● 今日(10月20日)の主なできごと

1180年 富士川の合戦……源頼朝率いる源氏と平氏軍が駿河の富士川で合戦を行った。この戦いで、平氏軍は水鳥が飛びったった水音を夜襲と勘違いして敗走した。

1274年 文永の役……日本を占領しようと、対馬・壱岐(長崎県)を占領した元軍(中国)は、この日博多に上陸し、鎌倉幕府軍と激しい戦いとなったものの、台風による暴風雨に襲われ、元軍は大被害を受けて夜中に撤退した。


● 今日の主な記念日・恒例日

新聞広告の日……「新聞週間」は、毎年10月15日から1週間行われるが、日本新聞協会は1974年に、その中でも覚えやすい20日を、「新聞広告の日」として制定。

リサイクルの日……「ひとまわり(10)、ふたまわり(20)」の語呂合せから、日本リサイクルネットワーク会議が1990年に制定。この記念日にちなみ、通商産業省(現在の経済産業省)ほか8省庁が、10月を「リサイクル推進月間」(今の「リデュース・リユース・リサイクル推進月間」)とした。


● 今日生まれた人

1854年 ランボー……フランスの象徴詩人。代表詩集『地獄の季節』『イリュミナシオン』。

1859年 デューイ……アメリカの哲学者・教育者。「プラグマティズム」創始。

1879年 河上肇……明治・大正・昭和期の経済学者。代表著作『貧乏物語』『資本論入門』『自叙伝』など。

1906年 坂口安吾……昭和期の小説家。代表作『堕落論』『桜の森の満開の下』など。

1934年 皇后美智子……今上天皇の皇后。


● 今日亡くなった人

1433年 後小松天皇……室町時代北朝最後(6代)の天皇。

1856年 二宮尊徳……江戸時代後期の農政家。各地の農村の復興や改革につくす。

1936年 アン・サリヴァン……アメリカ女性。ヘレン・ケラーの家庭教師。

1959年 阿部次郎……大正・昭和期の哲学者・評論家。代表作『三太郎の日記』。

1964年 フーバー……アメリカ第31代大統領。

1967年 吉田茂……明治・大正・昭和期の外交官・政治家。第45・48~51代首相。日米講和条約・日米安保条約締結。「ワンマン宰相」

2009年 原田康子……昭和・平成期の小説家。代表作『挽歌』『海霧』など。


● 過去のマイブログ「10月20日」のテーマ

2015年  「南北朝合一」 と後小松天皇
室町時代北朝最後(6代)の天皇で、歴代第100代目の後小松天皇(ごこまつてんのう)が、1433年に亡くなった日です。1377年、北朝第5代の後円融天皇の第1皇子して生まれた後小松ですが、室町幕府は3代将軍足利義満の全盛期のころで、公家の権力は幕府に押さえられ、京都の支配権さえも幕府の手中にありました。そのため、後小松は義満の親戚筋の日野家に養育されました……。

2014年 「世界大恐慌」 に敗れたフーバー
歴代のアメリカ大統領たちに能力を高く評価され、第31代大統領を務めたフーバーが1964年に亡くなった日です。1874年、アイオワ州ウェストブランチに鍛冶屋の子として生まれたハーバート・フーバーは、9歳のころまでに両親を失い、おじ夫妻に育てられました。15歳で簿記とタイピングをマスターして独立すると、夜にはビジネススクールに通うなど苦学して1891年、カリフォルニア州に新設したばかりのスタンフォード大学に入学し、採鉱学を学びました……。

2011年  早熟の天才詩人・ランボー
フランス象徴主義の代表詩人のランボーが、1854年に生まれた日です。ランボーが詩作をしたのは、15歳から20歳までのわずか5、6年にすぎません。フランス北東部のシャルルビルに、軍人の子として生まれたアルチュール・ランボーは、1860年に両親が離婚したため、母親に育てられました。幼い頃から知的能力を発揮して、8歳のころには大人顔負けの文を綴るようになっていました。15歳の頃から詩作をはじめるようになり……。

2010年 『三太郎の日記』 と阿部次郎
『三太郎の日記』を著した大正・昭和期の哲学者、評論家、教育者の阿部次郎が、1959年に亡くなった日です。阿部次郎は、1883年、山形県松山町(現・酒田市)に、8人兄弟の次男として生まれました。父親は小学校の教師で、兄弟のうち次郎を含む4人がのちに大学教師となっています。次郎は、第一高等学校から東京帝国大学という秀才コースを歩みますが、山形中学の時代に卒業を目前にしながら……。

2008年 「油を売る」 「ねこばば」
[油を売る] 仕事をサボることを「油を売る」といいます。ところが、もともとはサボるどころか、油売りのマジメな仕事ぶりからきています。行燈(あんどん)を使っていた時代、油売りは、升(ます)で量って油を売ってまわりましたが、油は水のようには流れ落ちないので、升を早く片づけると油がまだ升に残ってしまいます。そこで油売りは、客と話をしながら、升から油が流れ落ちてしまうのを、ゆっくり待ちました。そのようすが仕事をなまけているように見えたことから……。

2006年 「雪舟」 のこども時代
雪舟は、7歳か8歳のころ、生まれた家の近くの寺に小僧としてあずけられ、坊さんになる修業をはじめました。ところが、しばらくすると、坊さんになる勉強には、あまり身がはいらなくなってしまいました。習字を習っていると、いつのまにか、字が絵になってしまうのです。ある日雪舟は、とうとう、きびしい罰をうけました。こらしめのために寺の本堂の柱に、くくりつけられてしまったのです。雪舟は、すぐ絵をかいてしまう自分が悪いとわかっていましたから、はじめは、がまんしました……。

2005年  厳しい出版姿勢
有吉忠行氏の講演記録⑤より ━━ 私は、およそ3年前から、いずみ書房の仕事をさせてもらっていますが、なににもまして、よい本を作ろうとする、たいへん真面目な姿勢に感心しています。私は、ほんとうですと、いろいろな出版社に自由に出入りさせてもらって、自由にいろいろなものを書いていきたいという願いをもっていたのですが、目下は、いずみ書房の仕事だけをやらせてもらっています。それは、いずみ書房の誠実さにほれたからです……。