理論物理学者・実験物理学者(核物理)。

1985年 白洲次郎……昭和期の実業家。吉田茂の側近としてGHQと渡り合う。

2014年 菅原文太……昭和・平成期の俳優。代表作は、映画『仁義なき戦い』『トラック野郎』各シリーズ。


● 過去のマイブログ「11月28日」のテーマ

2015年 『スケッチ・ブック』 のアービング
アメリカの作家で、イギリスで名声をえたアービングが、1859年に亡くなった日です。1783年、ニューヨークのマンハッタンに裕福な商人の11人兄弟末っ子として生まれたワシントン・アービングは、身体が弱かったため、幼いころから読書に親しみました。1804年、保養を兼ねてイギリスに渡ってイギリス文学に親しみ、1806年に帰国して弁護士資格を独学でとると……。

2013年  初の原子炉を建造したフェルミ
統計力学、核物理学、量子力学の分野で、世界最高レベルの業績を残したイタリア出身の物理学者フェルミが、1954年に亡くなった日です。1901年、ローマに生まれたエンリコ・フェルミは、地元の公立学校で伝統的な教育を受けましたが、数学や物理学に強い興味を示し、アインシュタインの相対性理論を独学で理解するほどでした。ピサ大学付属の師範学校をへて、1922年ピサ大学で物理学の学位を取得するとローマにもどり、ドイツのゲッティンゲン大学に短期留学してマックス・ボルンら……。

2012年 『天路歴程』 のバニヤン
プロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書『天路歴程』を著わしたことで知られるイギリスの説教師・文学者バニヤンが、1628年に生れた日です。イングランド・ベドフォード州の片田舎に、貧しい鋳かけ職人の子として生まれたジョン・バニヤンは、学校教育はほとんど受けず、父の職業を手伝いながら、徒弟修業をしました。1644年に「清教徒革命」(1642-49年。国王と議会が対立し、王朝を倒した市民革命)に、議会軍に参加して国王軍と戦ったのち、信仰心のあつい娘と結婚しました……。
 
2011年  軍閥政治家・桂太郎
日本陸軍の原型をこしらえ、3期にわたり総理大臣を務めて日本帝国主義を推し進めた桂太郎(かつら たろう)が、1848年に生まれた日です。長州(山口県)藩士の子として生まれた桂は、1863年に「下関事件」という下関での外国艦船打ちはらいに軍人としてはじめて出陣、その後の幕府による第2次長州征伐に活躍、新政府軍と旧幕府軍との「戊辰戦争」では、新政府軍の兵を率いて東北地方を転戦……。

2008年  物理学者で随筆家の寺田寅彦
すぐれた物理学者であるばかりでなく、随筆家としても名高い寺田寅彦(てらだ とらひこ)が、1894年に生まれた日です。寺田寅彦は、西南戦争が起こった次の年1878年に、陸軍につとめる会計官の子として東京で生まれました。でも父が何度も転勤したので、少年時代は、ほとんど、父の郷里の高知で育ちました。小学生のころは、虫とりと、顕微鏡をのぞくことと、読書がすきでした。学校の授業は、からだが弱かったので体育がにがてでした。それに、算数もきらいでした……。

2007年  子どもの人格の尊重をいつも心がける
ある駅の近くでのことです。もうすぐ電車が入るのか、歩いていた人たちが、いっせいに走りはじめ、5歳くらいの女の子の手をひいていた若い母親も、かけだしました。すると、ひきずられるようにしていた女の子の、片方のくつがぬげてしまいました。これを、うしろから見ていて、きっと、あの母親の口からとびだすにちがいないと思ったのは 「なにしてるの」 という言葉でした。ところが、この予想は全くはずれました。「ごめんね。ママが、お家をでるのが、おそかったのね。ママが悪かったのに、走らせたりして、ごめんね……。

2006年 「三島由紀夫」 のこども時代
「潮騒」 「金閣寺」 などの名作で知られる三島由紀夫は、子どものころ、たいへん、ひ弱でした。生まれつきではなく、あまりにも祖母にかわいがられすぎたのです。しょっちゅう自家中毒の症状を起こしては、みんなを心配させました。6歳で学習院へ入学しました。少し神経質な少年でしたが成績はすぐれ、放課後、命じられて教壇に立ち、先生の代わりに同級の成績の悪い子どもたちに教えたこともありました。体は弱くても、精神は人一倍強いものをもっていたのです……。
 
2005年  曲に秘められた「歌の心」
拠点長会の席上で語った内容の第6回目。私は、「みんなのおんがくかい」を企画したとき、まっ先に考えたのがひとつひとつの歌に解説をつける、ということでした。どの歌にも人々の心を打つものがある、だからこそ長い年月歌いつがれてきたはずです。これは、昔話が伝えられてきたのと非常に似ていると思われます。というより、「しょうじょうじのたぬきばやし」 は、まさに昔話の世界そのものといってよいでしょう……。