今日4月12日は、アメリカ合衆国の第32代大統領ルーズベルトが、1945年に亡くなった日です。ルーズベルトはアメリカ政治史上でただ一人4度大統領になりました。大統領は2度までが慣例でしたが、第2次世界大戦中という有事であることが理由でした。

フランクリン・ルーズベルトは、1882年、ニューヨークで実業家を父に生まれました。

少年時代のルーズベルトは、家庭教師について学びながら、なに不自由なく育てられました。でも、けっして弱よわしい子どもだったわけではなく、学校ではスポーツに熱中しました。そのため成績は、あまりよくありませんでした。

ハーバード大学とコロンビア大学で、政治や法律を学び、25歳で弁護士になりました。政治の世界へ足をふみ入れたのは、28歳のときでした。学生時代に、第26代の大統領セオドア・ルーズベルトのめいにあたる女性と結婚したルーズベルトは、妻にはげまされ、ニューヨーク州の上院議員に立候補して当選したのです。

1913年、31歳の若さで合衆国政府の海軍次官に任命され、第1次世界大戦に活やくして名を高めました。そして、1920年の大統領選挙には、民主党から副大統領候補に指名されました。しかし、落選しました。そのうえ、つぎの年にはとつぜん小児まひにおそわれ、左下半身が不自由になってしまいました。

数年たっても、松葉杖がなければあるけません。母は、政治からしりぞくことをすすめましたが、ルーズベルトは、妻の愛に支えられて、病気と闘い、政治への夢を捨てませんでした。

1928年、ニューヨーク州知事にえらばれ、4年ごには、ついに大統領に当選しました。ルーズベルトの強い意志が、病魔に打ち勝ったのです。

そのころのアメリカは、大きな不景気にみまわれ、銀行や会社がつぎつぎにつぶれて、町には失業者があふれていました。

「勇気をもって、いますぐ行動を!」

ホワイトハウスへ入ったルーズベルトは、「ニューディール」と名づけた政策の実行に全力をそそぎました。まず、仕事のない人びとを救うために産業を盛んにしました。銀行をたてなおして、国の経済のみだれをととのえました。また、新しい制度を定めて、貧しい労働者たちの権利が守られるようにもしました。ルーズベルトの心にもえていたのは、大統領は国民のために生きる政治家でなければならない、という信念でした。

きびんな政治力と、あたたかい人格がたたえられたルーズベルトは、1941年に第2次世界大戦が始まると、連合国側の指導者として活やくをつづけ、戦争が終わる数か月まえに、63歳の生涯を終えたのでした。


「4月12日にあった主なできごと」

1573年 武田信玄死去…戦国時代の武将として名高い甲斐の 武田信玄 が亡くなったといわれています。信玄は好敵手越後の上杉謙信と5度にわたる川中島の戦いや、三方が原の戦いで徳川家康を破り、その勢いで織田信長をせめる途中に病死してしまいました。

1861年 南北戦争勃発…アメリカ合衆国の南北戦争は、北部23州と、南部11州の意見の食い違いからはじまりました。黒人のどれいを使うかどうかが主な対立点で、工業の発達していた北部はどれい制廃止、大きな農場主の多い南部はどれい制維持です。1860年にどれい制廃止を叫んだ リンカーン が大統領に当選すると、南部は、北部と分れて「アメリカ連邦」を設立して、4年に及ぶ内戦がはじまりました。

1961年 人類初の宇宙飛行…ソ連(現ロシア)の宇宙飛行士 ガガーリン が、宇宙船ボストーク1号に乗り1時間48分かけて地球を1周。人類初の宇宙飛行に成功しました。「地球は青かった」という感想の言葉は世界じゅうをかけめぐりました。