今日5月14日は、絶対王政に君臨したルイ14世の父で、絶対王権を確立する基礎を築いたルイ13世が、1643年に亡くなった日です。

1601年、ブルボン朝初代フランス王アンリ4世とイタリアの大財閥メディチ家の娘マリーの長男として生まれたルイは、1610年、父が狂信的なカトリック教徒に暗殺されたことにより、ルイ13世として8歳で即位しました。摂政となった母マリーは、イタリア人のコンチーニを重用して政治の実権を握ると、1615年にカトリック国スペインとの同盟強化をはかるため、スペイン王フェリペ3世の王女アンナと結婚させました。

成人に達したルイ13世は、1617年に寵臣リュイヌにコンチーニを暗殺させ、母も中部フランスのブロアに追放するものの、以前から忠実な臣下でなかった大貴族やフランス新教徒(ユグノー)が古い特権をとりもどそうと反抗するなど、若いルイには厳しい状況がつづきましたが、1624年に、リシュリュー枢機卿を重用して王の権力を強め、国力を充実させる仕事にあたらせました。

1630年母マリーと取り巻きの大貴族がリシュリューの罷免を要求したのに対し、ルイは改めてリシュリュー信任を表明し、母を国外亡命させ、何度もおこした大貴族たちの反乱や陰謀もすべて失敗に終わらせました。ユグノー教徒たちとも、10か月にわたる包囲戦に勝利して、彼らの政治特権をはく奪して、国内の反対勢力をほぼおさえました。

対外的には、重商主義を掲げ、海外貿易と海軍を強化しました。また神聖ローマ帝国を独占するハプスブルク家の力を弱めようと、1635年、ドイツで新教徒とカトリック教徒が争う三十年戦争に参戦し、劣性だった新教徒を支援して挽回をはかり、絶対王権を確立する基礎を築いたのでした。

なお、ルイ13世は30歳のころに髪がなくなったため、大きなかつらをかぶっていました。これを貴族たちがまねをしたことで、当時かつらが大流行するはしりになりました。


「5月14日にあった主なできごと」

1221年 承久(じょうきゅう)の乱…後鳥羽上皇は、京都近隣の武士1万7千人に対し、鎌倉幕府執権の北条義時追討の命令を出しました。幕府軍は19万の軍勢でこれをむかえ討ち、上皇を隠岐島へ流しました。鎌倉幕府成立後、京都の公家政権との二頭政治が続いていましたが、この乱以降は幕府が優勢となり、皇位継承にまで影響力を持つようになりました。

1796年 ジェンナーの種痘…イギリスの外科医ジェンナー は、牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させるキッカケとしました。そのため、5月14日は「種痘記念日」に制定されています。

1839年 蛮社の獄…江戸幕府目付の鳥居耀蔵は、田原藩士渡辺崋山、高野長英らを逮捕しました。蛮社とは、洋学者を中心に町医者・藩士・幕臣等有志の者が海防目的で蘭学や内外の情勢を研究していた尚歯会(しょうしかい)を「野蛮な結社」と国学者たちがさげすんだことによります。浦賀沖へ来航したアメリカ船モリソン号に砲撃を加えたことを、崋山や長英らが非難したことへの反感からの逮捕でした。

1878年 大久保利通死去…明治維新をおしすすめた西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」とよばれ、明治新政府の土台をささえた指導者大久保利通が暗殺されました。

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