今日6月1日は、生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したアメリカのヘレンケラーが、1968年に亡くなった日です。

1880年、アメリカ・アラバマ州の北部タスカンビヤの町に生まれたヘレンケラーは、1歳7か月目に、原因不明の高熱と腹痛におそわれました。医師の努力でなんとか一命だけはとりとめましたが、ものを見ることも、聞くことも、話すこともできない盲聾唖(ろうあ)者になってしまいました。

両親はたいへん悲しんで、何とかこの不幸せなわが子を治したいと名医を訪ねたりしましたが、なかなかその方法を見つけることはできませんでした。でも、視力や聴力の回復は無理でも、視聴覚障害者にも立派に教育していくことは可能であるという確信を得ました。

ヘレンケラーが7歳になったある日、父親は、電話の発明者で障害者教育につくしていた グラハム・ベル を訪れ、その紹介で盲学校の校長に手紙を出しました。そして、ヘレンケラーのために家庭教師のあっせんを依頼し、やってきたのが21歳のアニー・サリバンでした。同校を優秀な成績で卒業したばかりのこのサリバン先生こそ、その後50年間ヘレンのよき半身となり、聖女といわれるまでにヘレンケラーを育てあげた[偉大なる教師] その人でした。

サリバン先生の献身的な指導、本人の不屈の闘志で障害を乗り越え、1904年ハーバード大学を優等で卒業。二人の努力と精神力は障害をもつ人々に希望を与え、その多彩な活動ぶりは、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック・せかい伝記図書館・17巻 「ヘレンケラー」 をご覧ください。