この詩は、『文学界』昭和12年(1937年 中也30歳) 11月号に掲載されたので、亡くなる数か月前の制作ということになります。


中也の頭の中には、いつの頃からかピエロがひとりすんでいて、そのピエロが薄命そうであるということから、中也は死を予感していたのでしょう。この詩はベルレーヌの「月光」「パントマイム」「あやつり人形」という3つの詩からヒント得たといわれています。

こんな変則な詩に曲をつけようなんて、おそらく誰も考えたことはないでしょう。にもかかわらず、私があまり苦労することなく完成させ得たのは、中也が後押ししてくれたのかもしれません。完成度はともかく、私としては好きな曲のひとつです。