● ヘビをつかまえてきて喧嘩、寺子屋ではいたずらばかり

少年時代の退助には、後藤象二郎という幼なじみの友だちがいました。象二郎も、のちに、明治維新のために活躍した人です。退助と象二郎は、たいへん仲がよいのに、どういうわけか、いつも、けんかをしました。けんかになると、退助は、象二郎がいちばんきらいなヘビを、つかまえてきて、びゅんびゅんふりまわしながら 「おい、これでも、くるかっ」。すると、象三郎は、家へかけこんで、おけを、かかえてきます。肥えの入ったおけです。そして、ひしゃくですくった肥えを、退助めがけてふりまきながら 「どうだっ、おまえこそ、これでも、くるかっ」。ヘビでおどかそうとしても、これにはかないません。退助はヘビを片手に、にげまわりました。
退助は、このように、たいへん、わんぱくでした。夏、家にいたおばさんが、雷をこわがって部屋のすみでふるえていると、家じゅうのそろばんを、すこしはなれたろうかでゴロゴロころがして、おばさんを、よけいにこわがらせたこともあったということです。
でも、こんなことをしても、母には、あまり叱られませんでした。
「男の子は、わんぱくでも元気なほうがいい」 というのが、母の考えだったからです。寺小屋へ行っても、いたずらをしては先生に叱られるばかりでした。しかし、本だけはたくさん読んで、人間の自由をたいせつにする心を、自分で育てていきました。

板垣退助(1837~1919)──「板垣死すとも自由は死せず」という信念で、自由民権運動の先頭にたって活躍した明治時代の政治家。

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