今日11月28日は、統計力学、核物理学、量子力学の分野で、世界最高レベルの業績を残したイタリア出身の物理学者フェルミが、1954年に亡くなった日です。

1901年、ローマに生まれたエンリコ・フェルミは、地元の公立学校で伝統的な教育を受けましたが、数学や物理学に強い興味を示し、アインシュタインの相対性理論を独学で理解するほどでした。ピサ大学付属の師範学校をへて、1922年ピサ大学で物理学の学位を取得するとローマにもどり、ドイツのゲッティンゲン大学に短期留学してマックス・ボルンらに学び、帰国後はフィレンツェ大学の講師になりました。

1926年、「フェルミ統計」とよばれる量子統計力学に関する理論を発表しました。これは、金属の熱伝導や、恒星が進化の終末期にとる形態の一つ白色矮星(わいせい)に関する理論的な基礎を与えるもので、フェルミは、理論物理学者として世界的な名声をえて、翌年には27歳の若さでローマ大学の理論物理学教授に就任しました。

さらにここで、「フェルミのベータ崩壊の理論」を完成させたり、中性子(原子核、陽子とともに原子をを構成する電気的に中性な素粒子)の研究をすすめ、自然に存在する元素にこの中性子を照射することによって、40種類以上の人工放射性元素を生成させました。これらの一連の研究成果によって、1938年にノーベル物理学賞を受賞しました。

当時のイタリアは、ムッソリーニによるファシスト独裁政権下にあり、フェルミの妻がユダヤ人だったために迫害を受けていました。そこでフェルミは、ノーベル賞受賞式に出席するためにストックホルムを訪れた際、夫人と共にアメリカに亡命、コロンビア大学物理学教授となりました。

この亡命直後、ドイツのハーンが核分裂実験に成功したことを知ったフェルミは、核分裂反応の研究に従事しだし、1942年シカゴ大学で世界最初の原子炉「シカゴ・パイル1号」(フェルミ炉)を建造し、原子核分裂の連鎖反応の制御に成功しました。アメリカの原子爆弾開発プロジェクトである「マンハッタン計画」でも中心的な役割を演じましたが、その後の水素爆弾の開発には倫理的な観点から反対をしています。

第二次世界大戦後は、シカゴ大学内に設立された原子核研究所の教授となって素粒子論の研究を行って、多くの業績を残しました。いっぼう、フェルミの講義は評判となり、多くの若い研究者を育てました。弟子たちは後に、米ソの素粒子物理学の基礎を築きあげています。

なお、フェルミにちなみ、原子番号100の元素は「フェルミウム」と命名されています。また、10のマイナス15乗mは1フェルミとされ、小惑星の一つもフェルミと名づけられました。


「11月28日にあった主なできごと」

1262年 親鸞死去…『南無阿弥陀仏』と念仏をとなえれば来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた法然に学び、その教えを発展させて「浄土真宗」を開いた親鸞が亡くなりました。

1883年 鹿鳴館開館…日本初の洋式社交場が、東京・内幸町に開業。外国人を歓迎する舞踏会がさかんに行われ、欧化主義風潮の拠点となったことで、1887年ころまでの狂熱的な一時期を「鹿鳴館時代」とよんでいます。