今日3月9日は、人類として初めて宇宙飛行をなしとげたソ連の宇宙飛行士ガガーリンが、1934年に生まれた日です。

ユーリー・ガガーリンは、ソ連西部のスモレンスク州で生まれました。父も母も、コルホーズとよばれる集団農場ではたらいていました。

ガガーリンが5歳のとき第2次世界大戦が始まり、スモレンスクにもドイツ軍が攻めてきました。そして村は敵に占領され、家族は穴ぐらで生活しなければなりませんでした。

1945年に戦争は終わり、中学校で2年学んだガガーリンは、家が貧しかったので上級学校へ行くのをあきらめ、工場ではたらきながら学ぶ職業学校へ入りました。

「もっと勉強したい。できれば、大学をでて技師になりたい」

やがて、夜間中学から、さらに技術専門学校へと進みました。ところが、専門学校のときに町の航空クラブへ入って大空へ舞いあがっているうちに、すっかり飛行機にとりつかれてしまいました。そして、21歳のときには航空士官学校に合格して、パイロットへの道をあゆみ始めたのです。

2年間の士官学校を終え、すぐれた戦闘機乗りになったガガーリン少尉は、北極に近い基地の任務につきました。しかし3年ののちには、ひそかにあこがれていた宇宙飛行士の候補にえらばれ、26歳のたん生日をむかえると、ひみつの場所で、きびしいくんれんを受けるようになりました。

1961年4月12日、宇宙服を身につけたガガーリンは、ついに宇宙船ボストーク1号に乗りこみました。

「心臓、かわりなし、準備完了」「よし、発射」

モスクワの時間で午前9時7分、ボストーク1号は、ごうごうと音をたてて発射台をはなれました。そして、わずか70秒をすぎたと思うと無重力の大気圏外へとびだし、1時間48分で地球をひとまわりして、ボルガ川のほとりのコルホーズにもどってきました。

「地球は青かった。さまざまな色の絵の具をならべたように美しかった」

いのちがけで、すばらしい宇宙へのとびらをあけたガガーリンは、たちまち、世界の英雄になりました。国からは、27歳の若さで少佐の位があたえられました。しかし、それからわずか7年ののち、この新しい時代の英雄は、訓練中のジェット機がつい落して、悲しい最期をとげてしまいました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)18巻「毛沢東・ディズニー・ケネディ」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「ガガーリン」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「3月9日にあった主なできごと」

1933年 ニューディール…1932年に行なわれたアメリカ大統領選挙に勝利した民主党フランクリン・ルーズベルト大統領は、世界恐慌対策として、この日より100日間に、銀行および破産直前の会社や個人の救済、TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業、大規模雇用などの全国民的な経済活動「ニューディール政策」を、はなばなしくスタートさせました。