私の好きな名画・気になる名画 22

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ローランサンは、1883年、私生児としてパリに生まれました。母は裁縫の仕事をしながらローランサンを育てました。子どもの頃から絵を描くのが好きだったローランサンは、やがてデッサンの勉強をはじめましたが、母と娘だけの狭い世界での時間が長く、本格的に絵の勉強をはじめたのは、20歳をすぎた頃のことでした。

時代は20世紀に入り、画家たちは新しい絵画の表現を求めて模索をしていました。フォービズム(野獣派)という絵画を発表したマチスに対し、ピカソやブラックは、キュービズム(立体派)という造形美術に挑戦していました。その活動の中心はピカソのアトリエで、「洗濯船」という名がついていました。たくさんの若い芸術家の中に、ローランサンもまじっていました。当時の画家は、ほとんどが男性で、女性がプロになるのは、ひと一倍努力しなくてはならなかったことでしょう。ある日ローランサンは、ピカソから、新進の詩人として注目を集めていたアポリネールを紹介されました。

ローランサンの描く絵は、ほとんどが女性の絵です。そして、独特のスタイルをしています。あごのとがった細い顔、大きな瞳をした切れ長の眼、長くてまっすぐな鼻、両すみが少し上がった唇、まっすぐに伸びた細くて長い手足。おしゃれな洋服は単純化されて描かれています。色彩はピンクとコバルトブルー、緑とグレーで、それに白がまじっていかにも女性の絵を感じさせます。

こんなローランサンの絵が気に入ったアポリネールは、雑誌の評論でローランサンの絵の革新性を絶賛したことで、二人は急速に接近していきました。「洗濯船」で仲間たちと芸術論たたかわすことからはなれ、やがてセーヌ川にかかる「ミラボー橋」で、愛を交わす間がらになりました。

しかし、6年後に破局が訪れました。アポリネールが、ローランサンとの別れのせつなさつづった詩「ミラボー橋」は有名です。「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ、我らの恋が流れる。月日は流れ、私は残る……」と。後にこの歌は、シャンソンとなって大ヒットしました。

1914年にはじまった第1次世界大戦の前に、ローランサンはドイツ人と結婚したために、戦争中はスペインに亡命せざるをえませんでした。戦争が終わるとローランサンは、アルコール中毒の夫と離婚、かつての恋人アポリネールは、戦争の傷が原因で亡くなっていました。

第1次大戦後のローランサンは、より幻想的な絵を描くようになりますが、絵ばかりでなく、詩や本の挿絵をかいたり、バレーなどの舞台美術や衣装も手がけるなど、女性が社会的に多彩な仕事をするようになったリーダー的な存在としても、高く評価されています。

この「3人の女」は、60歳になった頃から描きはじめ、1956年に亡くなる少し前に完成させたローランサンの代表作です。左上にある橋は、セーヌ川にかかる思い出の「ミラボー橋」なのでしょう。最後の情熱をこの絵にこめたものと思われます。なお、この絵は長野県の茅野市にある、世界で唯一のローランサンの専門美術館「マリー・ローランサン美術館」に飾られています。1983年に100点ほどの展示物から開館し、いまでは学生時代のデッサンや版画など、あらゆる年代のローランサンの代表作500点を収納しています。