この詩には、2連に「窓近く婦(おみな)の逝きぬ」、3連に「窓際に髪を洗えば」と女性が登場しますが、その女性は遠い過去の死のようでもあり、ごく近い過去の死のようにも思えます。


この作品も、中也が生存中に著した唯一の詩集『山羊の歌』の中の「初期詩集」に収められています。昭和2年(1927年・中也20歳)11月に、中也は河上徹太郎の紹介で作曲家の諸井三郎と知り合い、翌年5月に日本青年会館で諸井の作曲した「臨終」他が発表されました。中也は当時、この詩に出てくる女性は、彼がなじんでいた横浜の娼婦の死と語っていましたが、後に大岡昇平は「小林秀雄の許へ去った長谷川泰子以外の誰でもないのは明白」と記しています。いずれにせよ、その女性の臨終を歌いながら、(女性の)魂はどのようになるのか?
(やがては)空になるのか? と、疑問符をつけているところに、自身の死を見つめているかのような寂しい響きがあります。