「サーカス」は1929年『生活者』10月号に、「無題」として発表されました。これも「汚れっちまった悲しみ…」と同じく、中也22歳のときの作品で、中也の初期作品の中ではもっとも愛唱されている詩のひとつです。


戦争(日清・日露)や疾風の吹く多くの時代が過ぎ、たまたま田舎町で興行されているサーカスがありました。屋外は真っ暗で、サーカス小屋だけに束の間のスポットライトがあたります。それは、永遠に続く時間の流れの中の人間のいとなみの言いようのないむなしさ、はかなさであり、それを空中ブランコの揺れる音を「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」として、詩全体を象徴的に表現しているかのようです。また、「サーカス小屋は高い梁/そこに一つのブランコだ」と始めは観客の視点で見上げる空中ブランコを、次には「観客様はみな鰯(いわし)」とブランコ乗りの視線で表現します。こうした視線の移動という技法が、中也の詩に不思議な魅力を生み出しているといえそうです。

なお、中也は幼年時代に軍医だった父謙助の勤務の都合で広島や金沢で過ごしたことがあり、後年書いた「金沢の思い出」に、映画館の横の空き地にあるとき軽業がかかって、父に連れられてそれを見に行ったと記しているので、そういう幼年時の思い出が基になっているのでしょう。この歌も、私が20歳前後にこしらえたものです。