本日6月14日は、アメリカの小説家ストー夫人が196年前に生まれた日です。
ストー夫人の代表作は、よく知られているように「アンクル・トムの部屋」。1852年この小説が発表されるや大評判となり、1年間で30万部も売れたといいます。そして、9年後、リンカーンによって南北戦争がおこされたので、[戦争を巻きおこした小説]ともいわれています。
当時、アメリカではたくさんの黒人がどれいとして使われていました。人間の権利はなにひとつ認められず、物のように売り買いされていました。ストー夫人は、お父さんの神学校で先生をしていたストー教授と結婚、幸せな暮らしをしていました。そんなある日、ストー家で女中としてやとった黒人の少女が台所で悲鳴をあげています。ストー夫人がいってみると、少女は中年の白人の男に手をつかまれて、外にひきずり出されているところでした。男をよびとめると「わしはこの女の持ち主。こいつは、わしのところから逃げ出したんだ」「でも私が今の主人です」「そうはいきません。どれい逃亡法では、どれいは元の主人のものなんだ」「あなたは神さまに恥ずかしくないの」というストー夫人の真剣な声に男はたじろぎました。「でも、法律は法律ですからな」と、男は泣き叫ぶ少女を連れて行ってしまいました。この出来ごとが、ストー夫人の心を奮い立たせ、どれいの悲しみをどうにかして訴えたい、どれい制度をやめさせたいという思いが、この小説を書かせるきっかけとなりました。

「アンクル・トムの部屋」のあらすじは次の通りです。
セルビイ家で、トムという黒人が使われていました。トムは老人でしたが人一倍丈夫な働き者、しかも正直で信心深く、セルビイ一家はトムをとても大事にしていました。子どものジョージとは大の仲良し、「アンクル・トム」と呼んで慕っていました。ところが、セルビイ氏は事業に失敗し、トムはどれい商人に連れていかれてしまいました。このことを後で知ったジョージは、トムを追いかけ、必ずぼくがお前を買い戻すから待っていてくれと、トムに誓うのでした。
どれい商人とミシシッピー川を下っていく途中、トムは牛馬のように働かされている黒人どれいたちに心を痛めました。この船中、セントクレアという人の娘エバに出会いました。そのエバが急な船ゆれのために、川の中に落ちてしまいました。トムはすぐに飛びこんでエバを救ったおかげで、セントクレア家へ買われていきました。セントクレア家でのトムは再び幸せな日々を送り、ジョージにもその暮らしぶりを手紙に書きました。
エバは、よくつくしてくれるトムを自由な身体にしてくれるよう父に頼み、その許しを受けましたが、病魔に勝てずに亡くなってしまいます。そのご間もなく、セントクレア氏はけんかの仲裁に巻き込まれて急死してしまいました。心の冷たい夫人はトムをはじめ、使用人だった黒人をどれい商人に売り飛ばしました。
次のトムの主人となった綿栽培の農場主は、非情な男で、トムをさんざんこき使いました。でもトムには希望がありました。「いつかジョージが買い戻しに来てくれる」と。あるとき、仕事の遅い女どれいのために綿花を分けてやったトムの行為が農場主にみつかり、半殺しにされるまでたたかれます。トムの丈夫だった身体にも衰えが見えはじめ、あまりの苦しさに信仰もぐらつきはじめます。そんなトムのために、どれいの一人が脱走をすすめますが、トムはきっぱりことわりました。ところが、ある女どれいが農場を脱走しました。農場主は、それをトムのせいにし、トムをなぐり殺してしまったのです。
ちょうどその日、成人したセルビイ家のジョージが、トムを買い戻すために農場へやってきました。トムのくれた手紙を頼りに、ようやくトムの居所を探しあてたのです。ジョージは、トムの遺体にすがりつき、泣きながらトムをていねいにお墓に葬るのでした。

この歴史的名作を手に入れようといろいろ調べてみましたが、現在どこの出版社からも刊行されていません。30年前の資料によると、新潮社、岩波書店、講談社、河出書房、偕成社の5社から刊行されていたのに、とても残念なことです。