今日6月26日は、従来の紡績機を改良した「ミュール紡績機」の発明により、イギリス綿業を飛躍的に拡大させた紡績工で発明家のクロンプトンが、1827年に亡くなった日です。

1753年、ランカシャー地方ボールトンの貧しい農家で織布工を兼ねた両親の子として生まれたサミュエル・クロンプトンは、幼児期に父を亡くしたことで、早くから織布工として生計をたて、ハーグリーブスの発明したジェニー紡績機を使用していました。1772年ころからその改良に取り組むうち、アークライトの開発した水力紡績機の長所も取り入れた独自の紡績機を1774年に作り、実験を重ねながら、1779年に「ミュール紡績機」として完成させました。

この紡績機は、撚(よ)りかけと巻き取りが交互になされ、経糸(たていと)も緯糸(よこいと)のどちらも生産可能な上、細い良質糸の大量生産を可能にしたものでした。「ミュール」とは、ラバ(馬とロバの雑種)の意味で、従来の紡績機をはるかにしのぐ紡績機の発明により、従来までインドから奢侈品として輸入していた上等のモスリンの生産に適した糸を製造することに成功したのでした。

ところが、猛烈な勢いで産業革命が進むランカシャーの綿業界は、クロンプトンに対して冷酷でした。近隣の工場主たちは、クロンプトンの生産した糸の細さと美しさに注目し、ミュールがアークライトの特許と抵触するかもしれないといって特許を取ることを断念させ、自主的な寄付金の約束と引きかえに「ミュール」を公開させたのです。

ところが集まった寄付金はわずか67ポンドにすぎず、失望したクロンプトン1811年に英国議会に請願しました。貢献を判断するための調査によれば、ミュールの紡錘数はすでに420万錐、当時のイギリスの総紡錘数の90%に及んでいたことで、議会はイギリス綿業に対するクロンプトンの貢献に対し、5千ポンドの賞金を授与したのでした。しかし、この金も事業の失敗や息子の放蕩のために、費やされてしまったようです。

やがて完全に機械化された自動ミュールの製作により、イギリス綿業は飛躍的に拡大しますが、この失意の天才は、貧困のうちに生涯を閉じたのでした。


「6月26日にあった主なできごと」

1833年 木戸孝允誕生…西郷隆盛、大久保利通と並び、徳川幕府を倒すために大きな功績のあった「維新の三傑」の一人木戸孝允が生れました。

1945年 国際連合憲章の調印…4月25日からドイツや日本に宣戦していた連合国50か国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開き、この日国際連合憲章が採択されました。国際連合の発足は、同年10月24日で、最初の加盟国は51か国。主な活動目的は国際平和の維持、経済や社会などに関する国際協力の実現です。日本が国際連合に加盟したのは1956年12月、80番目の加盟国でした。