今日10月2日は、江戸時代中期の外科医で、世界初の全身麻酔を用いた手術を成功させた華岡青洲(はなおか せいしゅう)が、1835年に亡くなった日です。

1760年、紀伊国(現・和歌山県紀の川市)の医師・華岡直道の長男に生まれた青洲(=号 本名・震[ふるう])は、1782年に京都へ出て、オランダ医学を学ぶいっぽう、吉益南涯に漢方医学のひとつである古医方を学びました。さらに古来の東洋医学とオランダ式外科学を折ちゅうした医術を学んだり、さまざまな医学書や医療器具を買い求めるなど、当時の最新医術を身につけました。

1785年2月に帰郷した青洲は、父から家業を継ぎ、オランダ式の縫合術、アルコールによる消毒などを用いる外科手術を得意としました。そのうち、患者の苦しみを和らげるためには「麻酔薬」の開発がなにより必要と、研究に研究を重ねました。その結果、曼陀羅華(まんだらげ=チョウセンアサガオ)、草烏頭(そううず=トリカブト)を主とした6種類の薬草に麻酔効果があることを発見しました。動物実験を重ねましたが、人体実験を目前に行きづまってしまいました。それを知った実母と妻が実験台になることを申し出て、数回にわたる人体実験の末、実母の死、妻の失明という大きな犠牲をはらいながらも、麻酔薬「通仙散」を完成させました。そして1804年、60歳の女性に対し通仙散による全身麻酔をほどこし、乳がんの摘出手術に成功。この成功は、アメリカのモートンによるエーテルを用いた麻酔の手術よりも40年も前のことでした。

この全身麻酔による成功をはじめ、膀胱結石、痔、腫瘍摘出術など他の外科手術にもすぐれていることが全国的に知れ渡り、青洲の高名をしたって手術を願う患者や、教えをこう医師がたくさん集まりました。青洲は、医塾「春林軒」を設けて、生涯に1000人を越える門下生を育てたといわれています。1819年には紀州藩「小普請御医師」となり、1833年には身分の高い人を診療する「奥医師格」となりましたが、自分の本分は庶民大衆の病気治療にあるという信念を貫きとおしました。

なお、青洲の名は、和歌山出身の作家有吉佐和子が、1966年に『華岡青洲の妻』を著してベストセラーとなり、同名の映画もヒットしたことで、医学関係者間で知られる程度だった青洲の名を、全国に広めました。いまも、演劇やテレビドラマで人気を博しています。


「10月2日にあった主なできごと」

755年 吉備真備死去…奈良時代に輩出した最大の知識人・政治家といわれる吉備真備が亡くなりました。

1943年 学徒出陣公布…太平洋戦争での兵力不足を補うため、また戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため、26歳までは徴兵猶予されていた20歳以上の学生を、在学途中で徴兵し出征させると公布しました。そして、10月と11月に徴兵検査を実施して合格者を12月に入隊させることになりました。

1961年 柏鵬時代の始まり…大相撲の柏戸・大鵬両大関が、この日そろって横綱に昇進。前年までの栃錦と若乃花による「栃若時代」にかわって、大型若手横綱の登場に大相撲は大きな盛り上がりをみせました。