この詩は、中也が生前に残した唯一の詩集『山羊の歌』の冒頭を飾るもので、「ダダイズム」の影響の残る詩といわれています。

ダダイズムとは第1次世界大戦後の反戦気運の中、スイスのチューリッヒで生まれた芸術運動のことで、ダダともいわれます。1923年(大正12年・
中也16歳)3月、中也は山口中学の3年から4年の進級に落第しました。その結果、京都の立命館中学へ転校し、初めて両親と離れて一人暮らしをはじめました。同年秋の夜、春に発売されたばかりの日本でダダイズムを実践する詩人高橋新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』に出会い、反理知・反権力・反権威・反道徳……の姿勢に共鳴したことで、この詩が生まれたようです。

「トタンがセンベイ食べて」「アンダースローされた灰が蒼ざめて」はダダ的な表現とされています。でも、幼児期の中原家では、外れかかったトタンが風に当たるとバリバリとセンベイを食べるようだと言いあったそうで、アンダースローで投げられた球が浮き上がるように、もやのようなもの(灰)が青白くただようのも、格別に奇異なものではなさそうです。

詩の形式はかなり整った中也生来のものですが、ダダの反抗的精神、技法(とくに破格・破調詩法)、詩句に遊びのセンスを採り入れるところなどは、生涯影響を受けたと思われます。