10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第16回目。

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「よだかの星」(宮沢賢治作) のあらすじは、次の通りです。
よだかは 姿形がみにくいというので、ほかの鳥にバカにされ笑われます。おまえが鳥の仲間にいるのははずかしいから名まえをかえろといわれます。よだかは、ほんとうはやさしい鳥です。でも悲しさに耐えられず、また、これまで自分が多くの虫を食べて殺してきたことを反省して、どこまでもどこまでも空へ、そして星に……。

● 姿かたちで人を差別してはいけない
「よだかは、実にみにくい鳥です」 にはじまって 「よだかの星は燃えつづけました。いつまでも、いつまでも燃えつづけました。今でも燃えています」 に終わる、宮沢賢治の短編 「よだかの星」。この名作を読んだ子どもたち(小学校中・高学年)が、もっとも深く考えさせられているものは、姿かたちで人を差別したり、バカにしたりすることのおろかさ、みにくさと、たとえ差別されバカにされても、自己の信念に生きることの強さ、すばらしさです。
子どもたちは、いきどおりをこめて、感想文に書いています。
「なんの罪もない、よだか。巣から落ちた赤んぼうのメジロを助けてあげたりしたのに、姿がみにくいだけで、どうして、こんなにいじめられないといけないのだろうか」 「ほかの鳥たちは、よだかの顔が悪いからといって、なぜ、すべてが悪いと、きめつけるのでしょう」 「私は、外見だけでよだかを判断してしまって、ほんとうのよだかを理解しようとしない鳥たちが許せない」
作品への感想だけではありません。作品をのりこえた発言をも、忘れてはいません。
「私も、これまで、人を、顔や身なりだけで、判断してきたのではないだろうか」 「私は、人のことを、その人の気持ちになって、しんけんに考えてあげたことが、あっただろうか」 「社会の差別は、ほとんどみんな、人間の外見だけにとらわれた、差別ではないだろうか」 「アメリカを中心にした黒人差別問題も、この、よだかの場合と、まったく同じだ」 「人を笑ってはいけない。人を笑うまえに、自分のみにくい心を笑わなければいけないのだ」 「賢治は、鳥の世界のことではなく、人間の社会のみにくさを、えがきたかったのだ」 などと考え、あるいは反省して、命あるものへの差別を、自分の問題として、しっかりとらえています。

● 自分を犠牲にして人の幸せのために
つぎに、よだかが、自分の信念をつらぬきとおしたことへの賛辞、これは、よだかが 「自分をぎせいにまでして、まわりのものの幸福だけを願いつづけた」 ことへの感銘です。
「それまで、自分が、羽虫やかぶと虫など、自分より弱いものをくい殺していたことに気づいて大声で泣き、もう虫を食べないで死のうと決心して、空高くのぼっていった、よだか。よだかは、自分のいのちを投げだすことで、りっぱに生きたんだ」 「弟のかわせみのところへ、お別れに行って、『どうしても、とらなければならないときのほかは、いたずらに、お魚をとったりしないようにしてくれ』と、言いのこしたよだかには、姿はみにくくても、だれよりも美しい心があったのだ」
子どもたちは、よだかの大きな愛に、心をうたれています。そして、作品をとおして 「自然を愛し、どんな小さな命もたいせつにして、土とともに生き、農民につくして、農民のしあわせのために生きた賢治」 の心を、いっしょうけんめいに思いやろうとしています。
「自分ひとりの、しあわせなんかない。みんなが、しあわせでないと、けっして、自分も、しあわせにはなれない。賢治は、きっと、このように考えて生きたんだ」。ここまで考えた子どもたちの心には、いつまでも、よだかの 「星」 が輝きつづけるのではないでしょうか。

なお、この作品の原文は「青空文庫」で読むことが出来ます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473.html