「おもしろ古典落語」の122回目は、『開帳(かいちょう)の雪隠(せっちん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

むかし、出開帳というのが流行ったことがありました。今のように便利な乗り物がなかったころですから、遠くにある有名な仏さまをおまいりするのはたいへんです。そこで仏さまのほうから、出張サービスをしました。そのころ、江戸の三開帳というのがありまして、京都の嵯峨(さが)のおしゃかさまが両国の回向院(えこういん)へ、成田の不動さまが深川の出張所へ、身延山のお祖師さまが深川の浄心寺へ、それぞれご出張されたわけです。

「吉っつぁん、聞いたか?」「なにを?」「こんど貧乏神が開帳するてぇんだ」「おふざけじゃねぇよ。貧乏神が開帳したって、だれもおまいりなんぞ行くもんか」「ところが、どうしてもおまいりに行かなきゃならねぇ張り紙があってな、『もし参詣なきときは、こちらよりおむかえにあがるゆえ、ご承知ください』てぇんだ」「そいつはおどろいたな。貧乏神なんぞが向こうからくる前に、こちらからでかけてやらぁ」てなわけで、みんなぞろぞろおまいりに行きます。出開帳は大はんじょうで、帰りに貧乏神のお札やお守りを買います。ある人が、こんなお札なんぞ買ったってなんにもなるもんじゃないと、鼻をかんだり、土足でふんずけてすててしまいました。ところがこの商売が当たって大金持ちになりました。よく聞いてみると、貧乏神のバチが当たったんだそうで、……なるほど、貧乏神のバチを受ければ金持ちになるかもしれませんね。

「どうだい、熊公、うめぇ金もうけがあるんだが、半口のらねぇか」「金がもうかるんなら、なんでも乗せてもらいてぇな。で、なにをするんだい?」「こんど、回向院の開帳があるのを知ってるだろ」「ああ、わかった。おまいりにいって、落っこちてるおさいせんをひろうんだな」「そんなケチな話じゃねぇ。雪隠(せっちん=トイレ)をこしらえて、四文ずつとって、貸そうってんだ」「なんでぇ、きたねぇ金もうけだな」「金はきたなくもうけろってんだ。開帳の場所には便所はねぇから、みんな困る。困ってるやつらに場所を貸してやろうってんだから、こりゃ、人助けってもんだ」と、相談がまとまりました。穴を掘って四斗樽をうめ、板を二枚わたし、しゃがめば用を足せるようにし、青竹を四方に立ててこもをかぶせて、中がみえないようにしてあるだけのものです。でもうまくもくろみが当たって、押すな押すなの大盛況。

「さあ、はばかりはこちら。ご用のお方は向こうでキップを買ってください。お一人普通席四文、特等八文。へーい、特等さんご案内っ!」「普通と特等はどこがちがうんだい?」「特等は高下駄をご用意しますから、しぶきがかかりません」くだらない特等があったもんですが、連日、大入りの大はんじょうとなりました。五、六日はこうして、ジャラジャラと銭がもうかかりましたが、急にぴたり客足が止まりました。

「変だな兄ぃ、これだけ人が出てるのに、おかしいじゃねぇか」「たしかにおかしい。ちょいとようすをみてくらぁ」とぶらりと出てみますと、お客がこないはずで、近くに新しい雪隠屋が開業していました。向こうの方は、屋根もあり、清潔な上に、線香をたいて臭気どめになっていますから、客が流れるのは当たり前です。「えっ、商売がたきができたのか。それじゃ、こっちは『元祖せっちん』って、でっかい看板を立てたらどうだろう」「だめだめ、いくら元祖って書いたって、むこうのほうが、ずっときれいなんだから、かなわねぇ。おんなじ四文なら、おれだってあっちにへぇるよ」「それじゃ、どうする?」「ようし、いい考えを思いついたぞ。おめぇ、一人で番をしていてくんねぇ」「どこへいくんだよ、兄ぃ」「まっ、いいから見てろよ」

しばらくすると、あら不思議、客がぞくぞく押し寄せます。熊公は、てんてこまいの忙しさ。うれしい悲鳴をあげながら、「はい、いらっしゃい、こっちが普通、向こうが特等。はい、切符はこちら。押さないで、押さないでぇ」と、大奮闘。銭はたまりましたが、くたびれ果てました。

夕方になって、兄き分が、ようやく帰ってきました。「なんでぇ兄ぃ、冗談じゃねぇぜ。おれひとりに店をまかせて、おれひとりで、てんてこ舞いしてたんだぞ」「まぁ、文句はいうな。おれが出てったら、客がうんときたろ」「きたなんてもんじゃねぇ、めちゃくちゃの大にぎわいだ」「お客がくるわけがあるんだよ」「どうして?」

「商売がたきの雪隠へいって、四文はらって、いままでずっとしゃがんでた」


「6月21日にあった主なできごと」

1793年 林子平死去…江戸幕府の鎖国政策に対して警告を発した海防学の先駆者 林子平が亡くなりました。

1852年 フレーベル死去…世界で初めて幼稚園をつくるなど、小学校就学前の子どもたちのための教育に一生を捧げたドイツの教育者フレーベルが亡くなりました。