人は、死んだ後の自分を見ることはできません。なのに中也は、死んだ後に自分の骨を見たと詩にします。ふるさと(山口市湯田温泉)に近い小川のほとりの枯れ草の上に立って、自分の骨を見たのです。この骨が、食堂のにぎわいの中に座って、好物のみつばのおひたしを食べていたんだ、なんて思ってる。死んだあとに、霊魂だけが後に残って、自分の骨を見ている……と。これは、中也流の一種のお道化なのかもしれません。


制作したのは1934年(昭和9年・中也27歳)4月28日、雑誌『紀元』同年6月号に発表されました。前年12月3日に結婚してから5カ月半後のことで、当時、東京四谷のアパートに住んでいました。中也に関わりの深い文芸評論家の小林秀雄は同年の『文学界』8月号にこの詩を「近頃感服した詩」として全篇引用した上で、次のように記しています。

「こういう詩は古いという人があるかもしれないが、僕は中原君のいままでの仕事、そこではいわゆる新しい技法というものが非常な才能をもって氾濫していた、そのことを知っているので古いとは思わない。心理映像の複雑な組み合わせ、色の強い形容詞、感覚的な言葉の巧みな使用、捕えがたいものに狙いをつけようとする努力等々、そんなものを捨ててしまってやっぱり骨があったように歌が残ったというような詩である」……と。

中也の周りには、この小林秀雄をはじめ、大岡昇平ら才能のある人物がたくさんいました。中也は、小林に恋人長谷川泰子を奪われて絶交したり、大岡とは主義主張の食い違いから大喧嘩したりするものの、根本的なところではお互いの能力を高く評価しているのは、ほほえましいと同時に、強い絆の友情はうらやましくもあります。