私の好きな名画・気になる名画 18

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18世紀後半から19世紀はじめにかけて、数々の名画を残したスペインの巨匠ゴヤは、さまざまな伝説の持ち主です。1746年、スペインのサラゴサ地方にある田舎町で、貧しい職人の家に生まれました。子どもの頃から絵が好きで、父親にいいつけられた仕事をせずに道ばたで一心に豚の絵を描いていると、たまたまそこを通りかかったお坊さんがあんまり上手なのに感心して、両親を説得し、町のアトリエに入れたというエピソードが残っています。

この2枚の絵 「裸のマハ」 「着衣のマハ」 にもさまざまな伝説が残されていて、この絵のモデルはゴヤの愛人だったアルバ公爵夫人だという説があります。ゴヤが愛人のすばらしい裸身を残しておきたいと考えましたが、二人の関係に疑いを持ったアルバ公爵が、急にゴヤのアトリエを訪れたときのために、着衣の絵を用意しておき、実際は裸体を描きながら、表向きは着衣の絵をかいていることにしたため、この2枚が対になっているというものです。

当時のスペインは、カソリックの教えがとても強く、神話の女神以外の裸体画を描くことが禁止されていて、違反者には厳罰が下されました。そんな時代に、なぜゴヤは、この裸体画を描いたのでしょうか。この絵が描かれ年についてはよくわかっていませんが、おそらく1790年~1800年だろうといわれています。ゴヤは1789年、43歳の時に、念願だったカルロス4世の宮廷画家になりました。しかし、まもなく聴覚に異常をきたしはじめ、2、3年後には完全に聾者になってしまいました。孤独と絶望のなか、次第に内向的になり、病的なまでに想像力がふくらんだためか、より人間を深くみつめた作品を描くようになっていきました。

この絵の注文主は、おそらく王室の実権をにぎっていたマニュエル・ゴドイだったといわれています。彼は、カルロス4世の王妃マリア・ルイザの愛人で、王妃の口ぞえで25歳にして総理大臣にまで取り立てられました。ゴドイの依頼を受け、ゴヤはかねてから描きたかった禁断の裸体画を描くことで、封建的な社会に挑戦する覚悟だったのでしょう。完成したこの2点の 「マハ」 (ちなみに、「マハ」というのは、スペイン語で「伊達女」を意味する、意気で陽気なスペイン女性) の絵は、ゴドイの隠し部屋に収められ、鑑賞できたのは、ごく限られた人たちだけでした。ところが、1808年ナポレオンの軍隊がマドリードに進軍し、失脚したゴドイの邸宅も占領されました。この時、2点の 「マハ」 を含むゴドイの膨大なコレクションが発見されました。特に 「裸のマハ」 の発見の衝撃は大きく、1812年、カトリック教会は、禁断の絵を描いた罪でゴヤを取調べましたが、ゴヤは何も語らず、証拠不十分で無罪となったようです。

ゴヤの証言がないためか、この絵のモデルが誰なのか、いまだに謎のままです。最有力なのは、ゴドイの愛人だったペピータ・トゥドウ説です。マドリードのある美術館にその肖像が残されており、ほんのり朱を帯びた肌の輝きが 「マハ」 を思わせるといいます。いずれにせよ、この2枚の絵が、それだけ人々をひきつける魅力に満ちあふれているからなのでしょう。収蔵するプラド美術館では、並べて掲げられているこのゴヤの傑作だけは見逃すまいと、鑑賞する人々でいつもにぎわっています。