初めて「中原中也」を知ったのは、私が高校2年のときの国語の教科書に「一つのメルヘン」(⑧に収録) が載っていて、この詩のすばらしさを語る熱血国語教師の授業を受けたときのことでした。とても印象深い詩で、これまで味わったことのないときめきを覚え、その日の放課後、歩いて行ける神田神保町の古本屋をめぐって、今も手元に残る河出書房版の『山羊の歌・在りし日の歌』(中原中也著)を購入しました。いくつかの詩に感銘を受けましたが、特にこの「汚れっちまった悲しみに…」には運命的な出会いを感じ、すぐに当時覚えたばかりのギターを弾きながら、初めて作曲に挑戦して仕上げたものです。

人間には誰も、他人に知られたくないというものがあります。ウソをつく、なまける、盗む、身近な人を欺く、愛や性の悩み…等など。中也はそんな「知られたくない世界」を早くから知ってしまった人でした。15歳のとき名門山口中学に12番の成績で入学しながらも、文学にのめりこみ、両親をはじめ親類縁者の期待に反して翌年に中学を落第、京都の立命館中学に編入して一人暮らしを始めるものの学校へは行かず、親にも内緒で3歳上の女優長谷川泰子と同棲を始めます……。それから数年後のある時、かつての自分をふりかえり、どうしようもない嫌悪感を「汚れっちまった悲しみ」とし、その悲しみから逃れられない感覚をこの詩に表現したのでしょう。

中也は、1929年(昭和4年・中也22歳) に、友人の河上徹太郎や大岡昇平らと同人誌『白痴群』を創刊するものの翌1930年4月に6号で終了しました。この詩は、『白痴群』の最終巻に連作「落ち穂集」(全8篇)の一つとして掲載された中也の代表作です。
昨年は中也の没後80年、生誕110年の記念すべき年だったことから、角川文庫版『汚れっちまった悲しみに…中原中也詩集』(佐々木幹郎編) が刊行されましたが、書名だけでなく、序詩「汚れっちまった悲しみに…」、第1章「生きる」、第2章「恋する」、第3章「悲しむ」という構成で、編者が厳選した89編のアンソロジーのトップに登場しています。これをを見ても、中也を代表する詩であることがわかります。