今日9月30日は、中国が明とよばれていたころ、儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家 王陽明が、1472年に生まれた日です。

陽明は子どものころから、人間が大きく、広い心をもっていました。「試験に合格して、役人になるのが人のしあわせなのではなく、孔子や孟子のようになってこそ、初めてりっぱな人間といえるのだ」と言って塾の先生をたいへん驚かせたりしました。

何ごとも人と同じように、世間なみにという平凡な生活をきらい、さまざまな体験を求めました。そして人生に得るところがありそうだと思えるものは、さっそく実行に移します。仏教を学び、文学に熱中し、武道にも手をそめました。

18歳の年、朱子学の先生に出会い、けんめいに指導を受けました。しかし、その理論が自分の考えとは大きく隔たっていることに失望してしまいます。

陽明は、成長して役人になりましたが、理想と現実のちがいに、悩みつづけました。自分の利益を考える人たちばかりで、民衆を無視した政治を行なっていました。陽明は、ゆたかな知識のある、すぐれた人物でしたので、おとなしくしていれば、出世はまちがいありませんでした。ところが、陽明にとって、目先の損得などどうでもよいことです。自分だけのことを考える人間ではありませんでした。みだれた政治家とは、きびしく対立して、いいかげんな行動をいっさい許しません。いままで政治を金もうけの道具にして、やりたい放題のことをしていた人たちを、次つぎに追及しました。ところが、すじ道を立てて政治を考えようとする人は、ほとんどいません。

陽明は、嫌われて、ついには山奥へ追放されてしまいました。文化の遅れた土地で、わずかな人がひっそりと田畑を耕して暮らしています。しかも、まったく知らないことばを使っていたので、自分の気持ちを伝えることもできません。陽明は、ただ一人でほら穴に住み、学問にはげみました。朝から晩まで本を読む生活です。

ある夜、目からうろこが落ちるように、人の生きるべき道をさとりました。新しい独自の考え方をまとめて、陽明学とよばれるようになりました。人は、教育や政治など外の経験によりどころを求めるのではなく、自分の内面をほり下げて、正しい心を発見し、それにしたがって行動するということを主張しています。おおくの人に影響を与え、1528年に亡くなりました。

「陽明学」は、江戸時代の日本にも伝えられ、 「近江聖人」 と慕われた中江藤樹や、大塩の乱を起こした大坂奉行所元与力の大塩平八郎や、幕末維新の志士を育てた吉田松陰らは、陽明学者を自称していました。


「9月30日にあった主なできごと」

1913年 ディーゼル死去…空気を強く圧縮すると高い温度になります。この原理を応用して、空気を圧縮した筒のなかに液体の燃料を噴射して自然発火させ、爆発力でピストンを動かすエンジンを発明した ディーゼル が亡くなりました。