今日4月24日は、「学農社」をおこし、西洋農法の普及につとめた津田仙(つだ せん)が、1908年に亡くなった日です。

1837年、下総国佐倉藩(今の千葉県佐倉市)の家臣小島家の子として佐倉城内に生まれた仙は、佐倉藩の藩校に学び、1851年に元服して桜井家の養子となり、藩命により江戸に出て、蘭学や英語、洋学や砲術を学びました。1861年に津田大太郎の娘初子の婿となると、江戸幕府外国奉行の通訳として採用され、1867年には、小野友五郎が幕府発注の軍艦引取り交渉のためアメリカへ派遣されることになり、福沢諭吉とともに通訳として随行しました。

西洋農法に感銘して帰国すると、1869年に築地ホテルに勤め、西洋料理には西洋野菜が不可欠であるため、同ホテルの理事となってさまざまな洋菜栽培に取り組みました。いっぽう1871年に明治政府が設立した開拓使の嘱託となり、女子教育に関心のあった開拓次官の黒田清隆が、政府が派遣する岩倉使節団に女子留学生を連れていくことを知ると、次女の梅子を応募させて同行させました。梅子はのちに女子英学塾(津田塾大の前身)を設立したことはよく知られています。

民部省に勤めたのち、1873年には、ウィーン万国博覧会に副総裁として出席する佐野常民の書記官として随行し、そこで知り合ったオランダ人農学者の指導を受け、帰国後の1874年5月に新農法『農業三事』を刊行すると、ベストセラーになりました。

1875年、米国メソジスト教会の宣教師から妻の初と共に洗礼を受けた仙は、盲聾唖者教育のため「楽善会」を組織するいっぽう、翌1876年には東京麻布に、農産物の栽培・販売・輸入、農産についての書籍や雑誌の出版などを行う「学農社」を設立させ、農学校を併設して、西洋農法の普及に尽力しました。創刊したばかりの「農業雑誌」に、アメリカ産トウモロコシの種の通信販売を始めましたが、これはわが国初の通信販売といわれています。

「農業新書」シリーズなどを残すものの、晩年は事業に苦しみ、この日横須賀線の車中で脳溢血により、71年の波乱の生涯を閉じてしまいました。仙は、同志社大の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝大教授の中村正直とともに、「キリスト教界の三傑」といわれています。


「4月24日にあった主なできごと」

1951年 桜木町事故…京浜東北線の電車が、桜木町駅到着寸前に切れた架線にふれて1・2両目が炎上、木製屋根と旧式の3段開き窓のため乗客は逃げ切れず、死者106名、重傷者92名を出す大事故となりました。この事故から、電車の鋼鉄化が急速に促進されました。

1955年 アジア・アフリカ会議…インドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって、インドネシアのバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開催され、この日反植民地主義・民族主義・平和共存など世界平和と協力の推進に関する宣言・平和十原則を採択、アメリカ(西側諸国)、ソビエト(東側諸国)のどちらの陣営にも属さない、いわゆる第三世界の存在を確立しました。

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