先に記述したように、中也は1929年(昭和4年・中也22歳)4月に、河上徹太郎や大岡昇平らと同人誌『白痴群』を創刊しました。この詩は、この同人誌の第5号に、「暗い天候3つ」と題した中也の作品3編のうちの1篇として発表されました。


大岡昇平は後に「昭和3年5月、小林秀雄は泰子と別れて奈良へ去っていった。中原は泰子が自分のところにもどってくると信じていたものの再び帰ることはなく、中原の新しい感情生活が始まった」と、記しています。この作品にはそんな不安定で孤独な気持ちが表現されているようです。

冬の夜中じゅう、どしゃぶりの雨が降っていて、そこに、しなびた乾し大根がほの暗い灯の下に、投げ捨てられるように落ちている。そんな光景は、中也が幼い日に故郷で目撃したものだが、あの陰惨さならまだよかった。

いまは冬の夜にどしゃぶりの雨が降っていて、そこに、死んだ女たちの声が聞こえてくる。「aé  ao,  aé  ao,  éo,  aéo  éo……」と。この声は、フランスの象徴詩人ランボーの影響が指摘されています。中也は昭和4年から8年の間に「ランボー詩集」を翻訳していて、その一つの詩に「烏の群れだ、オイア イオ、イア イオ!」とあるのにヒントを得て、ここに取り入れたと思われます。

どしゃぶりの雨は、さらに増し、母の帯締めや人の情けまでも雨に流して潰してしまう。過去と現在が雨の中で混濁し、ついにミカンの色だけが残る? 人情はミカンの色のように、美しくも信じるに値しないものなのだろうか……。

私は、若いころにこの詩に挑戦しましたが今一つ納得がいかず未完のままになり、最近再挑戦して仕上げたものなので、完成までに60年近くかかったといえそうです。