● 「てんぼう」とばかにされ、母にかくれて学校をずるやすみ

1歳をすぎてまもなくのやけどで、左手の5本の指がくっついたまま棒のようになってしまっていた清作 (英世の子どものころの名) は、小学校へあがると、みんなに 「てんぼう、てんぼう」 「左手で石を投げてみろ」 とバカにされました。そして、くやしさと悲しさに涙を流すうちに、こっそり学校をずる休みするようになっていきました。
でも、ずる休みは、まもなく、母にみつかって 「人に笑われたくらいで、くじけてはダメです。しっかり勉強して、いまはバカにしている人たちを、学問の力で、みかえしてやったらいいではありませんか」 と、しかられてからは、心をいれかえて、勉強にはげむようになりました。朝から晩まで、村の男たち以上にはたらく母に 「母さんもがんばるから、あなたも、がんばるのよ」 といわれると、母に心配をかけてはいけないと思ったのです。
4年生のときには、とうとう、学年の代表にえらばれました。そして、ときには先生のかわりに教壇に立って、1年生、2年生の子どもたちに教えるほどになりました。もう「てんぼう」などと言って笑うものは、ひとりもいません。そればかりか、清作の努力は先生たちをすっかり感心させ、やがて12歳になると、小林栄という先生がお金をだしてくれたおかけで、高等小学校へ進むこともできました。そのうえ、高等小学校へ入ったつぎの年には、先生や友だちみんなの力で、左手の手術を受けることもできて、医学への道がひらけていきました。

野口英世(1876~1928)──左手のやけどの悲しみに打ち勝って努力を続け、アメリカに渡って世界に名を残した細菌学者。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
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