この詩も、七七調を基準にした言葉のリズムと簡明な抒情に人気があります。

中也は、波打ち際に打ち捨てられてボタンを、誰の役に立つわけでもないが、捨てるには忍びないと、自身と同じ姿を見たのでしょう。

初出は『新女苑』の昭和12年2月号なので、亡くなるわずか8か月前のことでした。小林秀雄に託した『在りし日の歌』の最後にある「永訣の秋」に、「一つのメルヘン」「月の光」などとともに追悼詩として配置したようです。