今日7月6日は、民(中国)の本草(ほんぞう)学書の欠点を補い、日本独自の『庶物類纂』を著した本草学者の稲生若水(いのう じゃくすい)が、1715年に亡くなった日です。

1655年、京都の南にあった淀藩領主永井家の医師の子として江戸屋敷に生まれた稲生若水(本名・宣義 若水=号)は、医学を父から学び、11歳のとき大坂の本草学者福山徳潤に学び、京都の儒学者伊藤仁斎から古義学派の儒学を学びました。ところが、不幸にも主家の永井家がお家断絶になってしまったため、26歳で浪人の身となり、若水を名乗って京都で塾を開きました。

そのころ読んた日本のことを論じた民の書に、「日本は何物にも不自由しないが、薬物を産しない。そのため民国から輸入している」とありました。調べてみると、中国から多くの薬物が長崎に持ちこまれているのを知った若水は、[日本に薬物がないはずはない。詳しく調査すれば輸入せずに、国産で間に合わせられる] と確信しました。

しかし、浪人の身でそれを成し遂げることはむずかしいことでした。やがて元禄のころになると、その学識は広く知られるところとなり、学問、教育に熱心な加賀金沢藩主前田綱紀の耳にも伝わり、1693年に儒医(儒学者の医師)として若水を召しかかえました。その翌年に若水は、金沢近郊の草木類を調べ上げ、『金沢草木録』を献上しました。

みずから『草木鳥獣図考』を著している綱紀は、当時の本草学のバイブルといわれた『本草綱目』(明朝の李時珍によって書かれた薬種1892種を図版入りで紹介した書)が、完璧な書でないことを知っており、この努力家若水の、日本にある固有の薬物研究の申し出を採用し、1697年、日本独自の博物書『庶物類纂』の編さんを命じたのでした。

こうして若水は、一年おきに金沢へ出仕する特別待遇を与えられると、山野へでかけて調査をしたり、中国の典籍174種に記載されている動植物関係の記述を収集したりしながら、『本草綱目』などにある動植物のうち、1200種類は日本で産出されることを明らかにしました。

しかし、統合や整理、分類を施すなど、懸命な努力を重ねましたが、18年後のこの日、全2000巻の計画のうち、362巻を残したまま病死してしまいました。その後、8代将軍徳川吉宗が事業を引き継ぎ、若水の門人の丹羽正伯、内山覚仲、若水の3男新助が中心になって進められ、1738年に残された分を完成させました。


「7月6日にあった主なできごと」

1783年 浅間山の大噴火…長野と群馬の県境にある浅間山がこの日に煙を吐き出し、2日後に大爆発をおこし、火砕流が村々を襲って2万人の命を奪いました。火山灰が広い地域をおおったため作物が出来ず、天明の飢饉の要因となりました。

1885年 狂犬病ワクチン…フランスの細菌学者・化学者のパスツールが、1885年に狂犬病ワクチンを初めて人体に接種しました。

1893年 モーパッサン死去…『脂肪の塊』『首飾り』などの短編をおよそ260編も著したフランスの作家モーパッサンが亡くなりました。

1912年 初のオリンピック参加…ストックホルムで開催された第5回オリンピックに、日本選手2名が出場しました。