この作品は、私がこの「中原中也詩画曲集(24曲)」を制作するキッカケになった詩といってよいかもしれません。東日本大震災のあった2011年の「朝日新聞」9月27日付夕刊に、[中原中也の詩 
3.11後の心を救う] という記事に釘づけになりました。

「3.11以後の不安と恐怖のなかで詩を書き、自分 (詩人佐々木幹郎氏)  の詩に絶望する。ふいに中也の長詩 [盲目の秋] の冒頭が心に浮かび、新しい顔を見せる。「そうか、今は無限の前に腕を振るしかないと、中也の言葉に救われる思いがした。中也は東日本大震災を体験して書いたのではと、錯覚するほどだった」。

『新編中原中也全集』(角川書店版 全5巻別巻1 2000~04年刊)の編集委員を務めた佐々木が、改めて中也の詩の普遍性に驚いた。「盲目の秋」はこの後、<その間、小さな紅の花が見えはするが、それもやがては潰れてしまう>とつづく。もちろん大津波を表現した詩ではない。22歳の中也は、愛する長谷川泰子に去られ、喪失の哀しみを切々とうたいあげた。発表の8か月後、泰子はほかの男の子供を産み、中也が名づけ親になる。そんな生々しい人生の物語は昇華され、静けさをたたえた永遠の喪失感が、3.11を経た人の心をやさしくつつむのだろう。詩の力は不思議だ……とありました。

私は、すぐにこの詩「盲目の朝1」の曲づくりに取り組み、まもなく満足のいく作品に仕上げることができたことで、若いころにつくりあげた7~8曲以外に計24曲を選定し、糸久昇氏にイラストの制作を依頼したのでした。

なお、佐々木幹郎氏は昨年8月、岩波書店の「岩波新書」に『中原中也 沈黙の音楽』(全6章・290頁)を著し、そのあとがきに、「盲目の秋」(全4節のうち第1節第1~5連)を掲げたのち、次のように記しています。

「自然という無限の力の前で、腕を振ることしかできないのは、まことに滑稽なことなのだが、その滑稽を生きるということ。中原中也の詩の言葉は3.11以後、強烈なバネのように私を掬い取った。大震災後の被災地に置くことができる唯一の言葉として、この詩句はわたしのなかで新しい生命を生んだようだ。(中略) 本書には、全章にわたって、[盲目の秋] の詩の世界が背景に波打っていると考えてもらっていい……」と。中也に関心のある方は、是非一読してみてください。